かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

今月のお買いもの:ニールセン 交響曲全集3

今日も二つエントリを立てることといたしたいと思います。

今月のお買いもの、先月の残りの分の最後はニールセンの交響曲全集の3枚目です。第4番と第5番が収録されています。

この全集は必ずしも番号順ではないのですが、その理由がこの第3集で明らかになります。この2曲はニールセンの交響曲の内、一楽章の曲なのです。

その上で、各々曲は4つもしくは3つの部分からなり、それは古典的な交響曲の楽章構成と同じという特徴を持つのです。

つまり、この全集は、4つの楽章からなるものと、4つもしくは3つの部分からなるものとで分けている、ということになります。実際、4つの楽章からなるものはCDこそ2枚ですが一つの組となっています。

確かにこの編集のほうが、ニールセンの交響曲を俯瞰するには適しているように思います。音楽的には確かに第1番と第6番とではかなり異なりますが、だからといってものすごく変化したのかといえば第3番以降はそれほどの違いは第6番を除けばありません。それよりも楽章構成が第4番と第5番、それ以外とでは違いがあります。

ニールセンの交響曲の魅力と特徴は、この形式や構成と言った点にあると思いますし、なるほどそれはわかりやすい編集だなあと思います。

この全集はレーベルがRegisですが、ウィキでも挙げられているくらいであることからすると、私はいい選択をしたなあと思います。え、それが分かっていての選択だったのでしょうって?いえいえ、全然知りませんでした。判断理由は値段だけです。

さて、第4番は『不滅(滅ぼし得ざるもの)』という副題がついています。ウィキでは以下のように特徴が述べられています。

「ニールセンの交響曲は、この第4番以降の作品において多調性を採用しており、交響曲第6番までの3つの交響曲については基本となる調が記されていない。これは古典的な交響曲のような、基本となる調を設定し、他の調との対比により構成する、という概念を排す意図からである。この第4番はニ短調の全奏部で始まり、クラリネットによるイ長調、間奏となる気楽な田舎風の曲想の第2部(ト長調)を経て、伝統的な緩徐楽章の役割は悲劇的な曲想の第3部に譲られる。第4部では、2群のティンパニが活躍し、結末においてホ長調となって締め括られる。

ニールセンの作品では最も演奏・録音の機会に恵まれているが、解釈に特有の問題がある。作曲家のロバート・シンプソンは、著書において、主にテンポ設定に関してページ数を割いている。」

交響曲第4番 (ニールセン)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2%E7%AC%AC4%E7%95%AA_(%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%BB%E3%83%B3)

基本となる調が示されていないというのはこの時代以降の作品では当たり前になっていくものですので特に私たち現代人にとって真新しいことではないのですが、だからこそ私は不思議に思うのです。ではなぜ、デンマーク語で「消し去り難いもの」「滅ぼし得ぬもの」という意味を持つ言葉を副題に用いたのでしょうか。

私はこう考えます。この作品が着手されましたのは第1次世界大戦中の1914年。完成は1916年です。第1次世界大戦というものがどういった戦争であったかを振り返らないとわからないだろうと思うのです。

第一次世界大戦
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%B8%80%E6%AC%A1%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%A4%A7%E6%88%A6

第1次世界大戦は旧来の様々なものを破壊していきました。戦争の装備や仕方、社会や価値観など、枚挙にいとま在りません。それまでヨーロッパのお題目であった人権や自由と言ったものでさえ破壊していったのです。

それをニールセンはいったいどんな気持ちで眺めていたのでしょう。デンマークはこの時中立を保っていますが、世界経済にも影響を与えたこの戦争がデンマークに全く影響を及ぼさなかったとは到底思えません。報道も常に行われていたでしょう。恐らくニールセンは中立国の国民として、戦争の趨勢を冷静に見つめていたと推測できます。

この第4番は実は調性音楽を捨てているのかといえばそうではなく、主調が存在しないだけで基本的には調性音楽の範疇に収まっています。戦争で消えてしまいそうなものへのオマージュという気が、私はするのです。

第5番でもそれが顕著です。一般的には戦争とは無関係と言われていますが、ウィキの第5番の説明にはこうあります。

「ニールセンはキエルフとのインタビューで、自分はこの交響曲を作曲しているときは、第一次世界大戦の影響を意識していなかったと述べているが、「皆、戦争を経験して、心が戦争と同じになっていた。」と付け加えている。」

交響曲第5番 (ニールセン)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2%E7%AC%AC5%E7%95%AA_(%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%BB%E3%83%B3)

私は、戦争そのものではなく、戦争によって変化した社会や人の心といったものを表現しているのではないかと思います。冒頭鳴りひびくティンパニとトライアングルは、戦いのみならず、何か悪夢がやってきたようなイメージを想起させます。

ウィキでは2つの楽章とされていますが、このCDでは3つの楽章、あるいは部分でトラックわけがなされています。ただ、第1部と第2部が連続して演奏されているのは間違いありません。第2部と第3部は若干休みがあるように思います。

いずれにしても、この二つの曲はそのデモーニッシュな印象だけではなく、構造などにも注目して聴く必要がありそうです。旋律だけでなくもっと知的な部分、それが調整や楽章構成ですが、そういった部分も重視してニールセンは作曲しているように思うからです。第4番第5番共に主調が示されていないですし、第5番では調性音楽から離れ始めています。それは、ウィキにもありますが、第5番第2楽章のこの解釈の言葉からもうかがえると思います。

「第2楽章では、アレグロに2つの対照的なフーガが含まれており、聴く者は再生した世界を思い浮かべることになる。最初は穏やかだが、新しい戦いと人を脅かす危険を生み出す世界である。交響曲第5番は、来るべき第二次世界大戦を予兆しているのである。しかし、より謎めいた第2部は、知的な分析をうけつけない。(シンプソンは、非常に深い分析を必要とするか、さもなければ逆に、可能な数語で述べるべきだと感じ、第2楽章を分析するのをためらった。)この楽章は、標準的な音楽の認識を越えた、深みや高所へ聞くものを連れていくのである。」

全くもってその通りだと私は思います。



聴いているCD
カール・ニールセン作曲
交響曲第4番作品29「不滅」
交響曲第5番作品50
オーレ・シュミット指揮
ロンドン交響楽団
(Regis 1036)



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