かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

音楽雑記帳:ロシアン・クラシックは悪者か

音楽雑記帳、今回はロシアのクラシック音楽について言及したいと思います。

2月に始まった、ロシアによるウクライナ侵攻。私はあえて「ウクライナ事変」(プーチンが「特別軍事作戦」と言及しているため)と個人的には呼んでいるのですが、なかなか終わりが見えてきません。

実質的には戦争であるわけで、だからこそたいてい文化が犠牲になるものです。シナ事変、つまり日中戦争でも同じことが起こりました。そしてこのウクライナ事変でも同じことが起こっています。

確かに、プーチンが起こしたこの「戦争」であるウクライナ事変を、私は容認することはできませんし、そのための制裁も擁護します。だからと言って、ロシアの芸術、特にクラシック音楽を犠牲にするのはどうかと思います。

もちろん、感情的に仕方ない部分もありますが、しかしウクライナクラシック音楽の芸術家の意見に耳を傾けると、意外にも戦争が終わったらチャイコフスキーとか演奏してみたいという意見が多いのです。チャイコフスキーも「1812年」を書いていることは知っているはずなのに、です。

むしろ、ロシア国民には、ロシアの芸術をこれだけ愛しているのに、なぜプーチンはそれを破壊するようなことをし続けるのだ、という明快なメッセージになるのに、残念なことをしていると思っています。

そして忘れてはならないのが、この「事変」でウクライナ人だけでなく、多くのロシア人もまた、国外へ脱出し、移住しています。その一部はこの日本にも来ているのです。そのロシア人たちは私たちがウクライナ人へ同情して助けているのと同じように、同情し手助けしています。しかしそれでもなお、在日ロシア人たちと、ロシアの芸術に対する差別は収まりません。

ヨーロッパでも、排他されているのはプーチンに近い人たちです。だからこそ私はそれは仕方ないことだと思っています。しかしプーチンからは遠い人は結構残っていたりしますが、残念ながら海外でもロシア人というだけで差別している人たちが大勢います。そして自分たちもかつてヨーロッパやアメリカで差別されたにも関わらず、尻馬に乗って在日ロシア人とロシアの芸術を差別する人たちが、この国でも左右の別なくいるのは大変哀しく、そして嘆かわしいことだと思います。それはプーチンのいう「ウクライナからネオナチを掃討し、ウクライナ人を開放する」という言い分を強固にする手伝いをするだけです。

私はプーチンがどんなに「ネオナチからの解放」と唱えても、戦場でロシア軍、あるいはFSBが何をしているかを想像した時、それはかつて我が国が「ヨーロッパからアジアを開放し、大東亜新秩序を建設する」と言って実際にはできなかった、あるいは場所によってはその気すらなかったこととオーヴァーラップしかしません。その結果、日本は他国の文化を踏みにじっただけでなく、自国の文化も破壊してしまったのです。それとおなじ道をロシアが歩んでいるとしか見えません。

そしてそれは、ロシアン・クラシックを愛する私としては、残念を通り越し怒りしか湧き上がってきません。かつて優れたクラシック芸術が戦前にはあったにも関わらず、それを演奏禁止にまで追い込んだのはほかでもない私たち日本人です。そうじゃないと私たち自身が生きることができず、社会や文化の再構築ができなかったからです。

その歴史を知っているからこそ、ロシアン・クラシックも同じ道をたどるような気がして、私には不安しかないのです。私の力など微々たるものですが、我が国のクラシック音楽が再興したように、ロシアン・クラシックをなんとしても守りたいと思うのです。

そのために皆様にお願いするのは、まず少なくともプーチンの政策に不満とそれゆえに将来が見えないがために我が国へと逃れてきた、ロシア人たちを、ウクライナから避難してきた人たち同様に保護して、共に彼らの文化・芸術を守る運動をすることです。差別をしないことをお願いします。そしてこの国ではロシアン・クラシックも演奏可能なのだ、ということを内外に示しましょう!ロシアという国は他国を平気で踏みにじり、自国の文化さえ破壊しようとしていることを、内外に示すのです。その第一歩は、在日ロシア人たちへの差別をなくすことです。

クラシック・ファンの方々であれば、ロシアン・クラシックにも優れた芸術があり、魂に喜びを与えてくれて、楽しませてくれるものだと知っているはずです。それならば、プーチンと距離さえとっていれば、ロシアの芸術を愛するロシア人を差別せず、愛することは可能のはずではないでしょうか。

悪いのはプーチンFSBたちであって、多くの在日ロシア人たちではないはずです。是非ともその「境界線」を引いていただきたく、御願い申し上げます。そしてその「境界線引き」がわが民族ができるようになれば、日本はもっと国益を守ることができるであろうと、私は信じてお願いするものです。

まさに「伏してお願い申し奉る」、です。

 


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