かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から~府中市立図書館~:ヒンデミット「ルードゥス・トリナス」

東京の図書館から、今回はヒンデミットが作曲した「ルードゥス・トリナス」を収録したアルバムをご紹介します。そもそもは、「ヴェデルニコフの芸術」の第14集なのですが・・・・・

演奏者もさることながら、ヒンデミットのこの作品は、「20世紀版平均律クラヴィーア曲集」として作曲が目指された作品ですが、私が聞くに、それは間違いであろうと思います。バッハのそのテキストでは20世紀は不足だ、とヒンデミットが考えてそれを置き換えるべく作曲されたものと私は解釈しています。

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クラヴィーア曲、つまりピアノの作品はその楽器の性能の向上につれて、フーガ以外の表現もたくさん作曲されることとなりました。和声的にも20世紀は無調や不協和音の多用など、バッハの時代とは異なる様相を見せるようになり、それは必然的にバッハの「平均律クラヴィーア曲集」だけでは足りなくなるのは当然のことです。

ドビュッシーはそれを見越して作曲もしていますが、ヒンデミットの時代はさらにそれでも足らない時代となりました。そんな意識がヒンデミットの中に有った様に思います。20世紀までに成立したピアノの技法をすべて詰め込み、時代にあった練習曲を書きたい・・・・・そんな思惑が聴いてて随所に見え隠れしています。

確かに中心にはフーガが存在しますが、それ以外はではプレリュードなのかと言えばそんなことはないわけで、それは20世紀という時代を考えれば当然であると言えるでしょう。

そんなヒンデミットの意思に共感して弾いているのが、演奏者のアナトリー・ヴェデルニコフ。知られざるピアニストという側面の方が多くの人にとってはより鮮明なのではないでしょうか。そもそもこの曲の日本語訳は「音の遊び」。そこには、20世紀までのピアノ曲が歩んで来た道のりというものが詰まっており、まるで歌いながら演奏をするかのような指示すら題名からは見えます。

その「音の遊び」を、ヴェデルニコフはやっているんですね。なのでただ弾いていますというのではなく、楽しんでいる様子が手に取るようにわかるのもこの演奏の魅力の一つでしょう。ヴェデルニコフという人は本当にそういった表現力には幅がある人で、昔から好きなピアニストで、実はこの「ヴェデルニコフの芸術」シリーズは集めようかとも思ったこともあるのですが、多すぎるんです、ほんと・・・・・ハイレゾで出ないかなあと思います。ちょっと今は出が出ないという感じです。

日本ともゆかりの深いヴェデルニコフ

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シリーズで持っていてもいいなあと思う、今日この頃です。

 


聴いている音源
パウルヒンデミット作曲
ルードゥス・トリナス(対位法、調性機能、ピアノ演奏の研究)
アナトリー・ヴェデルニコフ(ピアノ)

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