かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

今月のお買いもの:シューベルト交響曲全集1

今月のお買いもののコーナー、今月は曜日を変則で掲載し、一部は金曜日に掲載します。今回は通常通り日曜日に掲載です。

まず一つ目は、銀座山野楽器で買い求めました、シューベルト交響曲全集のまず第1集です。

この全集の特徴としましては、番号順ではないということが挙げられます。シューベルト交響曲はほぼ番号順に書かれており、そのため番号順に聴けばその変遷が分かるはず、なのですが・・・・・

実は、このCDを買いました時、初めにディスクユニオンへ寄っており、そこで物色しています。しかし購入せず、山野で探してそこでいいものがなかったらとしたところ、これを見つけてしまったのです。

番号順でないにせよ、この全集にした理由は、オケがウィーン・フィルであることです。いい演奏を採るか、番号順で俯瞰できることを採るか、迷いに迷った末、いい演奏を採ったのです。ブリリアント・クラシックスで、2394円。

ウィーン・フィルの名演が、約2400円ですよ。つられないようにするのは至難の業です・・・・・

元々はEMIの音源で、いまパソコンで聴きながら書いていますが、そのCDDBにはブリリアントではなくEMIで情報が出ています。ブリリアントはこういった古い演奏に再び光を当て、安価で提供してくれるので私は好感を持っています。

さて、まず第1集は第3番と第8番、そしてロザムンデから抜粋が収録されています。そしてまず特徴なのが、そのロザムンデなのです。

通常、ロザムンデは序曲が収録されることが多いわけなのですが、ここでは番号順ではないことを利用してか、時間があることから序曲だけではなく本編のバレエ曲も収録してくれているのがありがたい点です。

ロザムンデはベートーヴェンもよく作曲した、劇付随曲ですが、劇自体はさんざんだったようで、いまでは台本が失われ、残ったのは原作と音楽です。

キプロスの女王ロザムンデ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B9%E3%81%AE%E5%A5%B3%E7%8E%8B%E3%83%AD%E3%82%B6%E3%83%A0%E3%83%B3%E3%83%87

しかも、実は序曲もモーツァルト並みの使いまわしをしていまして、よほどばたばたしていたことを想像させます。もともとは魔法の竪琴の序曲だったものを転用するということをやっています。ベートーヴェンも自分の作品の再使用を序曲ではないですがやっています(アテネの廃墟→献堂式)ので、モーツァルトの時代まで残っていたアレンジャーとしての才能もここで開花されているともいえましょう。

フランツ・シューベルト
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%84%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88

この序曲とバレエ音楽は、歌曲王として有名なシューベルトの違った一面を私たちに見せてくれます。序曲などはむしろ気品と気高さが感じられる音楽です。

ウィーン・フィルだからでしょうか、豊潤な響きが随所から聴こえてきます。そういえば、シューベルトはウィーン生まれの作曲家であり、ウィーン・フィルにとっては郷里の大作曲家ということが言えるかと思います。そういった想いも、この演奏からは伝わってくるように思います。

それにしても、シューベルトバレエ音楽を書いていたという点は、見過ごされがちな点のように思います。恥ずかしながら私もその点が全く抜けていまして、この「ロザムンデ」を聴いて初めてバレエ音楽があったのだ!と気が付かされたくらいです。だからこそ、こういった古い録音も市場に出しておいてほしいのです。それが難しければ、是非とも図書館が所蔵し、貸し出してほしいと思います。神奈川県立図書館のように・・・・・

次に、交響曲ですが、第3番は1815年に作曲された作品です。シューベルト18歳の作品ですが、その年齢はベートーヴェンよりも若いことに気が付かされます。ベートーヴェンがなぜシューベルトを評価したのか、その一端が見え隠れします。

ベートーヴェンによって確立された交響曲の様式をしっかりと受け継ぐ作品です。4楽章で、第3楽章はスケルツォであり、ソナタ形式を取るというその様式で、作品は成立しています。

音楽的にはあまり評価されることのないシューベルトですが、こういった「形式を受け継ぐ」という点では多大な貢献をしたように思います。以前ミサ曲でも申しましたが、彼は古典派で確立されたものを次代へ橋渡した音楽史上重要な功績を遺した作曲家であるとわたしは思っています。音楽が歌曲的だという批判もありますが、ではメンデルスゾーンはどうなのでしょうか?

実は、これは順番の関係上まだ取り上げませんが、いま県立図書館からはメンデルスゾーン交響曲を室内交響曲まで含めて借りています。それはほぼ同じ時期に活躍した、ウェーバーメンデルスゾーンシューベルトという作曲家の交響曲を聴きませんと、果たしてシューベルトの作品を批判していいのだろうかという疑念が私の中にあるからです。

その3人の中で、奇をてらったことをしていないのはシューベルトウェーバーであり、そしてこの二人の交響曲の評価が今ひとつというのが、現在の日本の音楽シーンに影響を与え、優秀な演奏家が海外へ流出することへと繋がっているような気がしてならないからです。

いや、日本の「クラシック市場」を考えれば、国内だけではなく広く世界も視野に入れるべきだとは思いますが、昔から言われるのが、すでに日本には多くの優秀な演奏家がいるのになぜ海外進出をするのだという海外からの批判です。これはすでに震災後日本の状況が変わっているので必ずしも正しい指摘とは言えなくなってきていますが、確かに国内の演奏家を過度に低く評価する傾向へとつながっているようには思います。私たち聴衆がもっと楽曲を理解し、演奏家と理解を一つにする努力はしなければ、優秀な演奏家は今後どんどん海外へ流出するように思うのです。

この第1集では一番最後に第8番「未完成」が来ていますが、この曲に関してはウィキの説明を掲示するだけで何を述べる必要がありましょうかという作品ですが、第3番をその前に持ってきたのは明らかに、第3番には民謡が使われており、当時勃興していた「ドイツ民族主義」というものとの関連もうかがえます。以前この点についてはミサ曲やスターバト・マーテルを取り上げた時にも言及したかと思います。そういった点を、指揮者であるムーティや、そもそも指揮者よりも力を持つと言われるウィーン・フィルコンサートマスターや、信頼を寄せる団員たちが私たちに語りかけているように思います。

第3番は音楽的には稚拙な部分もあることから評価が低い作品ですが、その内容を見てみれば確かに、後の国民楽派や後期ロマン派へと続く道がはっきりと見えるのです。

その点、第8番「未完成」はあまりにも曲が美しすぎ、その道が見えません。確かに素晴らしい作品であることは間違いありませんが、逆にそれ以上のものはあるのかといえば、ないと言わざるを得ません。しかしそれ故、素直に音楽に耳を傾けることが出来ると言えるでしょう。

交響曲第7番 (シューベルト)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2%E7%AC%AC7%E7%95%AA_(%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88)
※ウィキは新しい番号付に基づいているので、第7番となっています。

シューベルトの曲はどう聞くべきなのかを、一番最初に提示しているとするならば、この順番はあながち意味がないわけではないということになるのです。



聴いているCD
フランツ・シューベルト作曲
ロザムンデより
序曲
バレエ音楽1
間奏曲1
バレエ音楽2(終曲)
交響曲第3番ニ長調D200
交響曲第8番ロ短調D759「未完成」
リッカルド・ムーティ指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(Brilliant Classics 92778/1)



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