かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から~府中市立図書館~:朝比奈隆と大フィルによるブラームス交響曲全集3

東京の図書館から、4回シリーズで取り上げております、府中市立図書館のライブラリ、朝比奈隆指揮大阪フィルハーモニー交響楽団の演奏によるブラームス交響曲全集、第3回の今回は交響曲第3番を収録したアルバムをご紹介します。

主調がヘ長調の割には、くらーくも聴こえてしまう第3番。しかし、実は生き生きとした演奏も多いのも、この第3番の演奏の特徴だと思います。

一方で、この朝比奈隆と大フィルによる演奏はどうかと言えば、朝比奈節全開とそうでもない部分とが同居する、意外な演奏になっています。ですがその結果、生命力も存分に感じられる演奏になっているのです。

この第3番の演奏ほど、ある意味朝比奈隆の譜読みとは何か、そしてそこからいずる朝比奈節とは何かを、現出させている録音もないだろうと思います。オーケストラを存分に歌わす手法として、時にはゆったりカンタービレして見えを切り、時にはテンポよくして重厚さだけで語らせてしまうという2つのアプローチを取っているのです。これには聴いていてうなってしまいます。

実は私としては、もう少し筋肉質な演奏の方が好みです。ですがこの演奏が嫌いか、排除する対象かと言えば答えはNoです。むしろその反対で、この演奏はとても好印象ですし、そのうえでしっかり受け入れられるものになっているのです。いつも私がいうプロオケの「説得力」がこの演奏には満ちており、金太郎あめのようにどこを切っても存在します。だからこそ、思わずうなってしまいますし、演奏にのめりこんでいる自分がいます。

ベートーヴェンでも語りましたが、とにかく百聞は一見に如かずとはよく言ったもので、この演奏程朝比奈氏の解釈の基礎となるものが現出されているものはないと思います。ゆったりとしたテンポこそ朝比奈氏!みたいな神格化は私はしたくありません。その一方で朝比奈氏はやはり当代きっての名指揮者であったと考えます。テンポをそれまでいじらず、しかし多彩な表情をオーケストラの響きから作り出すマジックは、確かに魔法と言ってもいいです。

ですが、神格化はしたくないんです。この演奏はあくまでも人間朝比奈隆が深い譜読みの結果導き出したものです。その朝比奈氏の人間性と、その人間性について行った大阪フィルの団員達の、人間としての気持ちを大切にしたいんです。

そしてその関係性から紡ぎだされた芸術を楽しむファン。それらの気持ちを大切にするならば、下手に神格化をするべきではないというのが私の結論です。そのほうが私は朝比奈氏と大フィルによる演奏を楽しむことができます。

確かに、第1楽章冒頭の、重厚な響きが鳴る部分を聴いてしまうと、「朝比奈隆ネ申!」とか思ってしまいがちだとは思います。しかしその部分であっても、それは人間朝比奈隆が解釈し、その解釈を同じ人間として受け入れていた大フィルの団員達によって生み出された個性である、ということを忘れてはならないように思います。

あくまでも人間として、この第3番という作品と向き合った結果の演奏なのだということを、私自身は心に刻んでおきたいと思います。

 


聴いている音源
ヨハネス・ブラームス作曲
交響曲第3番ヘ長調作品90
朝比奈隆指揮
大阪フィルハーモニー交響楽団

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