かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から~府中市立図書館~:ブリテン ピアノ協奏曲他

東京の図書館から、今回は府中市立図書館のライブラリである、ブリテンのピアノ協奏曲他を収録したアルバムをご紹介します。

ベンジャミン・ブリテンは20世紀イギリスの作曲家。幾度かこのブログでも取り上げている作曲家ですが、様式的には保守的と言われますし、私もその通りだと思います。とはいえ、実はショスタコーヴィチの音楽を受け入れたり、ベルグに弟子入りしようとしたりと、ブリテンが生きていた時代の先端音楽にも興味を示した人だったのです。なのでブリテンの音楽は、調性音楽の範疇において、無調ともいえる音楽をいかに取り入れ、統合するかが特徴であると言えます。

ブリテンが保守的な音楽を書いたのは事実なのですが、その音楽の中には実にいろんな歴史の産物が含まれており、さらに当時の先端音楽も積極的に取り入れていると言えるのです。このアルバムには、そんなブリテンの音楽的特徴がはっきりと示されていると言えます。

第1曲目は、ブリテンが作曲した唯一のピアノ協奏曲。4楽章制を採っています。え?協奏曲で?と思いますよね。そうなんです、協奏曲なのにこの曲は4楽章制なんです。それだけでもどこか他の曲とは違う点がプンプン匂いますね。しかも、各楽章には明らかに舞曲と思わしき名前がついています。第3楽章は「即興曲」と名付けられていますが、実はパッサカリア。どう見ても、バロックを意識したとしか見えないんですよね。しかも、第3楽章はもともとは「レチタティーヴォとアリア」とされており、1947年の改訂で置き換えられました。このアルバムにはなんとその両方の第3楽章が収録され、見た目には5楽章あるように見えます。

ja.wikipedia.org

ブリテンのピアノ協奏曲は、私は二つの意味が込められていると感じます。一つは、4楽章制が持つメッセージ。3楽章を4楽章にするということに意味が込められているように感じます。協奏曲の3楽章というものに特段の意味はないですが、3楽章は交響曲においてはこの時代「自由」を意味すると考えていいです。その3楽章を捨てて4楽章にするというのは、自由が失われているとというメッセージ。そしてもう一つは、バロック風なテーマが各楽章についていることです。私にはそれがバロックの「組曲」風に見えるんです。そしてその古いものが壊れていくという視点です。

この曲が作曲されたのは、1938年。戦争の影がちらついているときです。ナチスの台頭によって、自由が失われ、古き佳きものが壊されていく・・・・・ブリテンにその視点がなかったとはいいがたいのです。その証拠が、第4楽章の「行進曲」。決して威勢のいい音楽ではなく、むしろ不協和音などを使って複雑性を表現しています。どこか、ショスタコーヴィチ交響曲第5番を髣髴とさせます。

2曲目と3曲目はいわばセットのようなもの。2曲目「ソワレ・ミュジカル」と3曲目「マチネ・ミュジカル」はそれぞれロッシーニの作品からインスパイアされて作曲されたもので、旋律の一部はロッシーニの作品から採用され、ブリテン自身が手を加えたうえで展開させています。ソワレが1939年、マチネが1941年の作曲。どちらも第2次世界大戦直前から戦中にかけての作曲です。「ソワレ」は夜、「マチネ」は昼を意味しますが、どちらもバレエ音楽を想定して書かれた管弦楽作品です。ネットで検索しますと歌曲という文言もありますが、聞いている限り声楽は出てこないですし、ウィキペディアには管弦楽作品としか出ておらず、原曲は声楽とはありません。そのため、管弦楽作品として作曲されたと考えていいでしょう。そもそも、「ソワレ・ミュジカル」の第1楽章はロッシーニのあの有名な「ウィリアム・テル」から採用されていますし。ただ、歌曲の題名も出ているサイトやブログもありますので、ソワレは歌曲として最初成立した可能性はありますが、最終的には管弦楽作品として成立したと言えるでしょう。

二つとも、第1楽章には「行進曲」が据えられ、その後明らかに組曲風の曲名が各楽章に存在することを考えますと、この曲もピアノ協奏曲と同じく、戦争によって古き佳きものが壊されていくという切なさを表現した作品だと言っていいでしょう。そのため、これら3曲が集められたと考えるのが自然です。

演奏はラルフ・ゴトーニのピアノ、オッコ・カム指揮ヘルシングボルイ交響楽団。私たち日本人になじみのあるのは指揮のオッコ・カムだけなのではないでしょうか。ヘルシングボルイはヘルシンボリとも呼ばれ、スウェーデンの都市です。なので検索しますと「ヘルシンボリ交響楽団」がヒットします。スウェーデンのオーケストラはあまりききなれないと思いますが、じつに力強く表現力のあるオーケストラです。カムが指揮するので当然なのかもしれませんが、それであってもそもそもオーケストラに実力がないと指揮者の要求には答えられないわけなので・・・・・のびのびとした演奏が、かえって作品が内包する楽しさと哀しさのコントラストと、その陰にある複雑さを浮かび上がらせていると感じます。図書館では必ずしも自分のひいきのオーケストラの演奏が見つかるわけではないんですが、それゆえに思いもかけない素晴らしい演奏に出会えたりもします。その出会いがどれだけ人生を豊かにすることか。これがツタヤ図書館で果たして実現可能なのか?と考えてしまいます。日本人は図書館法に基づいて設置されている図書館を使いこなしていないのでは?と思います。そのことが、国益を損することがあってはならないと思うのですが、どうやら損する方向に向かっていると感じるのは私だけなのでしょうか・・・・・

 


聴いている音源
ベンジャミン・ブリテン作曲

ピアノ協奏曲ニ長調作品13
ソワレ・ミュジカル 作品9(ロッシーニによる5楽章の管弦楽第1組曲
マチネ・ミュジカル 作品24(ロッシーニによる5楽章の管弦楽第2組曲
ラルフ・ゴトーニ(ピアノ)
オッコ・カム指揮
ヘルシングボルイ交響楽団

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