かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から~小金井市立図書館~:ムラヴィンスキーとレニングラード・フィルのチャイコフスキー交響曲集2

東京の図書館から、3回シリーズで取り上げております、小金井市立図書館のライブラリである、エフゲニームラヴィンスキー指揮レニングラードフィルハーモニー管弦楽団の演奏によるチャイコフスキー交響曲集、今回は第2回として交響曲第5番の演奏を取りあげます。

このアルバムは実は2枚組です。でも、私は3回シリーズと言いました。矛盾していませんか?と言われそうですが、実はこの第5番は第1・2楽章が一枚目、第3・4楽章が2枚目に収録されているんです!いやあああああああああああああ!

・・・・・・そうなんです、分かれてしまっているんです。CD時代にはよくあるパターンですね。とほほ・・・・・

そのため、できれば第5番は独立して紹介したいなあと思ったところ、再生でうまく行きましたので、第5番だけ抜き出して取り上げました。どうやったかは別途エントリを立てたいと思っていますので、お楽しみに!

さて、その第5番。第4番に比べるとムラヴィンスキーレニングラード・フィルらしい、多少強迫めいた演奏が第4楽章で聴かれるのが特徴です。第4番では強迫的なものからは開放されたような印象があったのですが、第5番となるとそうもいかなかったようです。理由はわかりませんが、一つはホールがムジークフェラインザールだった、ということはあったのかもしれません。HMVのCD紹介のサイトで確認してみると、録音は1960年11月7~9日、ムジークフェラインザールとなっています。実は、チャイコフスキー交響曲第5番が正当な評価を得たのは、ウィーンでだったのです。祖国ロシアでは現代風に言えば「オワタ」とさせ言われ、散々な評価でした。

その歴史を、ムラヴィンスキーレニングラード・フィルの団員たちが知らないはずはありません。正当な評価をしてくれたウィーンの地で、しかもホールはウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の本拠地で、自分たちが演奏する・・・・・緊張しないはずがありません。勿論、当時のソ連のことですから、監視はついています。ですが、第4番の演奏を聴きますとどこか開放されている印象がありますので、なおさら作品が評価された地におけるレコーディングには、様々な想いが交錯したはずです。開放と監視と、そして緊張、その他・・・・

そんな様々な団員達の想いが、演奏を聴きますと強く伝わってきます。運命主題が明確な作品であり、チャイコフスキー自身の精神の反映でもある第5番。その精神性を、演奏する自分たちに引き寄せて表現していても、なんらおかしくありませんし、むしろその意思がしっかり伝わってきます。

ロシアの人びとも、私たちと同じ人間です。よく敵国なので悪く言う人も多いのですが、基本政府に関係していない人であればそれほど私たちと差があるわけではありません(たいてい、国際関係は政府間の問題ですから)。日本人のなかでもいろんな人がいるのと同じように、ロシアや他の国の人でもいろんな人がいる。どんな状況であってもそれだけは忘れたくはないなあと、この演奏を聴きますと思います。たとえロシアが敵国であったとしても・・・・・

私たち日本人だけでなく、ロシアの為政者にも、持っておいてほしいものです。

 


聴いている音源
ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー作曲
交響曲第5番ホ短調作品64
エフゲニ・ムラヴィンスキー指揮
レニングラードフィルハーモニー管弦楽団

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。