かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から~府中市立図書館~:東京クァルテットによるベートーヴェン弦楽四重奏曲集2

東京の図書館から、6回シリーズで取り上げております、府中市立図書館のライブラリである、東京クァルテットによるベートーヴェン弦楽四重奏曲集、今回はその第2回です。

今回収録されているのは、第8番「ラズモフスキー第2番」と第10番です。なぜか第9番ではないというのが面白いですね。これもCDの収録時間が理由かもしれません。

この第2集では第1集の第7番に比べますと、多少ゆったりとしたテンポも存在します。そのうえで、アインザッツは強め。第8番第1楽章はまるでアルバン・ベルク四重奏団のようですが、第10番ではゆったりとしたテンポもあるせいかどことなくアルバン・ベルク四重奏団とは違った雰囲気が漂います。

こういう個性があることが、アメリカにおいて評価されたのだと思います。なぜ彼らが日本人でありながら本拠地をアメリカと定めたのかを考えるとき、やはりアメリカの社会というものを考えざるを得ません。私たち聴衆は演奏を評価しますが、しかし彼らの中には「日本を本拠としても・・・」という想いがあったのでは?という気がします。

おそらくですが、彼らの演奏は創立当初からしばらくは日本では評価されなかったのでは?と思います。日本だとアルバン・ベルク四重奏団をまるで神のように崇め奉り、似たような演奏じゃないと支持しないという勢力が一定数いると想像できます。そうなると、日本を本拠して、どれだけ活躍できるでしょうか?しかも結成された1969年という時代を考えると今よりもクラシック音楽を愛好する人口は少なかったはずです。食えないですよね、音楽では・・・

ja.wikipedia.org

であれば、やはりヨーロッパかアメリカ、ということになるでしょう。そして時代が移り変わりいつしか日本人にもこだわらなくなります。それはアメリカという土地を本拠とした彼らの想いがあったからこそだと想像するのはさほど難しいことではないでしょう。実際、日本の団体や個人がクラシック音楽においても真に評価され始めたのは、コロナ禍において、海外のアーティストが来日できなくなり、国内で指揮者やソリストを賄わなければならなくなってからです。勿論それ以前でも小澤征爾朝比奈隆なとが評価はされていましたが、しかしどこか「やっぱり日本人だからどうも・・・」という視点がなかったか?と思います。しかし海外から来日できなくなってしまって初めて、自分たちの足元にも優れた芸術家が大勢いることに気が付いたのではないでしょうか?その空気を、東京クァルテット創立メンバーたちはひしひしと感じていたことでしょう。だからこそ、アメリカに本拠を置き、世界中を飛び回る必要があったといえます。

私自身も、おそらく社会人になりたてくらいまでは、日本の演奏家だとどうもね、と思っていたことがあります。私がそうであるくらいなのですから、おそらく大勢のクラシックファンがそのように思っていたはずです。しかし時代は移り変わり、残響のいいホールもたくさんでき、演奏レベルも上がったことから、特段海外アーティストにこだわる必要が無くなったと言えます。私のようにコロナになる以前から、いや、日本人にもいい音楽家はたくさんいるし、アマチュアだってレベルが高いと言い続けていた人が、評論家の中でも一体どれくらいいたことでしょう?それを考えれば、東京クァルテットのメンバーがなぜアメリカを本拠としたのか、想像はつくと思います。

いまや日本人の指揮者や演奏家も海外を拠点に活躍する時代になりました。しかし本当に音楽家が望んでいるのは、日本に本拠を置いても十分に評価され音楽活動ができることではないかという気がするのは、私だけなのでしょうか・・・・・

 


聴いている音源
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲
弦楽四重奏曲第8番ホ短調作品59-2「ラズモフスキー第2番」
弦楽四重奏曲第10番変ホ長調作品74
東京クァルテット
 ピーター・ウンジャン(第1ヴァイオリン)
 池田菊衛(第2ヴァイオリン)
 磯村和英(ヴィオラ
 原田禎夫(チェロ)

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。