かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から~小金井市立図書館~:退廃音楽シリーズ

東京の図書館から、小金井市立図書館のライブラリである、退廃音楽シリーズの一枚を取り上げます。

退廃音楽シリーズは、以前「今月のお買いもの」コーナーで取り上げていますが、今一度退廃音楽と何か?を確認しておきましょう。

ja.wikipedia.org

ようするに、ナチスが推し進める理想的な社会を妨害する音楽、というのが端的な説明でしょう。しかしこれは、1930年代のヨーロッパでは広く認識されていた価値観でもあったことを、申し添えておきます。

その意味では、ナチスの台頭は自然なものだったともいえますが、それはここでは置いといて・・・・・

上記ウィキで出てくる作曲家が、このアルバムには二人います。ヴァイルとクルシェネクです。ジャズ的という意味では、1曲目のコルンゴルトもまさにと言えるでしょう。つまり、このアルバムは退廃音楽がどのようなものだったのかを、端的に知ることができる一枚になっていると言えるでしょう。

ja.wikipedia.org

ja.wikipedia.org

ja.wikipedia.org

このアルバムではクルシェネクはクシェネクと記載されていましたが同じ人物です。

今聴いてみますと、コルンゴルトは映画音楽的な要素がありつつも非常にダイナミックですし、ヴァイルはオーケストラの響きとソリストとの共演振りが絶妙!そしてクルシェネクは3つの楽章がつながっていつつも、洒脱な音楽は気品すら感じます。

このように魅力満載なのに、要するに和声やバックボーンだけで否定された音楽であったと言えるのです。ヴァイルなどは単にユダヤ人というだけで、です。その音楽をかみしめての否定ではないという点が怖ろしく感じます。ですが・・・・・

それは現代的問題でもあります。ロシアのウクライナ侵攻によって、それは図らずも浮かび上がったと言えるでしょう。このナチスの指定を、一体現代誰が批判できるのでしょうか。欧米やロシアのプロパガンダに踊らされて、相互の芸術をも否定するような動きが出ていることを、私は憂慮します。その結果、ナチスと同じ過ちを繰り返そうとしているのはいったい誰なのでしょうか?

ウクライナの人々が、戦争が終わったらチャイコフスキーを演奏したいと語ったことがとても印象的に残っています。ロシアの侵攻は許さないが、しかし芸術は愛している・・・・・この境界線引きが理解できない人が、日本には欧米派、ロシア派双方に多数存在する事が残念でなりません。結果、21世紀の退廃音楽が生まれるのではないかと危惧しております。

その意味では、このアルバムの価値はさらに高まったと言えるでしょう。その演奏を、ベルリン響が行っており、しかも卓越した表現力で作品の魅力を引き出しているということで、一つのメッセージになっている点も、重要でしょう。今こそ、多くの人にこの「退廃音楽シリーズ」は聴かれるべきだと思いますし、ぜひとも再販を、できればハイレゾでお願いしたいところです。録音状態も素晴らしいもので、DSEE HXを動作させてハイレゾ相当で聴きますと、その臨場感は素晴らしいものがありますので・・・・・

 


聴いている音源
退廃音楽シリーズ
エーリヒ・コルンゴルト作曲
ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品35
クルト・ヴァイル作曲
ヴァイオリンと管楽のための協奏曲 作品12
エルンスト・クシェネク作曲
ヴァイオリン協奏曲第1番作品29
シャンタル・ジュイエ(ヴァイオリン)
ジョン・マウチェリー指揮
ベルリン放送交響楽団

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。