かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:マルティヌー バレエ「王手」「音の反逆」

神奈川県立図書館所蔵CDのコーナー、今回はマルティヌーが作曲したバレエ「王手」と「音の反逆」の二つを収録したアルバムをご紹介します。

私はマルチヌーと表記するのですが、この作品においてはマルティヌーというほうが適切なのかもしれません。なぜなら、決してチェコ風という作品ではないからです。この二つが作曲されたのは1930年代戦後。「王手」が1930年、そして「音の反逆」が1927年。ともにパリで成立し、「王手」は1980年初演、そして「音の反逆」は1928年に初演されたようです。

その時代のパリには、先進の音楽が集まっていました。シェーンベルクなど12音階、すでにすたれようとしていた新古典主義音楽。私が「20世紀音楽」と呼ぶ音楽運動が花盛り。マルティヌーもその影響を多分に受けています。マルティヌーは祖国に帰り音楽院の教授の職を請われていましたがそれを拒否。作曲家としてのキャリアを選びます。それはパリの先進の音楽の影響を多分に受けたからであると想像できましょう。

作品の詳しい説明は以下のブログに出ています。しかも同じ音源ですのでぜひとも読んでいただければと思います。

blog.livedoor.jp

私がマルチヌーと表記するのは、むしろチェコらしさを持ちつつも、音楽が20世紀音楽であるからということもあります。まあ、どちらでも表記はいいとは思いますが・・・・・

そしてこの二つの作品は、ともにコミックバレエと言ってもいいかと思います。「王手」はジャズ・バレエとも言われますが、チェスをバレエにしたものですし、「音の反逆」は当時の音楽をある意味パロったものです。ある意味お笑いの意味もある作品です。それをクラシックという芸術で表現する・・・・・その当時のパリとは、芸術家にとってはいかに魅力的な都市であったことか。

しかし、それを押しつぶしたのが、保守反動だったと言えます。ナチスドイツによるヨーロッパ各国への侵略、それに手を貸したドイツとフランスの保守たち。社会主義という名前を借りた極右反動・・・・・それによってマルティヌーの創作活動も影響を受け、結局アメリカへ移り住むことになります。それに伴い、芸術の中心もヨーロッパからアメリカ大陸へと移っていったのでした。それは大国と言われる国がヨーロッパ列強からアメリカへと移る時代に重なります。

その意味では、マルティヌーという表記のほうが正しいのかもしれません。ただ、借りてきたCDにはマルチヌーという表記がされていたように思います。それはおそらくレーベルがスプラフォンだったからではなかったかと記憶しています。チェコの有名レーベル、スプラフォン。マルティヌーの作品も数多く出していますが、祖国の作曲家という意味合いが強いのでしょう。このアルバムもビエロフラーヴェク指揮プラハ交響楽団で、ロケーションもプラハの芸術家の家ですし。

ビェロフラーヴェクはプラハ交響楽団とのコンビのほうがのびのびタクトを振っているような気がします。作品が持つお笑いの部分を存分に表現し、諧謔性はもう面白いのなんのって!マルティヌーが表現したいことを存分に演奏で示しているように思います。とはいえ、かつてはナチスに協力したチェコ。それを嫌ってパリやアメリカでの創作活動を選んだマルティヌー。その申し訳なさを思いっきりな表現で贖罪しているかのようにも聴こえます。ごめんなさい、私たちは今ではあなたの作品を楽しんでいます、というような・・・・・

今後も、スプラフォンからマルティヌー作品の録音が出ることを期待したいと思います。できれば、ハイレゾで出てくれると、うれしいですね。

 


聴いている音源
ボフスラフ・マルチヌー作曲
バレエ「王手」H.186(A.クーロワの台本による1幕のバレエ)
バレエ「音の反逆」H.151(1幕のバレエ・コメディ)
ウラディーミル・オレクサ(語り)
カテジナ・カフリーコヴァ―(アルト)
イルジー・ビエロフラーヴェク指揮
プラハ交響楽団

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