かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

想い:サブスクに未来はあるか

久しぶりの「想い」、今回は音楽定額配信サービス、いわゆるサブスクリプション(略してサブスク、当エントリでは以後この略称で表記します)を取り上げます。

確かにサブスクのサービスが出たときにはびっくりして喜びもしました。しかし、実際音楽家に対して、サブスクは未来を保証するものでしょうか?そして私たち聴き手には何時までも福音なのでしょうか?

ユーザーサイドからすれば、定額というのは助かる話ではあります。ですが、聴き放題とはいえ、私たちが一生で聴けるものは限られてもいます。当然中には聴けない、聴かないものも出てきます。それでも確かに金額的には損しませんが・・・・・

しかし、サブスクの収益構造からすると、音楽の未来は必ずしもサブスクだからと言ってバラ色ではないようです。

www.ongakunojouhou.com

実は私も、この山下達郎の姿勢は支持するものです。実際、クラシック業界で、サブスクで勝負している演奏家に出会うことはほとんどありません。それは収益構造上、あまり利益にならないからに他ならないからだと思います。

しかも、クラシックの世界は山下達郎がいるJPOPよりも新人が育たない環境にあります。何しろ、古い演奏や芸術家がもてはやされる傾向にある世界ですから。なので逆に過去の名演を聴きたい!となればサブスクのほうが適切だと言えるでしょう。

一例を挙げると、ピアニストの反田氏がオーケストラを設立しましたが、その録音はサブスクで配信せずCDです。私はハイレゾ配信はすべきだと思っていますが、サブスクまではどうか、と思っています。それは音楽家への実入りが、定額ということは少ないということを意味しかねないから、です。

一方で、サブスクでもこの事業はいいと思っているものもあります。それはunextです。元々サブスクの元祖ともいえるUSENが設立した会社が運営する動画サブスクリプション・サイトです。完全定額なのかと言えばそうではなく、ポイントや実際に携帯料金と一緒に購入したりする動画も数多く存在し、特に比較的封切りから近い映画などは大抵携帯料金と一緒もしくはポイントによる購入制となっています。私も「宇宙戦艦ヤマト2205 新たなる旅立ち」後章はunextでポイント購入の上観賞しました。

おそらく、山下達郎はこういった動画配信サブスクを念頭に、音楽配信サブスクを批判し、自分の作品は配信しないと言っているのだと思います。そしてunextのようにするならば、配信解禁にやぶさかではないんだろうと想像します。これはもし山下氏とインタビューができる機会があれば確認してみたい点です。それはクラシックにおける新人芸術家にも同様の話になるからです。

そして、サブスクの問題点は演奏家だけではありません。私たち視聴者にも、問題を提起させています。それは、「サブスク疲れ」というものです。これは早々こういう事が出てくるだろうと私自身も想定していました。

以前のエントリで、私はなぜサブスクを選択しないかという理由で、はっきり「聴ききれない」点を上げています。サブスクになれば、あれもこれもとなるよなあ、しかしそんな暇ないよね、ということで見送っています。それは疲れてしまうという点も当然あったのです。ですから「そんな暇ない」という言葉になっています。

残念乍ら、あれもこれもと聴いているうちに、疲れてしまった・・・・・あー、予想通りだね、ということなんです。でもそれは、人生損しているとは思いませんか?山下達郎がツアーを重視しているように、私たち聴衆もコンサートやリサイタルに足を運ぶ時間を作り、演奏家と語り合えるような時間がある方が上質な時間を使っているとは言えないでしょうか?

確かに、サブスクで済ませてしまえば、自分のライブラリは他者に管理してもらえるうえに、その容量は無限と言ってもいいくらいです。しかし無限と言っていいということは、それだけ縁のないものまで管理してもらうことである上に、管理する会社が倒産したり、自分が退会したりすればその音源は「すべて」聴けなくなります。これがサブスクリプションの最大の欠点であると言えるでしょう。ならば私なら逆にもったいないと思います。今のe-onkyoネットストアの形式で十分です。値段は圧倒的に高いでしょ?という人もいると思います。確かにその通りです。特に私のように今収入が不安定な身であれば、サブスクのほうが安く「見え」ます。

しかし、毎月決まった額が出ていくんです。まったく聞かない月があったとしても、です。それを許容できるのであれば、私はサブスクでもいいのではと思いますが、それによって若い音楽家が苦しむことになるのでは、むしろもったいないよねという想いの方が強いです。なら聴き手である私も提供側の管理会社も、そして音楽家も共にwinである、好きな音源だけを相応の値段で購入する、e-onkyoのような音楽配信サイトで十分ではないかと思います。

楽家の成長が、私たちが購入することで支払う著作権料によってなされているということを考えたとき、そんなにサブスクがいいのであれば図書館で借りるという選択もありなのに、と思います。図書館は実は私たちが買う時よりも高額の料金でCDを購入しています。それは図書館が不特定多数の市民へ貸し出す、という性質のために購入するためです。私たちの代わりに税金で著作権料を支払ってくれている、ということにもなります。それなら、サブスクよりもずっと多額の著作権料が音楽家に支払われるので安心です。そのほうがよほど音楽家の未来を作っていくでしょう。

サブスクはもう少し、サービスや料金の多様性の広がりを見てからでも、登録などは遅くはないだろうと思います。サブスクが音楽の未来を作りたりえるのか、日本のクラシック音楽を救える存在になり得るのか。JPOPの山下達郎氏の動きを見定めてから判断してもいいと思います。

 


地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。

東京の図書館から~府中市立図書館~:朝比奈隆と大フィルによるブラームス交響曲全集4

東京の図書館から、4回シリーズで取り上げております、府中市立図書館のライブラリである、朝比奈隆指揮大阪フィルハーモニー交響楽団の演奏によるブラームス交響曲全集、最終回の今回は交響曲第4番を収録したアルバムをご紹介します。

元のレーベルは多分ポニーキャニオンだと思います。朝比奈さんの録音を多く出しているレーベルなので・・・・・もちろん、記憶では、なので断言はできません。

そして、この4つすべてなんですが、ホールはフェスティバルホールである、というのも面白いところ。そう、ザ・シンフォニーホールではないんです。それだけ残響時間は短い、ということになります。とはいえ、大阪フィルのフランチャイズは?と考えたとき、意外にもザ・シンフォニーホールではなくむしろフェスティバルホールだともいえます。

www.osaka-phil.com

もちろん、ザ・シンフォニーホールでも演奏会を行っていますが、「定期演奏会」はフェスティバルホールです。場所は中之島。そう考えれば、この録音も含め、「定期演奏会」という看板の演奏会がフェスティバルホールなのも納得です。勿論、ホールとしてはザ・シンフォニーホールのほうが断然クラシック向きですが、大阪という都市は、現在のミナミと中之島あたりこそ、都心なのです。大阪駅はむしろ玄関のようなもの。

大阪駅の北に隣接するように、昔は貨物駅がありました。現在絶賛再開発中で新都心とも言える場所が出来上がりつつあります。しかし昔は貨物駅があるくらいなのであまり開発が進んでいない場所だったのです。

阪急のターミナルがなぜ梅田なのか・・・・・それは、大阪の玄関である梅田と郊外を結ぶ鉄道を引くために都合がよかったからです。関東の私鉄のほとんどが山手線の駅から伸びているのとある意味同じなんです。

その中で、異色だったのが京阪。ターミナルは大都心の淀屋橋です。それも淀川沿いを選択したからこそ実現できたルートでした。中之島はその淀屋橋の先にあり、現在でも財務省造幣局がある場所なのです。そのビジネス需要を見越して、京阪は京橋から中之島支線を建設して開通させています(残念ながらこれが大赤字なんですが)。その中之島にある、歴史あるホールがフェスティバルホールです。

www.festivalhall.jp

www.keihan-holdings.co.jp

ブラームス交響曲であれば、聴衆としてはザ・シンフォニーホールで聴きたいところ。しかし、大フィル側からすれば、ブラームス・ツィクルスだからこそ、定期演奏会で取り上げたいと思ったのでしょう。そうなると、やはりフェスティバルホール一択でしょう。大フィルのように歴史のあるオーケストラであれば、そのフランチャイズは大阪の都心、ということになるわけですから。むしろ今ザ・シンフォニーホールは日本センチュリー響のほうが半ばフランチャイズとして使っています。

管楽器はいいのですが、弦楽器の残響はやはりよくはないんですが、長くホールをフランチャイズとして使ってきている大フィルと朝比奈隆というコンビによる「歌い方」によって、全く気にならないのが不思議です。むしろ、多少陰影が強く、精神性だとかが語れらることが多い、交響曲第4番では、もちろん朝比奈節も全開ですがむしろその朝比奈節を作品が持つ生命を存分にオーケストラをして歌わせるために解釈として判断している演奏になっています。

フェスティバルホールの残響時間という、大フィルが伝統の中で培ってきたその残響時間を使った「響き」というものが、ここでは存分に使われ、作品を歌うことに最大限利用されています。むしろ、その「歌」を存分に味わい、楽しんでいる自分がいます。

それは、やはりDSEE HXというアプリの力もあるかもしれません。残響時間が短いからこそ、その分データとして少ないわけで、アップサンプリングというPCには負担がかかる再生方式で、しっかりとその場の空気感などが再現されているのも、この演奏を生き生きと聴かせる一つの要因なのでしょう。そこを考えるとやはり、朝比奈節とはライヴにこそ味わうものであるような気がします。

そうすると腑に落ちるのが、朝比奈さんが録音では意外と朝比奈節を使わずオーソドックスな解釈でオケを鳴らすということです。それは朝比奈氏が、自分のタクトはライヴでこそ、と思っていた節があるとしか思えないのです。それは現在の山下達郎氏のサブスクへのスタンスに近いものがあったに違いありません(これは後日エントリを立てます)。

大フィルは、こういった歴史をもっと前面に出した集客というものをしていいように思います。伝統あるオーケストラが作り出す「響き」にはどのオーケストラにも独自のものがあります。ようやく新型コロナウイルスによる行動制限が解除されましたし、サイトで朝比奈氏のタクトばかりを売るのではなく、もっと全国のクラシック・ファンに「大フィルを聴きに旅行で大阪へ来てください!」という宣伝をしてもいいように思います。それを補助金を出すときに維新がさまたげているとするのであれば、おそらく大フィルは奈良あたりに事務所を構えて、奈良県奈良市から補助金を受けてもいいような気すらします。

実際、だからこそジャパン・ナショナル・オーケストラは奈良県に本拠をかまえたのだと、私は理解しています・・・・・・日本の政党で維新ほど文化を理解していない政党もありませんので、ぶっちぎってもいいと思います。維新という政党の支配の下にいる限り、大フィルの凋落は止まらないように思えるのです。

 


聴いている音源
ヨハネス・ブラームス作曲
交響曲第4番ホ短調作品98
朝比奈隆指揮
大阪フィルハーモニー交響楽団

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東京の図書館から~府中市立図書館~:朝比奈隆と大フィルによるブラームス交響曲全集3

東京の図書館から、4回シリーズで取り上げております、府中市立図書館のライブラリ、朝比奈隆指揮大阪フィルハーモニー交響楽団の演奏によるブラームス交響曲全集、第3回の今回は交響曲第3番を収録したアルバムをご紹介します。

主調がヘ長調の割には、くらーくも聴こえてしまう第3番。しかし、実は生き生きとした演奏も多いのも、この第3番の演奏の特徴だと思います。

一方で、この朝比奈隆と大フィルによる演奏はどうかと言えば、朝比奈節全開とそうでもない部分とが同居する、意外な演奏になっています。ですがその結果、生命力も存分に感じられる演奏になっているのです。

この第3番の演奏ほど、ある意味朝比奈隆の譜読みとは何か、そしてそこからいずる朝比奈節とは何かを、現出させている録音もないだろうと思います。オーケストラを存分に歌わす手法として、時にはゆったりカンタービレして見えを切り、時にはテンポよくして重厚さだけで語らせてしまうという2つのアプローチを取っているのです。これには聴いていてうなってしまいます。

実は私としては、もう少し筋肉質な演奏の方が好みです。ですがこの演奏が嫌いか、排除する対象かと言えば答えはNoです。むしろその反対で、この演奏はとても好印象ですし、そのうえでしっかり受け入れられるものになっているのです。いつも私がいうプロオケの「説得力」がこの演奏には満ちており、金太郎あめのようにどこを切っても存在します。だからこそ、思わずうなってしまいますし、演奏にのめりこんでいる自分がいます。

ベートーヴェンでも語りましたが、とにかく百聞は一見に如かずとはよく言ったもので、この演奏程朝比奈氏の解釈の基礎となるものが現出されているものはないと思います。ゆったりとしたテンポこそ朝比奈氏!みたいな神格化は私はしたくありません。その一方で朝比奈氏はやはり当代きっての名指揮者であったと考えます。テンポをそれまでいじらず、しかし多彩な表情をオーケストラの響きから作り出すマジックは、確かに魔法と言ってもいいです。

ですが、神格化はしたくないんです。この演奏はあくまでも人間朝比奈隆が深い譜読みの結果導き出したものです。その朝比奈氏の人間性と、その人間性について行った大阪フィルの団員達の、人間としての気持ちを大切にしたいんです。

そしてその関係性から紡ぎだされた芸術を楽しむファン。それらの気持ちを大切にするならば、下手に神格化をするべきではないというのが私の結論です。そのほうが私は朝比奈氏と大フィルによる演奏を楽しむことができます。

確かに、第1楽章冒頭の、重厚な響きが鳴る部分を聴いてしまうと、「朝比奈隆ネ申!」とか思ってしまいがちだとは思います。しかしその部分であっても、それは人間朝比奈隆が解釈し、その解釈を同じ人間として受け入れていた大フィルの団員達によって生み出された個性である、ということを忘れてはならないように思います。

あくまでも人間として、この第3番という作品と向き合った結果の演奏なのだということを、私自身は心に刻んでおきたいと思います。

 


聴いている音源
ヨハネス・ブラームス作曲
交響曲第3番ヘ長調作品90
朝比奈隆指揮
大阪フィルハーモニー交響楽団

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東京の図書館から~府中市立図書館~:朝比奈隆と大フィルによるブラームス交響曲全集2

東京の図書館から、4回シリーズで取り上げております、府中市立図書館のライブラリである、朝比奈隆指揮大阪フィルハーモニー交響楽団の演奏によるブラームス交響曲全集、第2回の今回は交響曲第2番を取り上げます。

第2番以降の作品はブラームス交響曲の中でものびのびとした作品が多いことで知られていますが、この演奏はそんなことを踏まえたのか、朝比奈節があまり見られません。

録音ものでは朝比奈さんはそういうタクトを振ることが多いのですが、実はこの全集、ここまでライヴ録音なのです(ホールについては、第4回で触れます)。そういう時はむしろ朝比奈節の典型である、ゆったりとしたテンポに重厚な響き、そして見えを切るようなアコーギクが前面に出るものです。しかしこの演奏ではむしろそのうち重厚なテンポだけが前面に出ていて、むしろオーソドックスな解釈に終始しています。

だからと言ってつまらないのかと言えば全く逆。むしろ第4楽章などは盛り上がっていくにしたがって響きは重厚かつ熱を帯びるものとなっており、聴いていて感動に浸るくらいです。こういう演奏を聴きますと、朝比奈さんの音楽の特徴は全く持って深いスコアリーディングだと思います。

前述した朝比奈節の3つの特徴はあくまでも朝比奈さんの深い譜読みの延長線上であるほかにないことを、こういった演奏が意味しています。ただ、それは私がこの録音をハイレゾ相当で聴いているということもあるのかもしれません。

つまり、それはライヴ感覚に近いということを意味し、朝比奈節はライヴで聴いてこそ意味があるような、非常に繊細なものであることを意味しています。つまり、CDでは入りきらない、ということです。それをハイレゾ相当にする技術は引き出すわけです。そうして初めて朝比奈節の素晴らしさが認識できる、と言えるのかもしれないと思うのです。

その意味では、ソニーのDSEE HXという技術の、ある一定の確かさを感じます。CDだけでは見いだせない、朝比奈節の真の魅力を引き出す技術がDSEE HXである、と言えるでしょう。それがDSEE ULTIMATEであればどうなるんだろうと思うと、ワクワクします。

私自身、ブラームスだとかなり重々しい演奏になるのでは?と思っていましたが、少なくとも第2番では肩透かしをくらったような印象です。しかしそれは私の理解がただ足らなかっただけのことなのだと、今では認識をしています。

 


聴いている音源
ヨハネス・ブラームス作曲
交響曲第2番ニ長調作品73
朝比奈隆指揮
大阪フィルハーモニー交響楽団

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東京の図書館から~府中市立図書館~:朝比奈隆と大フィルによるブラームス交響曲全集1


東京の図書館から、今回から4回に渡りまして、府中市立図書館のライブラリである、朝比奈隆指揮大阪フィルハーモニー交響楽団の演奏によるブラームス交響曲全集を取り上げます。

4枚組のCDになっているこのアルバムは、朝比奈隆が大阪フィルとの蜜月の中で紡ぎあげた芸術であると言えるでしょう。まず第1回は交響曲第1番です。

朝比奈隆と言えば、3つのBの指揮で代表的な指揮者だと言えるでしょう。ベートーヴェンブラームス、そしてブルックナーです。つまりこのアルバムは、その朝比奈氏が得意としたブラームス交響曲を収録したといえるものですし、その中でも特に有名な第1番は、朝比奈節全開だとも言えましょう。

どっしりとしたテンポが作り出す、重厚な響き。さらにはゆったりとした時間の流れによる、心地ち良さ。ブラームスと言えば必ずしも美しいとはいいがたい響きを持っていますし、それが魅力だったりもします。そのブラームスを、美しくうっとりする世界、空間に買えてしまう朝比奈隆という才能は本当に素晴らしいと思います。

それと、その朝比奈氏と一緒に作り出す、大フィル。世界を見回しても、このかつての朝比奈氏と大阪フィルとの関係くらい、長く濃ゆいものもないでしょう。普通ならなあなあの関係もあるはずなのに、緩い関係性などみじんも感じさせない、あうんの呼吸による高い芸術性を生み出す力も素晴らしいと言えるでしょう。

朝比奈節全開であるため、演奏時間は53分ほどとほかの指揮者やオーケストラとの演奏に比べれば長いんですが、不思議なことにその長さを感じさせないんです。長いことには訳があるんだと、納得させてしまうだけの説得力を持つが故なのでしょう。こういう演奏こそ、個性だと言えるでしょう。大フィルからこのような個性が失われてしまったのは残念の極みです・・・・・

 


聴いている音源
ヨハネス・ブラームス作曲
交響曲第1番ニ短調作品68
朝比奈隆指揮
大阪フィルハーモニー交響楽団

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。

東京の図書館から~小金井市立図書館~:ヘンデル 二重協奏曲

東京の図書館から、今回は小金井市立図書館のライブラリである、ヘンデル作曲の二重協奏曲を収録したアルバムをご紹介します。

出版された楽譜には「二つの合奏団のための協奏曲」と記載され、現在でもその言い方が通っていますが、実際には二重協奏曲というほうが適切なようです。つまり、合奏協奏曲の編成でソロを担当する器楽群が二つあることを意味します。

ja.wikipedia.org

3つの二重協奏曲からなる作品で、1747から48年にかけて作曲され、順次1748年の「ヨシュア」をはじめとするオラトリオの合間に演奏されたものです。その目的のせいなのか、ヘンデルの他作品の使いまわしと言っても、やはり1742年に成立し、ロンドンで圧倒的な人気を誇ったオラトリオ「メサイア」から2曲、第1番と第2番に収録されています。この辺り、如何にこの二重協奏曲集が当時の聴衆の意を汲んだものであったかをうかがわせます。

確かに、内容的にはバロック期の合奏協奏曲といった雰囲気ですが、どこか祝祭感もあるのが特徴的で、いつしか楽しんで聴いている自分がいます。

演奏しているのは旧東ドイツのモダン演奏の団体、ライプツィヒ新バッハ合奏団(ゲヴァントハウス・バッハ・コレギウム・ムジクム)です。こういう団体を聴くときの楽しみは金管楽器の鳴らし方にあり、この演奏でも豊潤で朗々と鳴らしているのが美しく素晴らしい点です。生命溢れる、前進力ある演奏はどんな時も希望を与えるかのような明るさと力強さを持っています。

一方で、繊細さも持ち合わせ、自分の魂が喜びに満たされていることを感じます。自分がつい難病で折れそうになる時でも、こういう演奏は自分の魂に立ち向かう強さを与えてくれます。はやり、ヘンデルは天才だなあと感じさせる演奏の一つだと言えるでしょう。

 


聴いている音源
オルグ・フリードリッヒ・ヘンデル作曲
二つの合奏団のための協奏曲集
二つの合奏団のための協奏曲第1番変ロ長調~2本のオーボエファゴット、弦楽と通奏低音のための
二つの合奏団のための協奏曲第2番ヘ長調~2本のホルン、2本のオーボエファゴット、弦楽と通奏低音のための
二つの合奏団のための協奏曲第3番ヘ長調~2本のホルン、2本のオーボエファゴット、弦楽と通奏低音のための
マックス・ポンマー指揮
ライプツィヒ新バッハ合奏団(ゲヴァントハウス・バッハ・コレギウム・ムジクム)

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。

東京の図書館から~小金井市立図書館~:ブリテン 春の交響曲ほか

東京の図書館から、今回は小金井市立図書館のライブラリである、ベンジャミン・ブリテンが作曲した「春の交響曲」ほかを収録したアルバムをご紹介します。

ブリテン交響曲を書いていたの?とびっくりされる方もいらっしゃるかもしれません。ブリテンと言えばシンフォニストのイメージ、ほぼないですから。しかし交響曲とは一見するとわからないような交響曲ならいくつか書いており、この「春の交響曲」はそんな作品の一つに数えられると思います。

ja.wikipedia.org

このアルバムは、この「春の交響曲」を伝統的な「交響曲」と捉えることをせず、むしろウィキの説明にある通り「オラトリオあるいは連作歌曲」という位置づけでアルバムを構成しています。それはカップリングが聖チェリーリア讃歌と「5つの花の歌」になっていることから明らかです。だからなのか、リベラルなクラシック・ファンからは冷遇されているのがブリテンだと言えます。自己主張がない、とか。

しかし、オラトリオを交響曲と言ってしまう点を考えると、これほど強烈な個性はないだろうともいえます。音楽が美しさだったりを追い求めていたりするのでそう感じてしまうのかもしれませんが、歌詞も相当なものですし、意外と「春の交響曲」はとてもイギリスらしさを持っているうえでかなり個性的な作品であると言えるでしょう。

www7b.biglobe.ne.jp

結構保守的な内容も持つ詩を、20世紀音楽的な不協和音の中に落としこんだりと、実は結構リベラルな点も散見されるのがこの「春の交響曲」で、やはり歌詞を見るということは必要でしょう。とくにこの作品が合唱こそ主役であるということを考えると、その歌詞の分析なしにいいかげんなことを言うのはただ単に好き勝ってに言っているにすぎません。別に好き勝手にいう事が悪いわけではないですが、そういう人に限って例えばブリテンをこき下ろすような評論をしている人だったりもします・・・・・

それぞれの歌詞を書いた詩人を検索してみますと、意外にも共和主義を標榜していたりと千差万別。これをどう解釈すればいいのでしょう?私は作曲した時期、1949年というタイミングに注目します。第2次世界大戦が終わり、冷戦がはじまろうとしている中で、ながい戦争というトンネルを抜けて、やってきた平和という「春」。それは戦争に耐え抜いて、多様性を守り抜いたイギリスの誇りから生まれた作品である、と私は推測するのです。

それは最後の詩「ロンドンよ、お前にあげよう」の中の歌詞にも表れています。

「更に加えては 神よ救い給え われらが
王を そしてこの国に平和をもたらし給え
そして反逆者をこの地から根絶やしにし給え!」

Which to prolong,God save our
King,and send his country peace,
And root out treason from the land!

この歌詞の前には、いろんな人が春の喜びを楽しむという場面が描かれています。それはまさに、長いトンネルを抜けて巡ってきた「平和」という「春」を謳歌する、「様々な」人々にほかなりません。それはブリテンがこの詩の中に、明確にイギリス市民を見出しているからこそだと言えるでしょう。

それを、伝統的な4楽章形式の交響曲という姿を借りて、実際には讃歌としてオラトリオのように書いているという内容につながってくると言えるでしょう。これはブリテンの「論文」であるとも言えます。そして同時に讃歌でもある。明快ですが一方で複雑なものも持っている作品です。なるほど、こうきたかという感じが私の中にはあります。

指揮はガーディナーでオケはフィルハーモニアですが、特に合唱の伸びがあり生きのいい歌唱は魅力的です。DSEE HXを動作させますとさらにその伸びの良さ、ホールいっぱいを使った、宗教的な響きが重視されているのもまた魅力で、合唱好きにはたまらない演奏です。オーケストラも生命力あふれる演奏を繰り広げますし、古楽演奏で宗教曲も振り慣れているガーディナーの明快なタクトであるからこその、ポテンシャルが引き出されたともいえるのかもしれません。とにかく、非常にきいていて生命力にあふれる演奏。

私たちは確かに生きている・・・・・そんな共感に満ちた演奏です。

 


聴いている音源
ベンジャミン・ブリテン作曲
春の交響曲 作品44
聖チェリーリア讃歌 作品27
5つの花の歌 作品47
アリソン・ハグリー(ソプラノ、春の交響曲
キャサリン・ロビン(アルト、春の交響曲
ジョン・マーク・エインズリー(テノール、春の交響曲
ソールズベリー大聖堂少年少女聖歌隊(合唱指揮:リチャード・シール)
エマ・プレストン=ダンロップ(ソプラノ、聖チェチーリア讃歌)
ギル・ロス(ソプラノ、聖チェチーリア讃歌)
ペネロープ・ヴィッカーズ(アルト、聖チェチーリア讃歌)
ピーター・ミッチェル(テノール、聖チェチーリア讃歌)
リチャード・サヴェイジ(バス、聖チェチーリア讃歌)
モンテヴェルディ合唱団(5つの花の歌)
ジョン・エリオット・ガーディナー指揮
フィルハーモニア管弦楽団

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。