かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から~府中市立図書館~:スウィトナー指揮シュターツカペレ・ベルリンのシューベルト交響曲全集3

東京の図書館から、シリーズで府中市立図書館のライブラリであるスウィトナーシュターツカペレ・ベルリンによるシューベルト交響曲全集をとりあげていますが。今回はその第3集をとりあげます。

番号順に収録されているこの全集、第3集は第5番と第6番が収録されています。第5番はシューベルト交響曲の中でもかなり有名で演奏頻度も多い作品ではないでしょうか。ただ、特徴として編成が小さく、いくつかの管楽器が抜けているという点があります。

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なので、このシュターツカペレ・ベルリンもそのようになっているはずですが、そもそも、シューベルトの時代のオーケストラの編成って、現代と比べそれほど大きなものではないはずなんです。バロックの時代から前期ロマン派の時代は数十年経ったというあたりで、まだまだ編成としてはバロックに毛が生えたものに近い感じだったはずなんです。

ですから、こういったいくつかの楽器が抜けている、なんてことは古典派ではよくあったことなんです。そもそも、楽器がそれほど発達していませんから。しかも、初演は不明ですがおそらく私設オーケストラ用だったことを考えると、管楽器が抜けるという編成は特段珍しいことではなかっただろうと思います。

それでも、シュターツカペレ・ベルリンという現代のオケ、そしてその現代オケを振る指揮者スウィトナーの手にかかれば、そんな編成の変わったところなど何も気にせず聴くことができます。これのどこが変なの?と私たち聴衆の側は思うはずです。演奏者側ではいろいろあるでしょうが・・・・・・

生き生きとして溌溂な演奏は、シューベルト交響曲が持つ旋律性と歌謡性、その二つが織り成す綾の美しさと精神を存分に放ち、気持ちがいいです。「音を楽しむと書いて音楽」とはよく言われる言葉ですが、まさに文字通りだと思います。

続く第6番。表かとしてはこの第6番のほうが第5番よりは玄人筋では高いようですが、演奏機会はそれほどでもないような気がします。

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けれどもそんな作品がシュターツカペレ・ベルリンスウィトナーの手にかかるとあら不思議!見事な玉手箱だということが明確になるんです。シューベルトの個性って言いますが、それはどちらもなんじゃない?その優劣ってあるの?とオケから言われている気がします。

シューベルトという作曲家は、主にサロンで活躍した作曲家であるということを、結構知らない人が多いのではないでしょうか?つまり、自分の主張を存分にするんだけど、けれどもそれは仲間内である、ということです。そのことをシューベルトがわかっていたとすると、交響曲にいろんな顔があることは当たり前である、ともいえるわけなので・・・・・

それは、ベートーヴェンもそうでした。だからこそベートーヴェンは、シューベルトを評価していた・・・・・音楽としては結構違いがあるとしても。その精神への共感が、この二つの作品の演奏にはあふれています。旧東独で、ですよ?

こういった演奏が何不自由なく聴ける現代は、本当に素晴らしい時代だと思います。75年前は、そんな時代ではありませんでした・・・・・

 


聴いている音源
フランツ・シューベルト作曲
交響曲第5番変ロ長調D485
交響曲第6番ハ長調D589
オトマール・スウィトナー指揮
シュターツカペレ・ベルリン

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