かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から~府中市立図書館~:東京クァルテットによるベートーヴェン弦楽四重奏曲集6

東京の図書館から、6回シリーズで取り上げております、府中市立図書館のライブラリである、東京クァルテットによるベートーヴェン弦楽四重奏曲集、今回はその第6回目となりました。第15番と第16番が収録されています。

交響曲第9番よりも遅く作曲された作品132と135である弦楽四重奏曲第15番と第16番。ベートーヴェン晩年の幾分落ち着いた感すらある2つの曲ですが、第15番では第1楽章に激しさもあります。そんなベートーヴェンの人生を反映したかのように、時に激しく、時に安らかに、あるいは諧謔的に演奏する東京クァルテット。楽聖として神格化するのではなく、一人の人間として捉える姿勢は高評価です。その解釈こそ、東京クァルテットのメンバーがなぜ帰国せずにアメリカに根を下ろし本拠として活動したのかが見えてくるように思うのは私だけなのでしょうか?

いまだに、日本ではベートーヴェンを神格化する人が、私の年代以上の方には多い気がします。え?いくつなんだって?それは・・・・・ナイショです。まあ、察してくださいませ。youtuberカコ鉄さんのように永遠のハタチ・・・というのはいかにも苦しいですが。

とにかく、ベートーヴェンを神格化したがるんです、日本人は。しかしベートーヴェンも甥のカールに対してはかなりやらかしてますし・・・まことに人間臭いです。この21世紀に生きていたなら確実に芸能誌にすっぱ抜かれることは確実にしています(そしてベートーヴェンはその結果を引き受けてもいます)。その生活、あるいは人生の中で、感じたこと、思っていることを、古典派の様式美の中で最大限表現したのがベートーヴェンでした。その音楽に触れ、さらにモーツァルトの快活さも取り入れて、自らの表現を追及していった時代がロマン派です。いうなれば、モーツァルトベートーヴェンという二人がいなければ、ロマン派という音楽運動は成立し得なかったと言えます。この二人、ほんとうにいろんなことをやらかしていますから・・・でも、だからこそ憎めない面もあるわけです。そして普遍的な芸術を生み出しました。その芸術はいまだ21世紀におけるあらゆる音楽ジャンルに影響を与えています。

アメリカという、個人を大切にする社会だからこそ、人間ベートーヴェンという視点に触れることができ、自らの芸術を存分に表現できる場があった・・・そうとしか、アメリカを本拠とした理由は見当たりません。勿論、人間の関係性もあったでしょうが(小澤征爾とか)、それだけでアメリカを本拠とすることは、実際に演奏をする職人だからこそ理由にならないと思います。まずは実力が伴わなければなりません。そのうえで自らが納得して活動できる環境があるかどうか。そこが重要だったのでは?と思います。

そんなアメリカ社会だからこそ、人間ベートーヴェンを表現できる環境だったとすれば、東京クァルテットのメンバーがアメリカを本拠とした理由は、何となく想像できるのですよね。現在の日本社会を見るにつけ、いまだに東京クァルテットの演奏は光り輝いていると感じます。確かに日本人の演奏レベルは上がりましたし、海外アーティストに一喜一憂する必要もないと思いますが、しかしその芸術家たちを受け入れる私たちが真に受け入れる用意が出来ているのか・・・・・私自身、考え込んでしまうのです。いまだに強烈なメッセージを持った名演です。

 


聴いている音源
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲
弦楽四重奏曲第15番イ短調作品132
弦楽四重奏曲第16番ヘ長調作品135
東京クァルテット
 ピーター・ウンジャン(第1ヴァイオリン)
 池田菊衛(第2ヴァイオリン)
 磯村和英(ヴィオラ
 原田禎夫(チェロ)

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。