かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

コンサート雑感:バッハ・コレギウム・ジャパンの第九を聴いて

コンサート雑感、今回は令和2(2020)年12月27日に聴きに行きました、バッハ・コレギウム・ジャパン「第九」のコンサートを取り上げます。

バッハ・コレギウム・ジャパン(以下、BCJと表記)の演奏を聴きに行くなど、一体何年振りだろうかと思います。少なくとも、このブログで取り上げるのは初めてだと思います。配信やCDなどはさんざん取り上げてきていますけれど・・・・・

まだ私が羽振りがよかった時には、年末にはメサイアを聴きに行き、春先にはバッハの受難曲を聴きに行ったりしていたんです、BCJのコンサートへ足を運んで。ですから、決して初めてではないのですが、最後に行ったのはもう20年近く前。このブログを開始したのが2008年ですから、さらに8年くらい前が最後であるわけで・・・・・

まあ、その20年というのは、本当に激動の20年でしたから、あっと言う間に過ぎ去っていきました。当時から定評があった団体ですが、私が行かない間に、鈴木氏は賞をもらったり、BCJも新しい人が入ったりと、変わって行ったように思います。

そのBCJが、第九をやる、というので、いてもたってもいられなかったのです。しかも、新型コロナウイルス感染拡大により、ベートーヴェン交響曲のうち第九だけが演奏できない、というフェーズで、です。緊急に決まったそうで、BCJの「意思」というものを明確に感じたのでした。私たちが演奏しなくて、誰がやるんだ、という・・・・・

実は私自身は、夏ごろから第九が演奏できないことに批判的でした。確かに今まで通りでは、クラスター発生という事態も十分想定されるので、プロオケが演奏をあきらめるのも無理はないとは思っています。しかし、創意工夫の精神まで奪っていいのかとは、思っていました。ソーシャル・ディスタンスを取ってということは、小編成で、ということを意味しているよね?と。

今「今月のお買いもの」コーナーでタッシェンフィルハーモニーベートーヴェン交響曲全集をとりあげているのも、その批判精神故です。そう、あの室内楽と言っていい編成で、第九までやっているんです。だからこそあれは購入したのでした。そんな矢先に、BCJが演奏するというビッグニュースが。これは行かねば!と思った次第です。

1プロとして、バッハのオルガン曲「パッサカリアとフーガ ハ短調BWV582」が選択されていました。演奏するは、雅明氏の息子で、今やBCJの中心としても活躍する、鈴木優人。父である鈴木雅明氏演奏のCDを持っていますが、それに比べるとテンポは速めというか軽め。しかし、自分の感情が高まるのがわかるんです、聴いていて。その訥々とした演奏の中に、優人氏が込めた悲しみ、憂いというのがふわっと浮き上がっていて、共感している自分がいるんです。もう少しで泣きそうでした。

このフーガが取り入れられているのが、ベートーヴェン交響曲の中でも第九、なのですね。その切り口で並べるというのはさすがBCJだと思いました。確かに、ベートーヴェンはバッハ作品の研究もしていますので・・・・・バッハのみならず、ハイドンはもちろん、軽薄と批判しながらもモーツァルトも研究し、いいところは勉強したのがベートーヴェンです。その集大成ともいえる作品が確かに第九。さすがは鈴木雅明氏だなあと思います。確かに、第九の二重フーガは、声楽的ではなく器楽的ですから・・・・・そりゃあ、初演時ソプラノが狂ったのは当然の帰結であったろうと思います。え?なんでアマチュアがそこまで言えるんだって?そりゃあ、20回くらいの演奏経験がありますからねえ、アマチュア合唱団員として、私・・・・・

第九は、まず第1楽章アグレッシヴに入ります。いやあ、BCJにしては珍しく、走ってしまっているんですよ、タクトに対して。こんなこと私が今までBCJを聴いてきた中で初めてですし、おそらくプロオケを聴いた中でも初めてではないかと思います。それだけ、BCJの団員たちは、この曲にかける想いが強かったんだなあ、と思いました。まるでアマチュアですもん。アマチュアが曲のエネルギーに巻き込まれ、自分を見失って、曲に飲まれている状態そのものでしたから。まあ、プロですからそれはすぐ修正されましたが、やはり、想いが強かったんだなあと思いました。

第2楽章は多少どっしりと。これは私が好きなスウィトナー指揮シュターツカペレ・ベルリンと同じなので、大歓迎!面白かったのは、A’で繰り返しをしたこと。これはプログラムには記載がありませんでしたが、おそらく鈴木氏の解釈だろうと想像します。ぜひとも一度インタビューしたい!

第3楽章は多少速め、と言っても快速ではなくて各駅停車が最高速度を許可されている目いっぱいと言った感じ。決して急いではいません。そして金管の歌!さすがプロオケです。

そして、第4楽章。奇をてらわず、自分たちの内面から湧き上がるものを大切にする演奏で、特段快速でもなく、鈍行でもないちょうどいいテンポ。それがしっかり「歌」になっているのが素晴らしい!こういう点、さすがプロだと思います。高音の伸びも豊かでホールを満たしているのも感動的です。BCJですから合唱団など全員で30人ほどしかいないのに、まるでアマチュア合唱団員が100人いるように歌うんですよ。これこそ、アマチュアよりも高い料金を払って聴く価値だろうと思います(8000円也。貧乏人には清水の舞台から飛び降りる覚悟がいる値段です)。私が問題にするvor Gott!の部分も特段変態演奏でもなく、本当に奇をてらわない演奏が続くのですが、緊張感の中に喜びが満ち溢れる演奏は、もう涙をこらえるのに必死。

体が震えるというよりは、喜びがどんどん体の中から湧き上がり、さらに体に喜びが入ってくる、という感じなのです。とても幸福に満ち足りる演奏で、混迷の中に差し込む一筋の希望という名の光のような・・・・・

終わった後、本当ならブラヴォウ!をかけたいくらい最高な演奏!実は、バリトンが加耒さんなのも最高で、瀬川氏のサロンで生音を何度も聴き、語らいもしましたが、その表現力豊かな加耒氏のバリトンも素晴らしい!すべてが最高で、だからこそブラヴォウをかけたかったのですが、それは現状かなわず、痛くなるほどいつまでも拍手をしたのでした。山形交響楽団さんの「ブラヴォウタオル」が欲しいと強く願った瞬間でした。

ソリストは加耒さんも含め、本当に全員が素晴らしいパフォーマンス。特に女声二人は必ずしもBCJのメンバーではなくむしろ二期会ですが、素晴らしい魂が湧き上がるアンサンブル!現在の日本の音楽家たちの水準の高さを如実に味わえる、素晴らしい時間でした。できれば、メサイアと第九を交互に年毎に演奏していただけると、うれしいなあと思います。大阪ではテレマン室内が毎年「100人の第九」をやっていますが、そんな小編成による第九を、BCJが旗を振ってやってほしいなあと思います。それは確実に、アフターコロナ、ウィズ・コロナの時代の演奏のスタンダードになる気がしてならないのです。

 


聴いてきたコンサート
ベートーヴェン生誕250年記念 バッハ・コレギウム・ジャパン《第九》
ヨハン・セバスティアン・バッハ作曲
パッサカリアとフーガ ハ短調BWV582
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲
交響曲第9番ニ短調作品125「合唱付き」
鈴木優人(オルガン、BWV582)
森麻季(ソプラノ)
林美智子(アルト)
櫻田亮テノール
加耒徹(バリトン
鈴木雅明指揮
バッハ・コレギウム・ジャパン

令和2(2020)年12月27日、東京新宿、東京オペラシティコンサートホール

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。