かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:R.シュトラウス 管弦楽作品全集7

神奈川県立図書館所蔵CDのコーナー、シリーズで取り上げていますリヒャルト・シュトラウス管弦楽作品全集、今回はその第7集を取り上げます。

第7集に収録されているのは、「メタモルフォーゼン」と「アルプス交響曲」。一見すると違う作品ですが、これも意味あってこの二つが並んでいると思います。

メタモルフォーゼンは、シュトラウス晩年の1945年に作曲された作品ということは、知られているようで知られていないのではないでしょうか。

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ウィキにある通り、「複数形」であることがポイントだと私は思っています。なぜなら、壊れ行く「古き良きドイツ」を見て精神的に崩壊しそうな自分を慰めるために、自分の作品を初演した「都市とホール」を、自作を引用することで「語る」作品だからです。

そのうえで、囚われのない変奏曲という点も重要でしょう。これ、アンチ・ナチスだと私は思います。結局、ナチスも帝政ドイツも、「型にはめようとする」という点では同じじゃないか・・・・・そんなシュトラウスの批判精神がにじみます。

そして、「アルプス交響曲」。基本的にはドイツ・アルプスにおける風景に感動した様子を単一楽章の交響曲で描いた作品で、こういった作品からしても、私自身はシュトラウス交響曲とは、交響詩の延長線上にあると思っているのですが、今回のポイントはそこではないんです。

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重要なのは、この作品がニーチェの「アンチ・クリスト」の影響もあるという点です。となれば、この二つの作品はシュトラウスの中では、一つの線でつながっているということを意味します。なぜなら、だとすれば、二つの世界大戦はキリスト教の悪の部分によって引き起こされたという見解をシュトラウスが持っていたとしても不思議はないからです。

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少なくとも、ニーチェの作品に触発される作品が多いことから、シュトラウスキリスト教に対して批判的に見ていた可能性は大でしょう。なぜなら、シュトラウスは若き日病弱です。それは当時の社会ではいじめの対象になる、ということを意味します。なら、こういった「斜に構える」というのは当然だろうって思います。実際、同じように体育が苦手だった私は特に中学校時代いじめにあっています。ですからそのシュトラウスの思想には、ものすごく共感するんです。

山は古今東西信仰の対象でもあります。日本でも例えば三輪山がそうです。けれども三輪山は本来は出雲の神々の系統で、皇室の系統ではないということはご存じでしょうか?シュトラウスにとってドイツ・アルプスとは間違いなく三輪山のような存在だったといえます。であれば、アルプスを「アンチ・キリスト」のテクストで描こうとするのは当然だったのではないかと思います。しかしそれを表立ってやればまだまだ勢力のある教会から何をやられるかはわかりません。そのため、「風景を描く」という「オブラート」に包むことを最終的に選択したのだとすると、「アンチ・キリスト」と「風景」との乖離は説明できると思います。

自分の言いたいことを、比喩的表現で示す・・・・・この二つの作品に共通することだと思います。特に、アルプス交響曲は夜から始まり夜で終わるんですね。闇から光へ、そして闇へ・・・・・・いやあ、深いなあって思います。これがシュトラウスの精神性なんだなと実感します。

ケンペとシュターツカペレ・ドレスデンは歌いつつも、テンポとしてはゆったり目です。彼らがテンポをゆったり目に演奏するときは特別な感情が入っているとき。実はこの二つの作品は両大戦終了間近に作曲されていることも共通項だとわかっていましたか?そんな様々な「共通項」が、収録された時代の指揮者とオケにとっては、自分たちのことでもあるわけです。少なくとも第2次大戦は経験しているわけですから。その自分たちの経験に引き寄せて、シュトラウスの気持ちを汲み取ろうとする表現は、つい私の心の琴線を揺らします。シュトラウスが感じた時代の流れを、私自身現在感じているのですから・・・・・なんと一緒なことでしょう!さすが某大臣が「ナチスに学べ」と提案した通りになっているなと思います。

このままいけば、シュトラウスが「メタモルフォーゼン」を作曲したときと同じことになる・・・・・私はそう確信しています。すでにその兆候は、新型コロナウィルスへの対応で出ているように思うのは私だけなのでしょうか。

 


聴いている音源
リヒャルト・シュトラウス作曲
メタモルフォーゼン(23の独奏弦楽器のための習作)
アルプス交響曲 作品84
ルドルフ・ケンぺ指揮
シュターツカペレ・ドレスデン

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。