東京の図書館から、シリーズで府中市立図書館のライブラリである、オトマール・スウィトナー指揮シュターツカペレ・ベルリンによるベートーヴェンの交響曲全集を取り上げていますが、今回はその最後である第5集を取り上げます。
第5集には第7番と第8番が収録されています。え、第九が最後じゃないの?という、ア・ナ・タ。勿論この全集の最後は第九で、それが第6集なのですが、それはすでにCDで持っておりますので割愛です。そして飛ばした第4集には第6番「田園」が収録されておりますので、これもCDを持っているので割愛です。
ここまで聴いてきますと、第九以外は判断を間違えたと言っていいような気がしています。つまり、今回借りてきてリッピングした作品こそ、私の美意識に沿ったものであった、と言えるのです。買った時は高校生~大学生という時代。その時は私もベートーヴェン交響曲ヒエラルヒーに毒されていましたので、標題曲以外はクソ、くらいに思っていました、はっきり言えば。
そんなクズだったからこそ、標題曲以外の作品の良さなんか、わからなかったんだと思います。大体、渋谷のオーチャードホールのこけら落としシリーズだったベートーヴェン・ツィクルスだって第5番と第九しか聴きに行かなかったですしね。多分、第2番だとか第4番だったら、比較的余裕でチケット取れたはずなのに、アホです。
ここまで聴いてくると、スウィトナーがこの全集で言いたいことが、なんとなく浮かび上がってきます。第7番はどっしりとしつつもとても躍動感があってオケに歌わせていますし、第8番はむしろリズミカルで、メトロノームの存在を感じるような演奏になっています。これは実は、第九の解釈にそのままつながっています。
つまり、スウィトナーとしては、標題曲である第3番、第5番、第6番はベートーヴェンの交響曲の中では確かに素晴らしいのだけれど異形の存在であって、それ以外の作品が王道であり、それはまっすぐ第九へとつながっているんだというものです。そう思わざるを得ないような解釈が見られるのです。
そこには気が付かなかったなあと思います。どうしても派手なところに目が行ってしまいます。しかし職人スウィトナーはそうではなく、もっと地味な作業も見つめましょうと提案しているんですね。いやあ、これには参りました。
それはベートーヴェンの「神格化」への反論、あるいは警鐘だと言ってもいいのだろうと思います。人間ベートーヴェンを見つめましょう、というような。そのためにあえて標題曲は個性的な解釈を示して見せた、とも言えそうです。そういえば、N響との演奏ではそれほど冒険していなかったような・・・・・
府中市とその周辺4市に住む皆さん、この資料は宝なので、大切に扱いましょう!第2番はすでにちょっとだけ音がとび気味・・・・・これ以上、盤面を傷つけてしまうとデータすら読めなくなります。これだけの内容を持つ演奏です。ぜひとも後世に伝えて行こうじゃありませんか!
聴いている音源
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲
交響曲第7番イ長調作品92
交響曲第8番ヘ長調作品93
オトマール・スウィトナー指揮
ベルリン・シュターツカペレ(ベルリン国立歌劇場管弦楽団)
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