かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から~小金井市立図書館~:ベームとウィーン・フィルのベートーヴェン交響曲全集から3

東京の図書館から、4回シリーズで、小金井市立図書館のライブラリである、カール・ベーム指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団ベートーヴェン交響曲全集から、今回は交響曲第3番「英雄」とエグモント序曲を収録したアルバムをご紹介します。

第3番「英雄」も、ベームらしくどっしりとした演奏になっています。その分、英雄の華々しさは影が薄く、どちらかといえば壮麗な感じが強い演奏です。これも収録された1970年代という時代を反映していると思います。

収録されたのは1972年。第2次世界大戦が終わって27年後です。戦争が終わって確かに時間は経っていますが、同時ヨーロッパは冷戦真っ只中。いつ戦争が起きてもおかしくないという状況でかつ、仮に起こったとすれば核戦争という、張り詰めた状況です。どうしても戦争経験がフラッシュバックせざるを得ない状況だといえます。

そんな中で、戦争をことさら強調するような演奏を、演奏者がするだろうかと考えるのです。むしろだれか英雄が出てきて、その状況を終わらせてほしいと願うほうが先ではないでしょうか。しかしその願いもまた、ドイツやオーストリアではナチスドイツの台頭を想起させるわけなのです。そしてその出来事は、この録音からわずか40年ほどしか経っていない、とも言えるわけです。

そういった自分たちが経験した歴史を踏まえての、「英雄」という曲の解釈が行われているような気がするのです。英雄とはどういう存在か、どう描くべきなのか。そしてベートーヴェン自身はどのように感じて作品を作曲し、自分たちもまた自身の経験を踏まえてどのようにアプローチをするのか。その結果が演奏に反映されていると感じるのです。

ベートーヴェンが「英雄」を作曲した時代も、ヨーロッパは戦争の嵐が吹き荒れていました。「英雄」のモティーフになったのは有名な話ですがフランスのナポレオンです。ベートーヴェンにとっては専制を終わらせてくれるまさに「英雄」だったわけですが、そのナポレオンが王になったことでベートーヴェンは幻滅したといわれています。なんのための戦争だったのかと、ベートーヴェンは考えたことがうかがえます。

同じことが、1930年代~1945年のドイツでも起こったわけです。その時代を経験した人たちが、この演奏の収録に参加しているわけです。フラッシュバックしないわけがないと言えます。カール・ベームの解釈はもちろん、その過程において参画したウィーン・フィルの団員達にも影響を与えたことはたやすく想像できます。

第3番「英雄」の第4楽章にはベートーヴェンが作曲した「プロメテウスの創造物」から旋律が使われ、カップリングは「エグモント」。真に英雄的行動とは何ぞや?と演奏は問いかけているように思います。人類に「火」を与えたプロメテウス。文明のきっかけになったのと同時に、人類にいさかいも与えた「火」。市民のために犠牲を顧みなかった「エグモント公」。どれも、現代の私たちでも考えさせられる題材です。このカップリングになったのは偶然ではなく編集側では必然だったのでは?と私は考えてしまいます。それだけ、演奏で訴えたいことが山ほどあり、言葉では伝えきれないことを演奏なら伝えられるという信念を、演奏から感じます。

だからこそ、決してテンポ的には私好みではないにせよ、心を打つんです。こういった演奏はやはり、名演です。

 


ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲
交響曲第3番変ホ長調作品55「英雄」
「エグモント」序曲 作品84
カール・ベーム指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

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