かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

コンサート雑感:@調布国際音楽祭2020 加耒徹 オンライン・バリトン・リサイタルを聴いて

コンサート雑感、今回は今年の調布国際音楽祭において開催されました、加耒徹のオンライン・バリトン・リサイタルを取り上げます。

調布という町は、現在の私の住まいからほど近いところであり、映画の街として有名ですが、実は8年ほど前から毎年6月に音楽祭を開いています。

はじめは調布音楽祭という名称で始まったのですが、一昨年あたりに「国際」の二文字も入るようになりました。エグゼクティヴ・プロデューサーはバッハ・コレギウム・ジャパンの二代目の顏となりつつある鈴木優人。監修がその父である、バッハ・コレギウム・ジャパン音楽監督である鈴木雅明(指摘があり修正しました)。

ですので、BCJ色も結構出る音楽祭ですが、実は調布と言えば、その近くの仙川には小澤征爾も卒業した桐朋学園大学がある関係で、桐朋音大卒の音楽家も参加したり、あるいは調布も吹奏楽で強い中学校があったりと、アマチュアの活動も盛んな街、なのです。

音楽祭と言えば、その町の様々なホールを使っての演奏会が魅力でもあります。調布国際音楽祭は主ホールを調布市民会館たづくり・くすのきホールや、駅前の調布グリーンホールを使いますが、ずっと私がききに行きたいと思っていたコンテンツが、毎年会場を深大寺講堂で行われるコンサートで、今年はそこでベートーヴェン弦楽四重奏曲を演奏する、と聞いていましたのでそれを聴きに行こう!と決めていました。

ところが、それは新型コロナウイルス蔓延で、吹っ飛びました・・・・・ラ・フォル・ジュルネが3月末早々に中止を決定し、次々にコンサートはキャンセルになっていく状況において、実は調布国際音楽祭は早々とオンラインでの開催に方針転換したのです。

そのために、中止になったコンサートもあります。例えば、N響BCJのコラボによる第九。調布グリーンホールで予定されていましたが、これは中止となる一方、第4楽章だけはリモートで演奏するという、前代未聞のことをやることを発表。深大寺でおこなわれるはずだったベートーヴェン弦楽四重奏曲はくすのきホールに会場を移して、これも無観客ネット配信によるものへと変わりました。

そんな中、そのままで無観客になったものもあります。その一つが、BCJでも活躍し、このブログでも何度か登場している、加耒徹氏のリサイタルです。

もちろんはじめは、チケット代もありこのリサイタルは行く予定を立てていませんでした。仕事との兼ね合いもあるからです。ところが、コンサートが次々とキャンセルになっていく中で、私は6月に関してはコンサート関係でのシフト調整をしませんでした。してもないため無意味だからで、唯一やる予定となったこの調布国際音楽祭も、シフトを出したときはまだ詳細が決まっていなかった、ということもあったためです。

調布国際音楽祭は、@調布国際音楽祭2020として、今年はネット配信のみによる音楽祭としての開催となったということは、最悪休憩が合えば職場でも見れる可能性があったから、です。そのためあえて調整をせず、職場にゆだねたのでした。その結果完全に空いたのがこの加耒徹氏のリサイタルだった、というわけです。

実は本来は、深大寺でおこなわれる予定だった弦楽四重奏曲も聴く予定でしたが、私の調子がよくなく、結局それはアーカイヴで見ることとなりました。その感想も次回かその次くらいにアップできればと思います。

さて、このリサイタル、実はわたしはFacebookのわたしのページにて、鑑賞会という形で聴いています。参加していただいたのは、以前から加耒氏を推している某音楽雑誌社に勤める女性。とてもいい会話をしながら聴けたのは本当に素晴らしかったです。一方で私も忙しくて告知などが全く不十分で、今後同じようなコンサートがあるときの、反面教師にもなるリサイタルだったと思います。

当日、演奏されたのは、

ベートーヴェン:遙かなる恋人に寄す Op. 98
シューマン:詩人の恋 Op. 48

の二つ。ともに男性が女性に対する恋心を表現した作品ですが、ベートーヴェンは恋に恋するという作品である一方、シューマントは実はありていに言えば失恋ソングなのです。

ja.wikipedia.org


歌詞対訳

www7b.biglobe.ne.jp

ja.wikipedia.org


歌詞対訳

feynmanino.watson.jp

特に圧巻だったのはシューマンのほうでした。BCJソリストも任される加耒氏らしい、情感を込めたその歌唱は、私自身の失恋の経験と相まって、圧倒的に胸に迫ってくるのです。

それは、歌唱力だけではなく、その音質の良さもあったのでは?と思っています。くすのきホールは多目的ホールでもあり、それほど残響時間は長くないはずなのですが、マイクの位置や、音の伸ばし方など、プロらしい工夫が随所にみられ、素晴らしい音質がそこにはありました。最初は画面と音との乖離がありましたが、それはほどなくして同期して問題なくなりました。そこからです、本当にこのリサイタルで歌われている作品の生命力が、真に輝き始めるのは・・・・・

引き出している加耒氏の、自分たちがいる空間の外にいるであろう、圧倒的な数の聴衆に対するカンタービレと、それに合わす、歌う松岡氏のピアノ。歌うというと朗らかな感じをイメージするかもしれませんが、文字通り「歌う」ものであり、それは時として悲しみに圧倒される場面さえあります。その圧倒的な二つの「カンタービレ」により、わたしも「詩人の恋」後半の失恋ソングの数々では、落涙寸前まで行きました・・・・・

特に、「詩人の恋」はシューマンらしい作品だと私は思います。確かにドイツ・ロマン主義に対する、ハイネの批判精神をどこまでシューマンが表現できているのかはわかりませんが、少なくともシューマンが経験してきた恋と失恋を、作品にすることによりその悲しみを、ハイネの詩を借りて手放すという、臨床心理学では非常に大事な治療行為を果たしている作品です。二人の演奏はその深層心理を全く外しておらず、さらけ出すことにより、死に至るくらいの苦しみから、今日、そして明日を生きるという選択をしていくその過程の表現が見事です。

その表現を、本来なら心が折れるかもしれない無観客という条件で、加耒氏も、松岡氏も、二人とも折れることなく、むしろホールのその向こうにいるはずの、圧倒的多数の聴衆に対し、「語り掛ける」のです。この点が本当に素晴らしかった!このリサイタルまでの間、ほとんど仕事が二人ともなかったはずで、その苦しい条件の中パフォーマンスを維持し、ともに演奏できる喜びを、作品が持つ深い悲しみの中で表現する・・・・・・これぞプロの仕事です。本来ならチケット代を払って聴くべき演奏ですが、これがクラウド・ファンディングにより無料。素晴らしいことです。

ただ、だからこそ、もし来年以降もこの形を続けていくのであれば、現在フェスタ・サマーミューザで検討されている、視聴チケットという方法をとった方がいいのでは?という気がします。そしてその特典として、無期限に動画が見れるという「独自色」も打ち出していく、というほうがいいような気がします。

このエントリが上がっている2020年6月28日現在では、音楽祭公式サイトのアーカイヴで演奏が見れますが、いずれそれは見れなくなります(6月30日で終了)。しかしチケットを買った人にはいつまでも見ることができるとなれば、ネットで見ようというインセンティヴになるように思うのです。

そのうえで、新型コロナウイルスが、薬剤の開発などで落ち着いたとき、通常のコンサートに戻しても、ネット視聴チケットも一緒に売り出すことにより、遠くでなかなか行けない人もその時に参加できるだけでなく、その時は無理でも後で視聴できるという可能性も、こういう配信は秘めており、道を開いたともいえます。まさに、この混迷の時に、ヤマト2199の沖田艦長のセリフ「天岩戸、開く」というものになるような気がします。

この音楽祭はほかの記事などを見ますと大好評で、おそらくこの調布国際音楽祭の成功により、フェスタ・サマーミューザもネット配信中心という決断をしたのだと思います。日フィルが行ったネットチケットによる無観客コンサートも大好評ですし、この混迷と苦難の時代に、ひとつの方向性を示した音楽祭となったように思います。その演奏の一つの象徴が、このリサイタルだったとすれば、加耒氏と松岡氏は、その名を歴史に残したのではないか?という気がします。そしてその瞬間に、自宅でネット視聴により立ち会えた喜びは、演奏の感動と共に、素晴らしいことだったと思います。

 


聴いたコンサート
@調布国際音楽祭
Beethoven and More! クラシック音楽の夕べ
加耒徹オンライン・バリトンリサイタル
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲
遙かなる恋人に寄す Op. 98
ロベルト・シューマン作曲
詩人の恋 Op. 48
加耒徹(バリトン
松岡あさひ(ピアノ)

令和2(2020)年6月18日、東京調布、調布市民会館たづくり くすのきホール

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。