かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から~府中市立図書館~:朝比奈隆と大阪フィルハーモニー交響楽団によるベートーヴェン交響曲全集5

東京の図書館から、6回シリーズで府中市立図書館のライブラリである、朝比奈隆指揮大フィルによるベートーヴェン交響曲全集を取り上げていますが、今回はその第5回、第5集を取り上げます。

第5集には交響曲第6番「田園」が収録されています。え?その1曲だけ?って思うかもしれませんが、はい、その1曲だけです。田園が収録されるときってかなり田園だけということはほかの全集でも多いのですが、3曲続けて1曲だけにしている(実は次の第6集も1曲だけなのですが)と、ちょっと驚いてしまいますよね。

驚きはそれだけではありません。総演奏時間が約43分。これ、拍子抜けしてしまいます。あれ?朝比奈節どこ行った?ベーム指揮ウィーン・フィルのほうがもっと遅くなっていたはずだ、と。

ええ、この演奏、あまり朝比奈節を感じられない、稀有な演奏となっています。ですがところどころ細かく朝比奈節が見え隠れはしているので全くないということはないんですが、ほぼ朝比奈節を捨て去ったかのような演奏になっていることは確かです。

で、それじゃあダメなのかと言えば、これがとても心地よい演奏なんです!オケを存分に鳴らして歌わせた演奏は、まさにベートーヴェンが田舎に来たその喜びを表しているかのようです。素晴らしい!

多分、私の美意識と朝比奈さんの美意識が限りなく近づいた演奏はこの第6番「田園」の演奏であると言えるでしょう。違和感が全くなく、むしろとても心地いい演奏は好きな部類に入ります。多少朝比奈節が見え隠れはしますがそれは許容範囲内。全く問題ありません。朝比奈さんって時としてこういう解釈、そしてタクトになることがあるので、不思議な人です。ですがブレてもいない。朝比奈節は細かいがしっかり存在している。ほんと素晴らしい演奏だと思います。

こういう驚きは大歓迎です。これぞプロオケを聴く醍醐味ですから。これは名演と言っていいと思います。むしろ朝比奈節はこういったゆったりとした作品にこそ合うのだと思います。それが全く違和感ないということにつながっているのでしょうし。

本当にいつまでも聴いていたいと思わせる演奏で、さすがプロと言わざるを得ません。第4楽章のティンパニもぶったたいてくれますし、非の打ちどころがない演奏です。これだけの演奏をするオーケストラに対して誇りが持てず、演奏する団員にチラシ配りをさせる大阪府あるいは大阪市というのは、私は芸術の何たるかがわかっていない人たちだと断言せざるを得ません。そしてそれに喝采を送った市民たち。この人たちも芸術に対して無知な人たちであると断言できるでしょう。それは事務局の仕事であり、大フィルの事務局の怠慢を批判しなければいけないのに、橋下氏の小劇場の劇団員を持ち出したことに何も批判できるだけのものを持ち合わせていなかった、ということになるわけですから。小劇団に事務局などあろうはずがありません。だからみんなでやるんです。ですが事務局がある団体であればまず事務局でやり、やりきれないときにオケの団員に頼む、というのが筋です。

なぜなら、プロのオーケストラは基本分業だからです。団員たちは自らの技量を高めていい演奏をすることが仕事です。一方事務局はそのオーケストラにいかにお客を呼ぶかが仕事になるのです。この分業体制がわかっていないと、おかしなことになります。どんな赤字の会社であろうとも、まず営業部門にメスを入れてテコ入れします。オーケストラにおいてその営業部門とは事務局です。団員はそのお手伝いで口コミをしたりするのが普通です。それがわかっていない知事、そして市長の存在が大フィルの演奏力を削いだのだとすれば、それは補助金を出す意義から外れています。それでいいと考えているのであれば、大阪の凋落を止めることは不可能だと断言します。

 


聴いている音源
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲
交響曲第6番ヘ長調作品68「田園」
朝比奈隆指揮
大阪フィルハーモニー交響楽団

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。

今月のお買いもの:飯森範親と日本センチュリー響によるハイドン交響曲全集12

今月のお買いもの、令和3(2021)年9月に購入したものをご紹介します。e-onkyoネットストアにて購入しました、飯森範親指揮日本センチュリー交響楽団の演奏によるハイドン・マラソンの第12集です。ハイレゾ192kHz/24bitです。

なので、音を鳴らした途端の解像度は素晴らしい!できれば2ウェイで聴きたいですね。第75番第1楽章最終部の疾走はもっと細かい解像度で再現してくれると思います。

それにしてもです、こういう演奏を聴くために、私は生還した、生き残ったと思うんです。Covid-19に罹患したときはもうこれからどうなるんだろうと不安でしたが、細かいことが雑になりながらもとにかく命だけは救うんだという医師、そして看護師などの方々を見ていると、絶対に生きねばならん!と思いました。

その結果、こうやって素晴らしいハイドンの演奏が聴けることは本当に喜びです。とはいえ、実は罹患しなければ日本センチュリー交響楽団の演奏を仕事の兼ね合いがありますが明いていればオペラシティまで聴きに行こうかとも考えていた矢先でした・・・・・

それもあって、9月は何をDLしようかと思った時、この第12集が出ていることを知り、ならばと購入したのがこれです。そしてその演奏のなんと生き生きとそして溌溂としていること!生き抜いてよかったと思う瞬間です。

され、この第12集には第83番、第79番、第75番、そして「薬剤師」序曲を間に挟むという内容になっており、交響曲は主にハイドンモーツァルトの存在そして作品を知った後の作品が並んでいます。すでに円熟の域に達したはずのハイドンがもう一度新しいものにチャレンジしていった作品達です。特に第83番「めんどり」では繰り返しで思わず「やりやがったなwwwww」とにやりとする場面すらある作品です。それをオケが嬉々として演奏している様子が伝わってくるのは素晴らしいと思います。

そう、ハイドンの作品は楽しんでなんぼだと思います。そういう演奏が日本のオケでは少なかったのですが、日本センチュリー響の演奏でその「楽しんでいるのが演奏から伝わる」演奏として聴けるのは本当に幸せです。

「薬剤師」も薬局に来たかわいい女性をめぐるドタバタ劇。ならば楽しまないでどーすんの?という点もあります。そこも楽し気なのもいい!とここまで称賛の嵐なのですが・・・・・

Music Center for PCの、曲順がバラバラになるのはどーにかしていただけないんでしょうかねえ。ハイレゾでは初めて現出したのですが、私が主宰している鑑賞会では結構最近頻繁に起きるのですよねえ。確かに全体像はつかめますし一応交響曲1曲のなかでバラバラになっている様子はないのでほっとしていますが、本来のアルバムの曲順は

第83番
第79番
「薬剤師」序曲
第75番

なのですが、Music Center for PCでは
「薬剤師」序曲
第75番
第79番
第83番

と、ほぼひっくり返っているような状態。これはどうにかしないといけないんじゃないんですか?私たちユーザーサイドでどうにかできるんだったらやりますが、私の場合そのアルバムを聴くだけドラッグアンドドロップでもってきておりプレイリストを作らないので、それでも元のアルバム通りに再生していただけないのはちょっとなあ、と思います。せっかくDSEE HXといういい機能がついているんですから、もったいない気がします。

できれば、これは次のヴァージョンで改善されることを望みます。おそらくDL順、つまり作成時間順で並べるように仕様しているんだと思いますが、それを改正して、明らかに曲順で並べるというようにしていただきたいと思います。せっかくのいい演奏がそれだけでちょっとだけストレスです。

 


聴いているハイレゾ
フランツ・ヨーゼフ・ハイドン作曲
交響曲第83番ト短調Hob.I:83「めんどり」
交響曲第79番ヘ長調Hob.I:79
歌劇「薬剤師」Hob.Ia:10より序曲
交響曲第75番ニ長調Hob.I:75
飯森範親指揮
日本センチュリー交響楽団
(Exton ovcl00756 192kHz/24bit)

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。

音楽雑記帳:新型コロナウイルス感染症罹患記

音楽雑記帳、今回は私自身の新型コロナに罹患したことと関連付けてお話をしたいと思います。

8月15日のことです。私は夜勤に向かうべく、昼頃には目が覚めていました。しかし、その前日くらいからなかなか起きられずにいました。

眠いわけでもなく、しかし起きられない。ようやく起きたのですが、体はとても重く、このまま出勤準備ができるとは到底思えない状況に陥りました。

自分で額に手を当ててみても特に高熱が出ているようには思えず、しかしとにかく体が動かないため、おそらく出勤が不可能であることを現場に伝えました。しかしこの時、すでに私自身は38度以上の高熱に侵されていることに全く気が付かないでいました。

現場からはどう考えてもおかしいから119番通報せよ、との指示をもらい、悩んだ末にその通りにします。そして救急車が来るのですが、その際自分で体温を測ってびっくり!38度も出ていることにようやく気が付いたんですね。しかもその時自分でも気が付かなかったのですが、あとから考えると現場に電話した時も119番通報した時もともに呼吸困難で言葉がとぎれとぎれなんですね。そりゃあ誰だっておかしいって思いますよね。

救急車の車内でPCR検査と酸素飽和度の検査。PCR検査はすぐ陽性反応が出て、罹患したことはわかったのですが、酸素飽和度が90を切っており、緊急入院と相成りました。入院先は武蔵野赤十字病院。看護師さんたちには本当にお世話になりました。この場を借りて御礼申し上げるとともに、新型コロナ病棟の看護師の皆さんの健康をお祈りしております。

酸素飽和度がかなり下がっていますから当然搬送時そして入院しても酸素チューブを外すことはできず、折角減圧個室に入るも一時はICUへ移され、そのまま酸素吸入器へつながれるや、という事態に。しかしすぐ容体が安定しICUにおいて酸素吸入までは必要ない(もちろん、酸素は強制的に吸わされてはいます)状態にまで落ち着いたため、一度は入った減圧個室に再び戻りました。

ここまでは全く音楽など聴けていません。そもそも入院する4、5日前から起きられずに音楽など聴けていません。ですのでほぼ1週間くらい、音楽は聴けずじまいだったのですが、救急車を要請して乗る、といった時に一応スマホを使うのに必要な一式はもっていく、という決断をしていました。これはなぜかと言いますと、少なくとも当日現場へ連絡をしなければいけなかったこと、そしておそらくそのあと仮に入院となれば、どこかで音楽を聴くフェーズがやってくるはずだと判断したためです。とにかくスマホの一式をもっていっておけば、あとは何とかなるはずだ、と。

法律的に、新型コロナウイルスに感染して発症し入院となった場合、面会謝絶になります。家族ですら離れて暮らしていて接触がないと言っても謝絶なのです。ですが入院している間に必要な備品は病院内で買うことができます。そのお金の工面だけを家族には頼みました(これは自分の現金ですら取り上げられるからで、クオカードへと必要な分だけ強制的に替えさせられます。しかし当時私は保有現金は底をついており引き出さないといけない状況だったため、家族に無心しました)。後はとにかく、自分の状況をスマホで報告することだけを考えていました。

当日入院したことになったことを現場に報告して以来、スマホに触れるようになったのはICUから減圧個室に戻ってから、です。LINEやFBなどで状況を報告して、そのあとは多少動画は見ますけれど、基本的には何もできません。テレビは見れます。ですが行動範囲はベッドの上だけだと言っていいくらいの範囲しか動くことができません。なぜなら酸素飽和度が下がっているために酸素を吸わないといけない状況に陥っているため、動いても差し支えない範囲でしか行動が許されないためです。

個室なので実はトイレもシャワーも洗面も専用で付いています。しかし使うことはできません。私たちは知らないうちにトイレなどへ行く、そしてそこで行為をするときに大量の酸素を使っているのです。しかしその時の私にとって、そのために必要な酸素はつながれたチューブから吸わないといけなくなっており、とてもトイレまで行くことはかないません。ではどうするのか?本当に恥ずかしい話なのですが、まさかいい大人になってから「おまる」を使うことになるとは、想像もしていませんでした。

そう!「おまる」です。あの赤ちゃんが使うやつです。ですがそれを使わない限り、便通をいたすのは無理です。新型コロナウイルスに罹患し入院レベルまで行くとそうなってしまうんです。それが最もつらかったと言っていいのでは?と思います。シャワーも使えないどころか許可すらされないんです。当然いろんなところが痒くもなり・・・・・

ひげも伸び放題で、どこぞの仙人か!という感じになります。小便は一時は尿瓶を使いましたが使いづらいため、おまるですることにさせてもらいました。もう羞恥心などありません。生き延びるためにはまだまだ酸素を吸っていないといけないフェーズでそんなことを考える余裕などありません。まずは生き延びる事。それが最優先課題です。

おかげさまで今現在までも味覚障害がないので、病院食もおいしくいただけたのは幸いだったと思います。多分食事をおいしくいただけていなかったら、「とにかく生き延びる!」と考えられたかは疑問です。これは本当にラッキーだったと思います。

ようやく安定してきてからは音楽を聴くことを考えます。幸い個室なので、スマホのスピーカーを使って音楽が聴けます。その機能を使って聴き始めるのですが、実は入院時私は食欲もなく、実際酸素飽和度を考えたときに食事ができる状態ではなかったため、2日間点滴となりました。栄養を摂る点滴と、肺炎治療のために流すステロイドの点滴と二つを必ず流していました。食事が摂れるようになってからはステロイドの点滴のみになりましたが、最初の1週間はそれを午前と午後の2回やるんです。これが強い薬でして、夜になっても寝れないんです。そうなるとそこまで音楽を聴き続けることになるんですが、スマホのスピーカーはインピーダンスの関係でかなり大きくしないと聞きづらく、いちど看護師さんに深夜に音が漏れているのでと注意を受けています。

それでも、音楽を聴いていないと本当に自分が苦しくて、気力を奮い立たせるためにも音楽、特にそのフェーズだとほとんどベートーヴェンの第九だけを聴いていました。しかしステロイド系の薬を使っているため、ところどころ音が飛んだりしているのに気が付くんですね。もっと言えば、その分聴けていないわけなんです、薬の影響で。それが落ち着くには最低点滴が1日1回にまで減らないと無理でした(それでも眠れないため、睡眠導入剤すら使っています)。その時点でようやく「音が飛んで聞こえる」状況は落ち着きました。

ようやく音楽をイヤホンをしてどんどん聴けるようになったのは、少なくとも酸素が据え付けの水素からチューブではなく、動くときだけ酸素ボンベにつないだチューブをつけるようになってから、です。つまりベッドの上では酸素チューブをつないでおく必要がなくなってから、です。こうなると洗面もできますしトイレも行けます。この状態になって初めてイヤホンを付けました。それまでは酸素チューブや姿勢(実は新型コロナウイルス感染症は重症であっても腹ばい姿勢を保てばかなり回復できることがわかってきています)を考えたとき、選択できなかったのですがようやくイヤホンを選択できることは私にとっては福音で、仮に深夜まで眠れなかったとしても音楽だけは聴くことができるためです。とはいえ朝方まで起きてしまうようなことがあったので、ナースセンターでモニタリングしている看護師さんの提案で、睡眠導入剤を使ってもいます。その時はすぱん!と音楽はそこで終わり!としています。寝る以上の回復方法をご存じの方がいらっしゃれば教えていただきたいくらいです。

そしてもっと一日中イヤホンをして聴けるようになったのは、パラドックスですが、大部屋へ移動になってから、です。大部屋へ移るということはウイルスが体の中からいなくなり、少なくとももう移動するときなどに酸素吸入が必要ないというフェーズであるからですが、勿論大部屋だと時間で消灯になりますけれども、そこまでは存分に聴けるわけです、音漏れさえなければ。音漏れだけを注意して存分に音楽を楽しんでいました。むしろ音楽を楽しめるようになったのは大部屋へ移動してからだったと思います。それでも一度2夜にわたって音楽を聴いても聴いても睡眠が浅く下手すれば起きていてしまう情況が続き、酸素飽和度が昼間89まで落ちてしまいます。そのためそこからは退院まで夜は睡眠導入剤の力を借りることにしました。当然ですが消灯以降音楽は聴けません。しかしそれでいいと思っていました。減圧個室の時同様、「生き延びる事」が最優先であるため、です。服用後30分くらいで記憶が無くなり、寝ている自分がいました。翌朝の酸素飽和度はしっかり90台を回復していました。やっぱりね、と。

さらに便通もなかなかなかったため、もう一度しっかりと腹ばい姿勢を午前、午後、夜の3つに分けて合計8時間ほど行いました。すると便通も催し、さらに痰などもどんどん出るようになって、自分が回復してきていることが実感できるのです。こうなると深夜まで音楽を聴いている必要はなく、むしろ夜はしっかり寝ることを心がけていました。そうすると朝目覚めてから聴く音楽がとても瑞々しく、楽しいのです。勿論腹ばい姿勢もとりながら、です。あの時程音楽が喜ばしい、楽しいと思ったことはなかったろうと思います。

よく、某SNSのグループ、たとえばFBの「クラシックを聴こう!」などで、罹患し入院したらどんな音楽を病院へ持っていきますか?という質問が時節柄取り上げられるのですが、今回の経験で言えることは、そんな余裕などない、ということです。現状軽症で入院などできるわけがなく、すくなくとも中等症以上で救急搬送時に酸素飽和度(パルオキシメーターで測った値)が80台でなければ入院の対象になりません。そんなときに何をもっていこうかなんて選択する余裕はありません。私の場合、とにかくスマホに入っている音楽が聴ければいい、後は入院となってから考える、でした。もしかしたら入院ではないかもしれなかったですし、それを考えたときにそんないろんな選択をするだけの時間的精神的な余裕など全くありませんでした。ですがスマホには128GのmicroSDカードが刺さっており、そこに何曲ものクラシック音楽が入っています。それが聴ければそれで十分だと思っていましたので、とにかくスマホが使えるようにしておきさえすればいいとだけ思い、ウェストポーチをひったくり、身支度だけ整えて救急車へと乗り込みました。其れ以外に自分に何ができただろうかと反芻しても、おそらく救急車へ乗った時以上のことはできなかったろう、と思います。結局、寝間着などは病院からレンタルになるんですから。その分の料金を支払えばいいだけです。というのは、自分が持っていく着替えなどはすべて取り上げられてしまうからです。

私自身も、着て行った服は脱がされ取り上げられ梱へと入れられてしまい、結局退院時まで着ることはありませんでした。着て行った下着までも取り上げられ、それはパンツにまで及びます。後はすべて病院からのレンタルを使うことを承諾させられるのです。そんな緊急事態において、音楽が聴きたいから何をもっていこうなんて考えている余裕などありません。

それを言うなら、CDを持っているのであればそのCDに優先順位をつけて、データ化して普段からスマホにデータを入れておくことをお勧めします。私の場合ソニーXperiaですから、CD音質もハイレゾ相当にして聴くことができます。大部屋へ移ってから、その機能でどれだけ助けられたことか。それを考えた場合、いわゆる携帯音楽プレーヤーに音楽を入れることをお勧めします。できればスマホ一つで済めばそれでいいと思いますが、そう行かない場合はスマホと携帯音楽プレーヤー(例えばソニーウォークマン)と二つ用意しておいて、普段からどんどん携帯音楽プレーヤーにデータを入れて楽しんでおくことを本当にお勧めします。そうすれば音楽が必要だと思えばスマホや携帯音楽プレーヤー、そしてその周辺ケーブルなどをカバンに入れて持っていけばいいわけです。それは取り上げられることなく病室で使うことができます。しかも、ソニーの最新のXperiaなら、スピーカーの性能もXZ3よりも格段に上がっているため、いい音で聴くことだってできます。まあそれは減圧個室でということになろうかと思いますが、少なくとも携帯音楽プレーヤーを持っていきさえすれば、病室内で音楽を楽しむことはできます。

そしてできれば、充電ケーブルなどはひとまとまりにしておいて、普段から携帯音楽プレーヤーと一緒に持ち歩くようにしておくことをお勧めします。私の場合、最近は夏ということもありスマホとその充電用ケーブルなどはひとまとまりにしてウェストポーチに入れてあります。今回入院するにあたり、そのウェストポーチだけをカバンとしてはひったくり、後は家に置いて行っています。それ以外の、たとえば仕事用もしくはプライベート用のバックパックを持っていったとしても不必要なものはすべて取り上げられるので(前掲ですが、現金や履いて行ったパンツすら取り上げられるんですから!)、今回その選択は間違っていなかったと思っています。

今回の入院はいろんな経験をしましたが、音楽をデータ化しておくことは非常時においても有効なことであるということを実感しました。是非とも読者の皆様にも、自分が罹患した時、音楽が聴きたいけれどどうしようと考えるきっかけにしていただき、普段の自分があるべき音楽の聴き方というものを考えていただけると幸いです。

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。

東京の図書館から~小金井市立図書館~:ベルグルンドが振るシベリウス交響曲全集と管弦楽集4

さて、退院後初にお届けするエントリは、東京の図書館からシリーズ。小金井市立図書館のライブラリである、パーヴォ・ベルグルンドが振るシベリウス交響曲全集と管弦楽撰集の第4集です。

第3番と第6番、そして「タピオラ」が収録されていますが、第3番だなんてなんとタイムリーな・・・・・第3番は、精神的に苦しみ病んだシベリウスが回復した喜びを表現した作品だと言っていい作品です。そんな作品を、Covid-19による感染症で入院し、回復して退院した私と、何度聴いてもダブるんです。

今は退院して自宅に居りますが、まだまだ苦しい状態が続いているのも確かなんです。危機的状況を脱しただけで、まだまだリハビリが必要なフェーズで、なかなか仕事へ復帰というわけにもいかない状況がつづいています。それでも、ああ、生きている、多少息が苦しくても朝しっかり起きられていますし、体が重くて仕事へも行けないということはないんだ、と思うだけで喜びがあふれ出てきます。

そんな自分の喜びが、第3番の第3楽章とどうしてもダブるんですよね。第6番も決して暗い作品ではないだけに、どうしても自分の喜びと重なります。

そのうえで、タピオラは単に透明感があるだけではなく、むしろその作品に人の血が通っているように聴こえるだけに、さらに自分の退院の喜びと重なっていきます。

もちろん、これはたまたまなんですが、それにしてもタイムリー過ぎるよなあ、と思います。実際には8月の半ばにはエントリを立てる予定だったものが、入院により9月初旬へとずれ込み、退院の時期と重なるなんて予想などしていません。そもそも感染を予測するなんて、だれができましょうや。しかも自分自身のを、です。

退院後、どんな音楽を聴くんだろうと思って、一応Music Center for PCを立ち上げ、内容を調べてみたら、なんと1曲目がシベリウス交響曲第3番だったなんて・・・・・もちろん、これ、8月半ば、入院前に原稿を書くために聴いていた演奏です。ですので狙ったわけでは決してありません。ですが、本当にタイムリーであり、しかもベルグルンドの冴えるタクトによる演奏でなんて、タイムリー過ぎる内容です。

単に癒しというのではなく、むしろ共感というほうが正確なのではないかと感じるベルグルンドのタクト。オケは交響曲ヘルシンキ・フィルで、「タピオラ」がフィルハーモニアですが、どちらもしっかりと歌われるオケが魅力的。しかも、「タピオラ」はDSEE HXを動作させて聴きますと、ホールの残響すら「歌」として取り込み、作品の生命を明らかにしている点は本当に素晴らしく、思わず引き込まれていきます。多分その素晴らしいタクトが、私をして作品の世界と自分自身とを重ね合わせ、じんわりと感動しているのではないかと思います。

 


聴いている音源
ジャン・シベリウス作曲
交響曲第3番ハ長調作品52
交響曲第6番ニ短調作品104
交響詩「タピオラ」作品112
パーヴォ・ベルグルンド指揮
ヘルシンキフィルハーモニー管弦楽団
フィルハーモニア管弦楽団

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。

今月のお買いもの:ラトルとウィーン・フィルによるベートーヴェン交響曲全集4

今月のお買いもの、令和3(2021)年7月に購入したものをご紹介しています。今回は府中市立図書館のライブラリでは音飛びして聴けなかった、ベートーヴェン交響曲全集のうち、第7番をご紹介します。ディスクユニオン新宿クラシック館での購入です。

とはいえ、この第4集は第7番と第8番が収録されており、結局第8番も聴いていますが、フォーカスするのは第7番にとどめ、第8番はその関係性で語ろうと思います。というのも・・・・・

これほど生きのいい第7番の演奏を聴くのも、久しぶりのような気がします。とはいえそれほど快速テンポであることもないのですが、それであってもリズムを強調しつつもそれに嫌味がない第1楽章は、確実に聴衆である私の魂をわしづかみにします。

第2楽章の緩徐楽章もゆったりですがリズム感がいいですし、第3楽章以降は情熱がヒートアップ!ですがテンポとしてはそれほど速いわけではありません。それは第8番においても同様で、この二つは作品番号順としては並んでいることもあるのか、ラトルは一つとして考えているような気がします。

その点では、第8番の演奏を府中市立図書館で借りてきたときに感じた、いいテンポ感、そしてそれは第7番でも同じだから音飛びということ(つまりそれだけ聴かれている)ということになったのだろうなあという私の直感は正しかった、ということになります。なるほどなあ、と思いますが、ならなおさら、府中、あるいはその周辺3市の市民の方には、資料の取り扱いに注意をしてほしいところだなあと思います。

確かに資料は府中市のものですが、三鷹西東京、そして小金井の3市の市民も借りられる、都下4市の共有財産だともいえます。であれば、その4市の市民は大切に扱う必要がこれからも必要であろうと思います。本来なら借りるだけでこの2曲に対するラトルの解釈が聴けば自然と浮かび上がるわけです。それを第7番だけ購入せねばならず、結局は全部購入となるのなら資料としてそこにある意味すら低下します。図書館の役割りを考えたとき、その枠割を果たすためには単に図書館職員だけではなく、やはり使う側の注意というものも必要であろうと思います。

そうでなければ、おそらくこれからは、音楽資料に関してはすべてナクソスのサービスへと移り、図書館内でなければ聴くことは不可能となり、基本貸出不可となるでしょう。この素晴らしい演奏が貸出不可になることが、どれだけの文化への損失になるのか、利用者側も考える必要があると思います。

確かに聴くことはできるでしょう。しかし、その範囲が狭められることが、どれだけの損失になるのか・・・・・今、私たちはコロナ禍で嫌というほど味わっているのではないでしょうか。なら、資料を大切に扱うことも、非常に大切な文化への貢献だと思います。とても簡単です。借りてきたときにCDを慎重に扱えばいいだけです。そしてなるべくリッピングで済ませる。そうすればCDに傷はつきにくいですし、できないならなるべくいいデッキで聴くようにしたり、そこまでいいデッキがなくて仮に傷がついた場合は図書館へ返却するときに申し出たり、あるいは自分で補修したり(浅い傷ならそれで十分聴くことができます)すればいいのです。

またそれは、図書館職員の方にも注意してほしいなあと思います。特に府中の場合、コアポストは府中市の職員ですが受付などは民間へ委託しています。その民間の社員の方もCDを管理するときに慎重に扱ってほしいのです。これが小金井と府中、そしてもっと言えば神奈川県立図書館との差で、小金井は事実上小金井市から委託を受けた民間団体が行っており、資料の扱いも丁重ですし、神奈川県立図書館は神奈川県の職員です。ですが府中は民間会社が運営をしているんですね。それはそれで安く済むという意味ではいいのですが、見ているとちょっとこれ大丈夫?という扱いをCDに関してはしている場面を見たこともあります。そんな場面があった場合。府中市民はもっと声を上げていいと思います。図書館職員の「使命」として、まずは資料を丁重に扱うことは仕事のイロハのイ、です。声を上げて当然なのです。だって、府中市民の皆さんの税金で買った「宝」なんですよ?それを雑に扱われて、いい気がしますか?

ラトルがこの2曲に込めた「魂」というものが、なるべく長く都下4市市民に伝わっていくように、協同で守っていく必要があると思います。たまたま私は今回ディスクユニオンで買えましたし、どうやらe-onkyoハイレゾの取り扱いも始まったようです。いいタイミングですが、図書館で借りられる、というメリットがなんであるのかを、今一度考えていただけると幸いです。

 


聴いているCD
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲
交響曲第7番イ長調作品92
サー・サイモン・ラトル指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(EMI Classics)

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。

掲載曜日を移動、削減します

皆様こんにちは!「音楽のある日常」ブロガーのかんちゃんです。

もうすでに実現させていますが、「神奈川県立図書館所蔵CD」のコーナーが終わったことから、掲載曜日を移動させ、そのうえで掲載日を削減します。

毎週月曜日に「東京の図書館から」のコーナーを掲載。そして中日水曜日には「今月のお買いもの」もしくはコラムを。そして毎週土曜日には、コンサートレビューもしくはコラムを掲載することとします。

「東京の図書館から」は当分続くコーナーになるかと思います。特に現在、府中市立図書館において、バッハのカンタータ全曲演奏を借りるシリーズが継続中となっています。新型コロナウイルス感染拡大によりストップしていますが、できるだけこれは完結させたいと思っています。

「今月のお買いもの」はすでにハイレゾを購入することにしており、その点数も少ないため全集とかでなければそれほどヴォリュームがないため、書きたくてうずうずしているコラムをどんどん発表していきたいと思っています。

そのため、今までは同じ土曜日だった「コンサート雑感」から独立させ、水曜日に移動。土曜日は基本コンサート雑感です。ないときにはコラムになるかと思います。場合によっては「東京の図書館から」を土曜日に掲載というケースもあるかもしれませんが、基本はコンサートレビューです。

これは、ひとつには「神奈川県立図書館所蔵CD」のコーナーが終了しひと段落ついたということと、このコロナ禍でありつつも、仕事とプライベートが忙しいという、大変ありがたいことが続いているためです。

仕事はすでに対人援助の現場から離れ、全く異なる分野で就業していますが、そこで結構大切にされているということがあり、それで忙しいことに加え、プライベートでかつて就業していた対人援助関係の「ある会」に関わっているため、その「グループ」運営も多忙になってきたためです。これとクラシック音楽を聴き、書くことで表現するという趣味とを両立させるためには、ある程度掲載日を削減する必要があると判断したためです。

これまでは、はてなの予約投稿機能に大変助けられてきました。昨年種子島へ2か月半出張した時もこの機能のおかげで10月末までは予定通りの掲載ができたのです。しかし、それ加えて、対人援助関係の「会」の運営に再び本格的に携わることとなり、その忙しさは以前に比べまして相当きつくなっています。このままでは、ちょっと危ない方向に行く可能性もあり、掲載曜日の削減へと踏み切りました。

「神奈川県立図書館所蔵CD」のコーナーは知らないうちに固定的な読者がいらっしゃるようで、「神奈川県立図書館ではCDを貸し出しているみたいだよ」ということが口コミで広がっているように想像される状況が生まれており、一定の役割を果たすことができたと思っています。そして今度は神奈川県民の皆さんから、東京都民、特に都下である小金井、府中、三鷹西東京の市民の皆さんに、「図書館でCD借りられるんだって!」ということが広く認識されるといいなあと思っています。その役割を「東京の図書館から」で果たしたいと思っています。

「今月のお買いもの」も、ハイレゾを中心に据えてから3年ほどが経ちました。ようやく我が国でもSNSハイレゾを聴いてみたとか、ストリーミングの話題が増えてきており、多様なメディアが音楽鑑賞を豊かにしていけるお手伝いをしていきたいと思います。

今後も、音楽が日常にあることのすばらしさを、私自身の喜びをもって伝え続けることができればと思っております。今後ともごひいきにしていただきますと幸いです。

 

 

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。

今月のお買いもの:ラトルとウィーン・フィルによるベートーヴェン交響曲全集3

今月のお買いもの、令和3(2021)年7月に購入したものをご紹介しています。ディスクユニオン新宿クラシック館にて購入しました、サイモン・ラトル指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏によるベートーヴェン交響曲全集、かつて「東京の図書館から~府中市立図書館」で取り上げたもののうち、リッピングできずにご紹介していない演奏を取り上げています。今回は第3集に収録されたうちの、交響曲第6番「田園」を取り上げます。

以前第3集を取り上げたとき、第4番の演奏から、さぞかし第6番は素晴らしい演奏だったのだろうと予測しました。今回聴いてみて、その予測は見事に当たりました。

速いパッセージにおけるテンポアップは興奮するくらい!正直、オリンピックよりも興奮しました。まさにベートーヴェンの「魂」にフォーカスした演奏だと言えるのではないでしょうか。

というのも、そもそも交響曲第6番は標題音楽とされますが、そこからつい風景を描いた作品だと勘違いしがちです。勿論その側面はありますが、むしろ風景を見たベートーヴェンの心象風景を、現実の風景を借景として描いたものと捉えるべきだと私は思っています。ラトルのタクト、そして解釈はまさにその私のとらえ方ドンピシャ!なのです。

第4番の、まるでクライバーを髣髴とさせるような快速ぶりは第3楽章以降。むしろそこまではゆったりと音楽が流れていきます。それでも盛り上がるところの情熱的演奏は、まるでベートーヴェンが美しい風景を見て自身の魂が喜んでいる姿を描いて見せたかのようです。

一方、第3楽章はゆったりとしつつも第4楽章の激しさを予測させるようなエネルギーを内包。第4楽章で嵐が襲来、まるで日本の雷雨のような激しさ。どうか水害になりませんように!

そして最後の第5楽章で、平安が訪れます。無事水害まではならずに落ち着いた自然が取り戻され、その壮大さ、そして壮麗さに魂が喜びを感じている様子が描かれます。うーん、どこをとっても非の打ち所がない!

もちろん、とても細かい部分ではアレ?と思う点もいくつかあるんですが、しかしそれは最後まで聴いてしまうと全く気にならず、むしろlこの演奏に必要欠くべからざるものとして配置されているようにすら思えます。勿論名門ウィーン・フィルという手兵のおかげもあるでしょうが、ラトルの生命力あふれる解釈は、この「田園」という曲の本質をズバリ描いたものであると確信します。これぞ名演と言えるでしょう!

ま、だから聴きすぎてリッピングできなくなってしまったのでしょうけど・・・・・それはわかるんですが、だからこそ、やはり大切に扱ってほしいものです、CDは。

さて、この曲は第3楽章から第5楽章が連結されていますが、どのようにして聴いているんですか?という疑問がある方もいらっしゃるかと思います。ハイレゾ相当にしてCDを聴こうとすれば残念ながらギャップが楽章間で入ってしまいます。そのままCD音質で聴けばそんなことはないですが、この素晴らしい演奏はハイレゾ相当で聴きたいと思いましたので、CDexにて第3楽章から第5楽章を連結してflac可逆圧縮してリッピングの上、ソニーのMusic Center for PCにてDSEE HXを動作させて聴いています。これならギャップなしに192kHz/24bit相当で聴けることになります。

実際は、分割しても大丈夫そうなのですが・・・・・実は先日取り上げたパーヴォ・ベルグルンド指揮ヘルシンキ・フィルによるシベリウス交響曲第2番はWAVで、第3楽章と第4楽章は分かれていますが、問題なく聴けています。ただそれが同じソニーXperiaだとギャップが発生してしまいます。この辺りはまた別途エントリを立てて述べたいと思いますが、どうやらメモリの容量にその原因を求めることができそうです。現状では以前mp3を聴いていた時のようにつなげておき、スマホの性能がアップしたときには楽章ごとにファイルを分けるという方法も、あるのかもしれません。

いずれにしても、この演奏はハイレゾ相当にして聴けばさらに臨場感と情熱が伝わる素晴らしい演奏!ffにおいて多少音がビリビリ気味になるのは気になりますが、それはおそらく私のスピーカーの性能のせいでしょう。魂の感動を情熱をもって演奏する姿は、必聴であると断言します。

 


聴いている音源
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲
交響曲第6番ヘ長調作品68「田園」
サイモン・ラトル指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(EMI Classics 3 19400 2)

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。