かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から~府中市立図書館~:東京クァルテットによるベートーヴェン弦楽四重奏曲集5

東京の図書館から、府中市立図書館のライブラリである、東京クァルテットによるベートーヴェン弦楽四重奏曲集を6回シリーズで取り上げていますが、今回はその第5回目。第13番と「大フーガ」が収録されたアルバムをご紹介します。

第13番はベートーヴェンが最終楽章を書き直していることで有名な作品ですが、その書き直す前のものが「大フーガ」とされ作品133となっています。このアルバムでは第13番作品130としながらも、作品133つきという形になっています。これはあからさまに大フーガこそ正当な終楽章であると宣言したものと考えてよいでしょう。

大抵、大フーガは別に記載されるものなのですが、第13番作品130のなかに含まれるという記載になっているんです。第13番を収録する場合、全6楽章ある作品で通常の第6楽章まで演奏し別に大フーガを録音するケースと大フーガを第6楽章に持ってきて最後にカップリングの形で第6楽章を収録するケースと2つありますが、この録音では後者です。

そういう場合は、まず演奏者あるいは編集者が、大フーガ作品133が正当な第6楽章だと考えていると表明していると受け止めていいと思います。ただ、この演奏の場合、大フーガも第6楽章も同じような表現になっているのが特徴です。アルバン・ベルク四重奏団の演奏のように、大フーガはかなりアインザッツ強めにして想いを込めている一方で第6楽章はさらりと演奏しているのとは異なり、大フーガも第6楽章も同じように陰影をつけたりさらりと弾いたりアインザッツが強かったりしており、東京クァルテットは両方とも平等に扱っています。

これは、あくまでも私の私見ですが、東京クァルテットのメンバーが「人間ベートーヴェン」という切り口で演奏をしているからに他ならないと考えます。ベートーヴェンは作品番号を付けなかった作品も数多く残しておりそれにはWoOという表記がつけられ整理されています。ですが大フーガには作品番号が振られたのです。それはベートーヴェンが悩んだ末の結果なのでは?という東京クァルテットのメンバーの解釈だと考えていいでしょう。私自身大フーガのほうがふさわしいと考えていますし、残された資料からベートーヴェンも同じように考えていたことは通説になっています。しかし実際に出版されている楽譜は終楽章は大フーガではありません。あまりにも終楽章が長すぎ、演奏も難しいことが理由です。古典派当時、出版されなければ収入はほとんどないに等しいわけで、生活のためやむを得ず比較的演奏しやすいものに差し替えたのですから。

その経過をどう解釈するのかは、演奏者に任されたとも言えます。ベートーヴェンが元の終楽章に作品番号をつけたのは、後世の人に判断を委ねたと言えるからです。東京クァルテットのメンバーははっきりと、ベートーヴェンが本当に終楽章として演奏してほしいのは大フーガだ、と宣言したと考えるというのは、その歴史的経過から私は判断しています。私自身も同じように、大フーガこそ、ベートーヴェンが最終楽章として演奏してほしいものだと考えており、アマチュアながら東京クァルテットのメンバーと同じ解釈です。

私自身は音大出身ではなく私大の文学部史学科国史学専攻卒ですが、あるゼミの教授から言われた言葉がいまでも忘れられません。「史料をもとに、その行間を読め」。これは音楽史でも同じであると考えます。国や地域が異なるだけです。なので歴史をどう判断するかということで言えば、東京クァルテットのメンバーも私も同じ作業をしているに過ぎないのです。それが歴史学というものです。そのうえで、東京クァルテットのメンバーは史料の一つとしてスコアリーディングをしているわけです。私は史料をもとに卒業論文を書き、東京クァルテットのメンバーは演奏をしている。私にとっては表現が卒業論文で、東京クァルテットのメンバーは演奏、ということです。表面的な行動が異なるだけで、やっていることはアウトプットなので同じであるわけです。

だからこそ、演奏に共感したりできるのです。歴史家として私はどうとらえ、音楽家として東京クァルテットのメンバーはどうとらえるのか。同じ史料に向き合った時、どれくらい交わるのか。私はアマチュアながら歴史家だからこそ、クラシック音楽に共感できるのだと理解できたのはつい最近のことです。ようやく言語化できたなあという感じです。国史学学士というのは、ある意味アマチュア歴史家ですから。19世紀に書かれた音楽の楽譜は、ある意味印刷された史料です。国史学においても、例えば日本書紀を紐解く時、奈良時代に書かれた実物を触るなんてことはありません。印刷され出版されたものを使います(国史大系という形になっています)。私も卒業論文は古代最後の院政期でしたが、それも史料は印刷されたものを使いました。さて、現在の音楽家が史料とする楽譜が、ベートーヴェン直筆のものということがあるでしょうか?そんなことはありません。印刷されたものを使うはずです。直筆譜を持っているドイツやオーストリアの団体すら、基本印刷されている楽譜を使うはずです。それを見て読み解くのがスコアリーディングです。同じように史料から読み解くのが歴史家の仕事です。その表現は、演奏家は当然演奏ですし、歴史家が論文であることは一目瞭然です。

同じ作業を行っている「仲間」という意識が、私の中には強くあります。東京クァルテットの演奏は、そこに仲間がいるとはっきり示している、私にとっては感動的なものなのです。

 


聴いている音源
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲
弦楽四重奏曲第13番変ロ長調作品130(大フーガ変ロ長調作品133つき)
東京クァルテット
 ピーター・ウンジャン(第1ヴァイオリン)
 池田菊衛(第2ヴァイオリン)
 磯村和英(ヴィオラ
 原田禎夫(チェロ)

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