かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:モーツァルト・リスペクト2

神奈川県立図書館所蔵CD、今回はモーツァルト全集のうちの「モーツァルト・リスペクト」第2集です。と言ってもですね、実はこれ、第3集になるんです。一つは行方不明・・・・・

あれま〜、まあ、図書館ですから・・・・・でも、公共のものは、大切に扱いましょうね。

さて、この第2集では、殆どその名が知られていない、けれども、音楽史モーツァルトを専門に勉強すると必ず出てくるという作曲家の名前が並んでいます。

まず、一人目が、ホフマイスター。作曲家としてだけでなく、音楽出版者としても名をはせ、現在のペータースが存在するきっかけを作った人としても知られています。

フランツ・アントン・ホフマイスター
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%84%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%9B%E3%83%95%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC

モーツァルトとの関係は、ウィキにもありますが、作品の出版主であったことと、その関係で弦楽四重奏曲第20番を献呈した点です。音楽そのものは、収録されている作品を聴く限り、けっしてレヴェルが低いものではなく、いかにも古典派らしい音楽ですし、転調も素晴らしい面があり、優れた音楽家であったことが分かります。だからこそ、ウィーンでは遅れていたとされる音楽出版を決意したのだと思います。

2人目が、カンナビヒです。18世紀におけるマンハイム派の作曲家で、モーツァルトの1778年からのパリ旅行の時に、宿を貸した人物としても知られ、そこでのサロンでモーツァルトは多くの収穫を得ます。そこに集まった作曲家だけではなく、宿主であるカンナビヒの音楽からもいろいろ吸収したようです。

クリスチャンカンナビヒ
http://en.wikipedia.org/wiki/Christian_Cannabich

クラシック音楽の小窓−第2楽章
カンナビヒの「交響曲集」
http://blogari.zaq.ne.jp/Kazemachi2/article/39/

特に、収録されている「シンフォニア・パストラーレ」は、まさしくオペラの序曲としてのような作風を示していまして、それは間違いなく、モーツァルトのオペラ序曲用として作曲された交響曲に多大な影響を与えています。転調も素晴らしく、当時の名声、そしてなぜモーツァルトがカンナビヒを頼ったのかが分かるような作品です。

三人目は、エバーリン。古い読み方でエーベルリンとも呼ばれますが、四人目のアードルガッサーと共に、パリに於いてモーツァルトに影響を与えた人物ですが、モーツァルトにとっては参考程度であったようです。それは、エバーリンを評する次のような記述によります。

"far too trivial to deserve a place beside Handel and Bach."(「ヘンデルやバッハと並べるのはどうかと思われます」父への報告の手紙より)

ヨハン·エルンストエーベルリーン
http://en.wikipedia.org/wiki/Johann_Ernst_Eberlin

アントンCajetan Adlgasser
http://en.wikipedia.org/wiki/Anton_Cajetan_Adlgasser

確かに、収録されている作品を聴いたかぎりでは、音楽としては美しいのですが、緊張感に欠けるように思います。演奏自体はしっかりしたものなので演奏由来ではなく、作品自体がのんびりとしていると考えるべきでしょう。もちろん、それにも意味があるかと思います。作風としてはバロック的な部分もありますので。私としては、アードルガッサーのほうがより影響を与えていると言えるかと思います。アルカデルトのアヴェ・マリアから引用しているであろう作品は、まさしくバッハ以来の伝統に基づくものであり、すでにロンドンでヨハン・クリシティアン・バッハと親しんでいたモーツァルトとしては、エバーリンのいかにものんびりとしている古めかしいだけの作品よりは、バロック的なものをできるだけ同時代の様式に生かそうとしているアードルガッサーの方により心を動かされたことでしょう。ですので、モーツァルトエバーリンをあまり評価していないのは当然と言えます。ただ、二人の作風はこれもモーツァルト交響曲に多大な影響を与えていることは間違いないと思います。つまり、これもオペラの序曲としての交響曲シンフォニア風の)を作曲するときに、念頭に会った作曲家たちであったであろうと推測できるからです。

それにしても、父レオポルトは残念がったことでしょう。実はこの二人は、レオポルトが仲人をやったり、職を紹介したりなどした人物で、関係が深かったからです。しかし息子ヴォルフガングは、ヨーロッパを旅するうちに、父を超えていくというか、父が言うことはすべて正しいのだろうかと疑念を持つにいたるわけです。それはやがて、ウィーンへ出ることへとつながっていきます。

五人目が、カンビーニ。モーツァルトとごたごたを起こしたエピソードで知られていますが、信頼性には欠けるようです。少なくとも、カンビーニはモーツァルトの理解者であり、擁護者であったことは間違いありません。

ジュゼッペ・カンビーニ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%82%BC%E3%83%83%E3%83%9A%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%8B

収録されている五重奏曲を聴きましても、モーツァルトが持つ気品を十分に持っています。カンビーニはおそらく「モーツァルト党」とも言えるグループの一員であったであろうと想像できる作風とエピソードです。

六人目が、グレトリー。現在のベルギー生まれのフランスで活躍した作曲家です。1766年に一度会っていますが、それ以降は証拠がありません。しかし、恐らくパリに於いて音楽を聴いている可能性は大です。実際、モーツァルトはグレトリーのオペラ「サニウム人の結婚」の合唱曲「愛の神」を使った変奏曲を書いているからです。

K.352 (374c) 8つのピアノ変奏曲 ヘ長調
http://www.marimo.or.jp/~chezy/mozart/op3/k352.html

ちょうどグレトリーとのエピソードが載ってくれているので、このサイトはありがたいのですが、レオポルトの心配をよそに、モーツァルトは音楽だけは吸収していたということが、この例からもはっきりします。しかも、ウィーンに出てからですから、恐らく父の言うことをきかないで、パリで会っていた可能性だって否定できないでしょう。

実際、収録されている「ミダスの審判」序曲は、転調が素晴らしい作品です。ただ、どこか中途半端な面も否めず、フランス革命後の新しい音楽(つまり、ベートーヴェンなどの)には、対応的なかったであろうことが予想できる作品です。

アンドレ=エルネスト=モデスト・グレトリ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AC%EF%BC%9D%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%8D%E3%82%B9%E3%83%88%EF%BC%9D%E3%83%A2%E3%83%87%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%83%88%E3%83%AA

七人目のゴセックも、グレトリー同様フランスのみで活躍した作曲家ですが、グレトリーに比べますとより洗練されていまして、時代の変化にある程度合わせることが出来たであろうと推測される作品「シンフォニア・パストレッラ」が収録されています。

フランソワ=ジョセフ・ゴセック
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%BD%E3%83%AF%EF%BC%9D%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%82%BB%E3%83%95%E3%83%BB%E3%82%B4%E3%82%BB%E3%83%83%E3%82%AF

まず、フランスのみで活躍したはずなのに4楽章の交響曲で、これはマンハイム楽派の流れを汲みます。実は、後の時代にクレメンティという作曲家がいますけれど、彼も同様の交響曲を作曲しています。バロックまではフランス風と言えば3楽章であり、実際モーツァルトも第31番「パリ」では3楽章で作曲しているわけなのですが、モーツァルトの名声が高まってくるにつれて、4楽章が増えてくるという現象を説明するとき、ゴセックの存在は大きいかも知れません。そして、フランスの作曲家でありながら、サン=サーンスがなぜ4楽章の交響曲を書いたのかも、此れではっきりするわけです。こういった作曲家が活躍していたからこそであったと言えます。そしてなぜ、新古典主義音楽に於いて、オネゲルは3楽章の交響曲を復活させたのかが、この歴史から見えてくるわけです。フランス人からすれば、ゴセックなどが活躍した時代に於いて、ドイツ音楽に蹂躙されたという意識を持っていたとしても、不思議はありません。何故なら、第1次世界大戦をもたらした一つの原因こそ、ドイツロマン主義から発した、国民楽派などの過激なナショナリズムを煽りかねない作品たちだったからです。

一方で、モーツァルトはゴセックを高く評価しています。ウィキにもありますがモーツァルトは第3回のパリ旅行でパリに滞在中、ゴセックのレクイエムを聴き、直接会ってもいます。なぜかは収録されている作品から推測することが出来ます。この「シンフォニア・パストレッラ」は4楽章という時代の先端様式でしたが、バロック以来の伝統である「パストラール」を使った作品でもあるからなのです。緩徐楽章である第2楽章がそうですが、モーツァルトが伝統に即しながら新時代を切り開こうとした意識が、このゴセックの作品を見てもわかるのです。

最後の8人目が、ヴァーゲンザイルです。モーツァルトとは直接面識はなかった(モーツァルトがウィーンに出たときには故人であったため)ようですが、音楽には影響を与えたと言われています。特にモーツァルトがウィーンに出てから影響を与えたと言われていますが、収録作品は一楽章の交響曲なのでなんとも判断できかねます。ただ、モーツァルトがウィーンに出てからもオペラの序曲としての交響曲は作曲していますから、影響がないとは言えないでしょう。ハイドンから教えてもらったという可能性が一番高いのではないかと思っています。

こういった作曲家を知ることは、モーツァルトの音楽をより理解するためには重要だと思います。たとえば、6人目のグレトリーのように、同時代の作曲家の旋律を借りて変奏曲を創ったりなどはよくあることだからです。そしてそれはバロックからの伝統でもあることから、古典派の時代、とくにモーツァルトの時代というものへの正しい理解へつながる作業であるからなのです。そしてそれは、後期ロマン派が第1次大戦によって翳りが出た後の、象徴主義新古典主義音楽を理解するためにも、重要であると思います。

しかし、私はそれを知っていて借りたわけではありません。某イベントに於いて古典派の知らない作曲家に出会いながら、とくにシュターミッツに出会ったことが一番大きいのですが、そういった経験からモーツァルトの時代の他の作曲家の作品に興味を持ったからです。それが結果的に、新古典主義音楽を聴いたときに、一気に理解へとつながっていたのです。オネゲルとゴセックとの関係も、今回ようやくまとめることが出来たくらいです。

クラシック音楽とは、どんなに新しい様式が生まれようとも、前の時代に影響を受け、さらに前の時代に立ち戻っているのだなということが、こういった作品たちに出会うことで理解できるわけなのです。それはおそらく、私を現代音楽への理解へといざなってくれることでしょう。



聴いている音源
フランツ・アントン・ホフマイスター作曲
ヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲ト長調
クリスティアン・カンナビヒ作曲
シンフォニア・パストラーレ ヘ長調
ヨハン・エルンスト・エバーリン作曲
オラトリオ「血にまみれしイエス」より「シンフォニア
アントン・カエタン・アードゥルガッサー作曲
モテット「アヴェ・マリア
ジョバンニ・ジュゼッペ・カンビーニ(ジュゼッペ・マリア・カンビーニ)作曲
フルート、オーボエクラリネット、ホルン、ファゴットのための五重奏曲第3番ヘ長調
アンドレ・グレトリー作曲
「ミダスの審判」序曲
フランソワ=ジョセフ・ゴセック作曲
シンフォニア・パストレッラ ニ長調
オルグ・クリストフ・ヴァーゲンザイル作曲
交響曲ホ長調
アルテュールグリュミオー(ヴァイオリン)
アッリゴ・ペリッチャ(ヴィオラ
アルヒーフ・アンサンブル
ベルンハルト・パウムガルトナー指揮
ザルツブルク・モーツァルテウム・カメラータ・アカデミカ
ダンツィ五重奏団
レイモンド・レパード指揮、チェンバロ
ニュー・フィルハーモニア管弦楽団
ヘルマン・シェルヘン指揮
グラヴェザーノ・アルス・ヴィヴァ管弦楽団



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地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。