かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から~府中市立図書館~:アシュケナージが弾くベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集8

東京の図書館から、府中市立図書館のライブラリをご紹介しています。シリーズで取り上げております、アシュケナージが弾くベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集、今回は第8集を取り上げます。

収録されているのは第25番から第28番の4曲。有名な第26番以外は地味なイメージもありますが、第25番は「かっこう」という題名がついているちょっとかわいらしさもある作品ですし、第27番と第28番も味わい深い作品。

アシュケナージはそんな個性的な4つを、本当に楽しそうに弾くんです、これが。ロマンティックさと快活さ、そして喜び、悲しみ、などなど・・・・・こんなことをi言ったら失礼なのですが、まさにアシュケナージはピアニストだったのね、と気づかざるを得ない演奏です。

第29番という、偉大な作品の前に並ぶこれらの作品を、とてもいつくしんでかつ楽しんで弾くアシュケナージ。「ベートーヴェンのピアノ・ソナタとは、どれか一つが素晴らしいのではなくて、すべて素晴らしいのではないのですか?」みたいな主張がそこかしこに。いや、そうはいってもあなた、初期作品は結構あっさり弾いてません?とか聴きながら突っ込んだり。

いつ聴いても、どこまで聴いても楽しく、味わい深く、かつ突っ込みどころ満載でもあるこの第8集は、まさに「アシュケナージの芸術」というものにふさわしいと思います。どうしても、どこか深刻というか、劇的なものを「芸術」というものに求めてしまうんですが、芸術ってそういうものだったっけなあ、と思うんです。

Facebookの某グループでも「クラシックを聴くとは何か」という投稿があって、勉強しないとダメなのか?という問いが最近ありましたが、私からすれば、「勉強したほうが楽しいけれども、それは『勉強しろ』と言っている人が定義する内容ではない」という意見です。むしろ、そんな勉強ならしないほうが断然クラシック音楽は楽しめると思います。たいていそのように言う人って何かが欠けていて、そのある一点をフォーカスして楽しんでいるだけなんですよ。

でも、それで十分楽しめるわけです。ただ、私はそのようにマウンティングする人に対して「ほかの側面があって、それを学ぶともっと楽しいですよ」と提案するわけです。ですから勉強なんかする必要はないわけです。ただ、した方がより楽しい、ということ。けれどもそれは、「勉強しろ」と言っている人も言うわりにはやっていない、ということです。

なら、まず私たちの頭と体をフルに使って、「感じ、考える」というほうが楽しくありませんか?ということです。アシュケナージもいろんな知識をもってこの演奏をしているのは私も分かるのですが、しかしまずは「感じてほしい」と思います。スピーカー越しによる、時空を超えた「対話」は、そこから始まるんだと私は信じています。

 


聴いている音源
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲
ピアノ・ソナタ第25番ト長調作品79「かっこう」
ピアノ・ソナタ第26番変ホ長調作品81a「告別」
ピアノ・ソナタ第27番ホ短調作品90
ピアノ・ソナタ第28番イ長調作品101
ウラディーミル・アシュケナージ(ピアノ)

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