かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から~府中市立図書館~:ショスタコーヴィチとプロコフィエフのヴァイオリン協奏曲集

東京の図書館から、今回は府中市立図書館のライブラリである、ショスタコーヴィチプロコフィエフのヴァイオリン協奏曲集を取り上げます。

ショスタコーヴィチプロコフィエフ。どちらも旧ソ連の作曲家ですが、出身がともにサンクトペテルブルク音楽院ということで共通しています。活動した時代も重なっており、その点で二つ収録されたと考えていいでしょう。そして、このアルバムでは、ショスタコーヴィチのは第1番が、プロコフィエフのは第2番が収録され、誰かのヴァイオリン協奏曲全集と見まごうアルバムです。この点からも、編集者がこの二人の関係を聴き比べるという視点があると考えていいでしょう。

ですが、二人の生涯を比べた時、細かい点では異なる点も多いうえ、プロコフィエフが決してソ連当局と仲が良くなかったわけではない一方、ショスタコーヴィチは当局の顔いろを見ながら創作したという点が決定的に異なるかと思います。

ja.wikipedia.org

ja.wikipedia.org

ですが、二人とも不協和音を使ったロシア的な作品を創作したという点では、共通したものを持っています。このアルバムを聴きますと、意外にも同じ作曲家かも?と思ってしまうような和声が共通して聴きとれる部分があるのに驚いてしまいます。亡命したけれど望郷の思いが強く帰国したプロコフィエフ、亡命したかったけれどできずにとどまったショスタコーヴィチ。結果的に二人とも生涯最後は祖国で過ごしたことは共通しています。それだけ愛国者でもあった、ということになります。けれども、ではボリシェビキに対して融合的だったかといえば必ずしもそうではないという。複雑さもあるのも共通しています。プロコフィエフは1人目の妻と離婚すると金は権力を利用していますので、ショスタコーヴィチよりは当局との関係性は悪くなかったと言えるでしょう。とはいえ、全面的に信用していたかと言えば・・・・・疑問符が付くように思います。

その点で、ショスタコーヴィチプロコフィエフの二人は。同じ方向を向いていた、ともいえるのかもしれません。市民と権力、芸術と当局、その二つの関係性を、聴いているとどうしても考えてしまいます。それは作品と紡ぎ出した作曲家が、似た境遇を持っていたとすれば、腑に落ちるように感じるのです。

演奏は、ヴァイオリンがワディム・レーピン。ロシアの著名なヴァイオリニストです。今どうしているのでしょうか・・・・・ロシアのウクライナ侵攻以後、消息が入らないのでわかりません。この演奏では、二人の作曲家の心のうちを、哀愁のあるヴァイオリンで絶妙に表現しているように感じますが・・・・・サポートするのは、ケント・ナガノ指揮ハレ管弦楽団。この組み合わせを見ると、二人の作曲家の心のうちに切り込んだ演奏をめざしたことが明らかだと思います。こういう演奏が、ショスタコーヴィチプロコフィエフの作品で表現される日が果たして来るのでしょうか・・・・・芸術こそ、平和を維持する装置だと感じるのは私だけなのでしょうか。

 


聴いている音源
ドミトリー・ショスタコーヴィチ作曲
ヴァイオリン協奏曲第1番イ短調作品99
セルゲイ・プロコフィエフ作曲
ヴァイオリン協奏曲第2番ト短調作品63
ワディム・レーピン(ヴァイオリン)
ケント・ナガノ指揮
ハレ管弦楽団

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。