かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

マイ・コレクション:シベリウス 交響曲第4番・第6番

今回のマイ・コレは、シベリウス交響曲第4番と第6番です。演奏は一時期シベリウスの演奏で名を成したラトル/バーミンガム市響です。

このCDを買いましたのは10年ほど前で、ちょうどシベリウスの楽曲に興味が向き始め、交響曲を全曲聴いてみたいなと思い始めていた頃で、その手始めとしてまず偶数から集めようと買い求めたのがこの一枚です。

この当時、私の手元には以前ご紹介した第2番しかシベリウス交響曲はなく、せっかくなのでこのラトルで集めようと思ったのです。ところが、その後体調を崩しまして、シベリウス交響曲がすべてそろうには、神奈川県立図書館で借りてきてリッピングするまでかなわなかったのです。

そう、県立図書館で借りてこようと思ったきっかけは、このCDを買っていたにもかかわらず、シベリウス交響曲がすべてそろっていなかったことがきっかけなのです。

第4番は1910年に作曲され11年に完成された作品です。

交響曲第4番 (シベリウス)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2%E7%AC%AC4%E7%95%AA_(%E3%82%B7%E3%83%99%E3%83%AA%E3%82%A6%E3%82%B9)

私はこの曲は実はとてもシベリウスらしい曲だと思っています。それはウィキの以下の記載からして明らかだと思います。

「初演は、あまりに晦渋な作品に対して聴衆や批評家の評判は高くなかったが、作曲者の自信が揺らぐことはなかった。」

この曲はフィンランドの独立など、政治的なものが支配するのではなく、むしろ一人の国民としての不安や、自らの健康状態に端を発する曲だからです。健康な状態における愛国心の発露ではなく、彼が死と隣り合わせという意識の中で書かれた様々な想いというものが込められているように思うのです。

以前から申し上げていますが、シベリウスはあまりにも「フィンランディア」が有名であることから、愛国主義者あるいはもっと極端に国粋主義者というような印象で語られることが多いかと思うのですが、この曲もそうですがこの第4番以降のシベリウスというのは愛国心をことさら強調しません。幻想的な音楽が淡々と流れることのほうが多いのです。

それは第6番になるともっと顕著です。

交響曲第6番 (シベリウス)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2%E7%AC%AC6%E7%95%AA_(%E3%82%B7%E3%83%99%E3%83%AA%E3%82%A6%E3%82%B9)

特にパレストリーナなどに範をとる教会旋法を使うという点は、シベリウスの音楽の別の側面だろうと思います。

シベリウスが第4番や第6番を作曲した時代は、ちょうどルネサンス音楽が見直されて、時代に合った形で取り入れようとする動きがありました。シベリウスもその一人だったのです。CDのブックレットには、ニ短調ではなくニ調の曲ととらえるほうが適切であると書かれてありますが、まさしくその通りだと思います。

我国では、オーケストラ曲が好まれることから、シベリウスなどが至上としたパレストリーナなどの楽曲はなかなか好まれることが少なく、合唱が好きな人たちによって好まれる傾向がありますが、私は幸いパレストリーナを歌った経験とCDも持っていることから、全く持って自然とシベリウスパレストリーナに範をとったことが受け入れられます。ルネサンスの教会音楽においては必ずしも調性が定まっていないため、不協和音が鳴り響くかのような印象を受けます。それはまるで現代音楽であるかのようです。

翻って見れば、後期ロマン派のミサ曲はあまり目立ったものがないのですが、20世紀に入ってハウエルズなど不協和音を使って素晴らしいミサ曲を書く作曲家が出てきた背景には、音楽が再びルネサンスのような和音を好み始めたという側面もあるのだと思います。作曲家であれば当然ですが、スコアリーディングでどんな響きであるかはわかるわけで、その音楽を聴いたことがなくても響きに触れることはできるわけです。

そんな背景を十分に知ってか、ラトルはことさら音楽をアジテートさせず、淡々と鳴らすことに傾注させているように思います。図書館から借りてきたものではカラヤンよりはヤンソンスに近いスタンスだと思います。これが物足りないという意見もありますが、私は特に第5番でシベリウスパレストリーナに範をとったという事実からすれば、むしろこれくらい淡々としたほうがいいのではと思います。以前から申し上げていますが、シベリウス国粋主義者ではなく、ごく自然な愛国心をもった一市民であったのです。私はそれをこの2曲で高らかに宣言していると思うのです。

だからこそラトルは、音楽を淡々と鳴らしているのだとすれば、そうではない演奏はいったいなぜそう演奏するのかと「自分の頭で考える」必要があるように思います。



聴いているCD
ジャン・シベリウス作曲
交響曲第4番イ短調作品63
交響曲第6番ニ短調作品104
サイモン・ラトル指揮
バーミンガム交響楽団
(旧東芝EMI TOCE55497)



このブログは「にほんブログ村」に参加しています。

にほんブログ村 クラシックブログへ
にほんブログ村
にほんブログ村 クラシックブログ クラシック音楽鑑賞へ
にほんブログ村
にほんブログ村 クラシックブログ クラシックCD鑑賞へ
にほんブログ村
にほんブログ村 クラシックブログ 合唱・コーラスへ
にほんブログ村

地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。