かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から~小金井市立図書館~:ベームとウィーン・フィルのベートーヴェン交響曲全集から4

東京の図書館から、4回シリーズで小金井市立図書館のライブラリである、カール・ベーム指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏によるベートーヴェン交響曲全集から、今回は最後の第6番とシューベルトの第5番が収録されたアルバムをご紹介します。

ベートーヴェン交響曲全集にシューベルトが収録されるのも珍しいと言えますが、ただベートーヴェンシューベルトに関係がなかったわけではないので、これもアリだと思います。

第6番はすでに、NHKホールでのライブのものを持っているわけなのですが、これはもちろんウィーン楽友協会ホール、ムジークフェライン・ザール。録音は1971年。シューベルトの第5番は1979年。いずれも日本ツアーに比較的近い時期に収録されたと言えます。なのでほとんど解釈は変わっていないんですが、若干NHKホールの演奏のほうよりも落ち着いているなという印象を持ちます。舞踏性には優れていますし素晴らしいのですが、どこか熱が感じられないんです。

NHKホールはムジークフェラインザールに比べれば残響時間は短いのですが、しかし演奏の熱という点ではむしろこの録音よりも優れているのでは?という気がしています。やはりライヴ録音というのは違うのだなあと思い知らされます。

シューベルトベームらしい解釈で落ち着いており、どっしり系。ですが二つの作品とも演奏がつまらないとは感じないのが不思議です。それはやはり、指揮者と団員達が過ごしてきた人生と経験であると言っていいでしょう。とはいえ、それが必ずしも幸せなのかといえばそうではないですが・・・・・ただ、聴いている側としては、深い譜読みに裏打ちされた演奏をじっくりと味わうことができるのは幸せだと言えるでしょう。ただ、私たち聴衆が、演奏者たちが人生において経験した艱難辛苦が想像できるか?ということが大事かなと思います。

それが想像できない人たちが、最近多いように思うのは私だけなんでしょうか・・・・・だれが好き好んで艱難辛苦を得ようとするでしょうか?誰だっていやではないでしょうか?自らの目標のために努力する経緯の中で苦しみがあることは容認できても、望みもしない艱難辛苦をだれが喜びましょうや?そこへの想像力は持っていたいものだなあと思います。

確かに私自身もいろんな経験の中で、「自分を超えた大きな力」に対し感謝していることはたくさんあります。苦難もあたえられたものだと考えて受け入れている自分がいます。だからと言ってそれを好き好んでやる必要があるでしょうか?なら自分はできるのかと問うこともまた必要なのではないでしょうか。

ベームのタクトを聴くということは、実は自らの人生を顧み、俯瞰するために与えられたギフトではないのだろうかと、私自身は思います。むしろ自らの思い上がりや高慢さを戒めるために与えられたものだ、と。そう考えられることが幸せなことなのではないかと、聴いていて私は思うのです・・・・・

 


聴いている音源
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲
交響曲第6番ヘ長調作品67「田園」
フランツ・シューベルト作曲
交響曲第5番変ロ長調D485
カール・ベーム指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。