かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から~府中市立図書館~:ヴァイル 7つの大罪他

東京の図書館から、今回は府中市立図書館のライブラリである、ヴァイルのバレエ音楽7つの大罪」ほかを収録したアルバムをご紹介します。

ヴァイルは何度か紹介している作曲家ではありますが、まだ我が国では「ヴァイルって誰?」というひとも多いので、解説をば。20世紀のヨーロッパを中心に活躍した作曲家で、20世紀における批判精神を持った作曲家の内の一人に数えられます。

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最も有名なのが「三文オペラ」や「マホガニー死の興亡」と言ったオペラで有名な人ですが、我が国ではアメリカ非難と取られているような傾向があります(決してそれが間違いではないんですが)ので、あまり有名ではありません。

彼の批判精神による作品の一つが、ここに収録されている「7つの大罪」です。バレエなのですが歌も合唱も入るという、多少奇妙な作品なのですが、あえてパントマイムではないというところに、ヴァイルと共同制作に携わったブレヒトの意図が見え隠れします。

この作品、1933年にパリで発表されました。ナチスの足音が聞こえてくる中で作曲されたこの作品、あえてアメリカという資本主義の権化のような場所が舞台として描かれています。そのうえで「7つの大罪」という題名なのは当然ですが、キリスト教の「7つの大罪」をモティーフにしています。この点がいろんなエントリでは抜け落ちて居るように思われます。

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もちろん、大まかなところでは資本主義への批判であるのですが、しかし、この作品を書いたパリが首都であるフランスも、同様に資本主義の国です。ということはフランスも当然その批判に入って可笑しくないはずですが、ではなぜアメリカという国を舞台としているのでしょうか?

こういう時は、歌詞を見てみるのが最も早いのです。

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歌詞を見ると確かにアメリカが舞台ですし、資本主義を皮肉っている内容です。しかしこれはレトリックなのです。私としてはこの作品、あるいは同じようにアメリカを舞台としたであろう「マハゴニー市の興亡」は、アメリカ資本主義批判というよりは、アメリカを代表するポピュリズムが生み出した、ナチス、つまり、ドイツ社会主義労働者党をこそ、批判していると考えていいと思います。

なぜ、社会主義という名前があるのに、ナチスは台頭したと思いますか?実際には社会主義者共産主義者ユダヤ人と同時か次くらいのタイミングで強制収容所に送られ、ガス室で殺されたのです。それはどうしてだと思いますか?それはドイツの民族系資本家たちが、ナチスを支持したからであり、それによりナチスはドイツの富国強兵によるワイマール体制からの復興を成し遂げたからです。つまり、ドイツの民族系資本家たちにとって最も邪魔だったのが、知識人が多く資本家としても成功しているユダヤ人と、その資本の蓄積を弱者への配分を要求する社会主義者共産主義者だったのです。だからナチスはその資本家たちの「要求」に基づきユダヤ人や左翼たちを「抹殺」したのです。

しかし、それをすぐドイツと分かるように書いてしまうと、たとえ外国でさえ、ナチスに目を付けられ、捕縛され、強制収容所に送り込まれる危険性がありました。そのためあえて自分が批判的に思っていたアメリカ式自由と資本主義という舞台を借りたのだ、と私は解釈しています。実際ナチス・ドイツ社会主義の仮面をかぶった資本主義国家でした。その膠の役割りを担ったのが、ナチスのドイツ千年王国という「夢」だったのです。

ドイツ民族系資本家たち自身にも怠惰な部分もあるにもかかわらず、勤勉さを国民に求め、勤勉さに欠けていると判断されたユダヤ人や社会主義者共産主義者が数多く強制収容所に送られ、殺される現実・・・・・それはアメリカの白人キリスト教自由主義と資本主義と同じではないか、という批判なのです。特にヴァイルやブレヒトは左翼の考え方を持った人間たちでしたから、余計その欺瞞に対する不満、そして批判は大きかった事でしょう。

だからこそ、とても奇異な作品であるにもかかわらず、この作品の評価は意外と欧州では高いのです。それは平和だと思える現代でも存在するという普遍性を持つが故であることにほかなりません。その欺瞞をわかりやすくするため、あえてパントマイムではなく歌を入れたバレエだった、というわけです。本来自己が確立している資本家なら、ひとりの人間としておかしいことがわかるでしょ?と気がつかせるため、その資本家の象徴であるバレエという「装置」を使ったと考えれば、すべてが符合します。

そもそも、アンナという女性の外面と内面とに分けて、そのうえで同じ人間に歌わせるというのも、欺瞞に対する批判としての装置として納得がいきます。一見すれば奇異に見えるこの作品は、すべてにおいて必然性を持った作品であり、そして現代においてもそのテーマ、批判が通用してしまうという普遍性を持っている作品なのです。

演奏するキャストを見ても、アンナを表現するソプラノ、ジュリア・ミゲネスはそもそもクラシック畑ではなくブロードウェイのミュージカル女優です。しかしその歌唱力と演技力は、ヴァイルが作品に込めた欺瞞を十二分に表現していると言えますし、そのほかのソリストたちも、欺瞞を引き立てる素晴らしい仕事をしています。この手の批判的作品を降らせればぴか一である指揮者マイケル・ティルソン・トーマスのタクトも、オーケストラに生命讃歌を歌わせ冴えていますし、生命を感じるからこそ、作品が持つどこか生命などを顧みないような欺瞞をさらに引き立てます。

ウクライナへ侵攻したロシアや、NATO、そして日本などの現実を見てみれば、これほど現代を皮肉って歌い上げている作品もない、と思います。それを引き立てる、ティルソン・トーマスのタクトと名門ロンドン響の表現力と素晴らしいサウンド・・・・・どれをとっても上質の大河ドラマだと思います。ええ、今年の「鎌倉殿の13人」に全く引けを取りません。是非ともお聴きいただきますよう。

 


聴いている音源
クルト・ヴァイル作曲
7つの大罪
小さな三文音楽(管楽オーケストラのための組曲三文オペラ」)
ジュリア・ミゲネス(ソプラノ、アンナⅠ&Ⅱ)
ロバート・ティアー(テノール
スチュアート・ケイル(テノール
アラン・オビエ(バリトン
ローテリング・ケネディ(バス)
マイケル・ティルソン・トーマス指揮
ロンドン交響楽団(及び管楽メンバー)

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。