かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から~小金井市立図書館~:ベルグルンドが振るシベリウス交響曲全集と管弦楽作品集3

東京の図書館から、小金井市立図書館のライブラリである、パーヴォ・ベルグルンドが振るシベリウス交響曲全集と管弦楽作品集の今回は第3集を取り上げます。

第3集には交響曲第2番と第5番、そして交響詩フィンランディア」が収録されています。交響曲第5番以外はメジャーな作品だと思いますが、この第3集で素晴らしいのは第5番の演奏であると思います。

もちろん、第2番の壮麗でかつ力強さもいいですし、フィンランディアの「歌い上げる様子」もこれまた素晴らしいのですが、第5番は、祝祭の音楽であるはずなのにどこかくらい面も散見される作品です。勿論暗さもあるのですがこの演奏はこの作品が祝祭の作品なのだということをしっかりと捉えられる演奏である点が優れています。

となると、この第5番という作品は、フィンランドの人じゃないとわからないセンシティヴな部分が多分に含まれている可能性が高い作品だ、と判断できるでしょう。勿論普遍性もあるので海外のオケや指揮者でもいい演奏になるかと思いますし、その代表がブロムシュテット指揮サンフランシスコ響だと思っています。あの演奏を取り上げたときに第5番は暗い部分もある、と書きましたけれどブロムシュテットはむしろそこにフォーカスしていたように思います。

一方、このベルグルンドのタクトはむしろ、明るい祝祭のほうに目が向けられていると思います。では暗い部分がなおざりにされているのかと言えばそうではなく、暗い部分もしっかり浮かび上がっています。その総合的な作品が第5番という作品であるということを、聴いていて自然と心にしみわたらせる演奏になっているのが素晴らしい!

確かに、番号順というか、作曲された順番で並べれば第2番、第5番となりますが、それは意図してそうしたように思えるのです。つまり第2番よりは第5番の魅力に耳を傾けてほしい・・・・・そんな気がするのです。最後に「フィンランディア」を持ってきている、という点でも。

もちろん、これは一見しますと普通のアルバム構成のようにも見えますので、そこまでは考えすぎかもしれません。しかし、私にはこの「曲順」には意味があるように見えるのです。第5番にこそ、シベリウスの本質が詰まっているから、というメッセージが・・・・・

 


聴いている音源
ジャン・シベリウス作曲
交響曲第2番ニ長調作品43
交響曲第5番変ホ長調作品82
交響詩フィンランディア」作品26
パーヴォ・ベルグルンド指揮
ヘルシンキフィルハーモニー管弦楽団

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。

コンサート雑感:フェスタサマーミューザKAWASAKI2021 東京シティフィルハーモニック管弦楽団を聴いて

コンサート雑感、今回は令和3(2021)年7月31日に聴きに行きました、フェスタサマーミューザKAWASAKI2021における東京シティフィルハーモニック管弦楽団の演奏についてのレビューです。

フェスタサマーミューザKAWASAKIは、毎年7月末から8月初めにかけて、ミューザ川崎シンフォニーホールを中心として川崎市内で開催される音楽祭です。昨年はベートーヴェン・イヤーでベートーヴェン交響曲を中心に行われましたが、第九だけは演奏できないという情況は残念だったと思います(BCJを使うという選択肢もあったはずです)。

しかし、コンサートではいち早く配信を始めたのも東響さんのフランチャイズであるミューザならではでした。今年も配信がある中で、私はむしろリアルで聴きに行くことを選択しました。開始時刻はゆっくりでいいのですが、そのあと仕事が入った場合、配信だとむしろ出勤前の準備でいろいろ忙しくなる可能性があったためです。そこまでゆっくりしすぎてしまうので・・・・・

ということで、わざわざ出かけたのでした。勿論感染症対策はしっかりやって、です。それを私たちもやって初めてこの状況でコンサートは成立するわけですから。

さて、今回聴きに行ったのは、音楽祭の前半最後となる、東京シティフィルハーモニック管弦楽団の演奏。実は昨年、そこには群馬交響楽団が入っており、第九が演奏される予定でした。フェスタサマーミューザにおいて、この前半折り返しとなる7月31日には重要なプログラムが組まれることが多いのですが、昨年は差し替えとなってしまったこの節目、今年はスメタナの連作交響詩「わが祖国」がプログラムされました。だからこそ聴きに行ったのです。

べドジヒ・スメタナが作曲した連作交響詩「わが祖国」は、最近演奏機会が増えてきた作品だと思います。第2曲ヴルタヴァ(モルダウ)は、中学校で合唱曲として、そしてその関連で音楽鑑賞の時間で取り上げられることが多い曲ですが、それしかしらないという人も多く見受けられます。実際府中市交響楽団さんの定期演奏会を聴きに行った時も、客席からそんな声が聞こえていました。ですが、好きな人は好きなんですね。特に「プラハの春音楽祭」を結構昔から見ている人などは・・・・・そしてその一人が、今回指揮をした高関健氏でもありました。おお!同志よ!仲間よ!と思いました。

チェコという国の近代は、他国の支配に甘んじる時代でした。古くはハプスブルグ家により、そして20世紀後半はソ連に。いずれも独立こそしていても、自分たちの言語が使えないなど、多少フラストレーションがたまる部分が多かった時代です。そんなことが、現代日本と重なる部分があることが、多くのクラシックファンに認識されてきたのはいいことだと思います。ただ、決して極右ではなかったですけどスメタナは・・・・・

このオリンピック期間中に、この曲を演奏するということは、多分にメッセージ性の強いプログラムだと思います。フェスタサマーミューザはあくまでも音楽祭なので、クラシック音楽を楽しむことが主眼ですが、それでも、「自分たちは自立しているのに、コンサートができなかった」という想いは、プロアマ問わず、どのオーケストラも持っていることでしょう。しかしオリンピック選手だけは、ほとんどの大会が中止にならずにここまで来たわけです。それに対する不公平感はもっているだろうと思います。

そんな思いがぶつけられた演奏だったように思います。どっしりとしつつもいいテンポで流れ、全体的に歌わせるタクト。第2曲ヴルタヴァは私が好きなテンポよりは遅かったのですが、それでもヴルタヴァ川を描写しつつチェコの歴史をおりまぜたという部分をしっかりと押さえており、むしろ説得力ある演奏にうなりました。さすがこれがプロだなあ、と。それは高関氏がもつ情熱もあるでしょうし、曲に込めた団員たちの想いというのもあったことでしょう。

特にティンパニが「ぶったたいて」くれたのも好印象。全体が持つ「意思」というものを明確にしている部分があり、さすがです。日本のプロオケもここまで来たか!と思いました。しかも東京シティフィルなんて最後発に近いオケなのに、です。いつ「プラハの春音楽祭」のオープニングコンサートに呼ばれてもおかしくないだけの実力を持っていると思います。そう、それは日本のオケが現地で「わが祖国」を全曲演奏するということ、です。

オリンピックの影に隠れてしまっていて、日本のオケの世界レベルでの実力があまり語られることが無くなってしまっているなと私は危惧しています。そんな中での、フェスタサマーミューザにおける東京シティフィルによる「わが祖国」。決して声高に叫ぶわけではありませんが、情熱的な演奏は一生懸命なのはアスリートだけじゃないし、感動を与えるのもアスリートだけではない!という意思表示であるように思います。

特に後半3曲の熱の入りようは素晴らしく、ターボルとブラニークは圧巻!ただ、ひとつ難点を言えば、プロオケの割にはppがしっかりできていないな、という点でした。これはフランチャイズではないので仕方ない部分もあるかもしれません。ミューザ川崎シンフォニーホールは、舞台であまり音が響いてきません。それはしっかりと音が客席最上階まで届いていることを示しているんですが、私もかわさき合唱祭りで歌った時に困惑したのを今でも覚えています。そのため、安全を考えて音を大き目で行ったのでしょう。その点は次に生かしてほしいところですが、つい思いが先走って・・・・・というのもあったことでしょう。その点も含めて、全体的には情熱的な素晴らしい演奏で、最後残響も味わったうえで万雷の拍手になったのは当然でした。

できれば、来年も配信でもいいので、聴ければなあと思います。私の初フェスタサマーミューザは、本当に素晴らしい経験ができて幸せです。

 


聴きに行ったコンサート
フェスタサマーミューザKAWASAKI2021 東京シティフィルハーモニック管弦楽団
べドジヒ・スメタナ作曲
連作交響詩「わが祖国」全曲
高関健指揮
東京シティフィルハーモニック管弦楽団

令和3(2021)年7月31日、神奈川川崎幸、ミューザ川崎シンフォニーホール

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。

神奈川県立図書館所蔵CD:ノイマンとチェコ・フィルによるスメタナ「わが祖国」

神奈川県立図書館所蔵CDのコーナー、実は今回が最終回。ヴァーツラフ・ノイマン指揮チェコ・フィルハーモニー管弦楽団の演奏によるスメタナの「わが祖国」を取り上げます。

スメタナの「わが祖国」は、私が好きな曲の一つでもあります。中学校の時に合唱曲で「モルダウ」を歌い、そしてその原曲である交響詩を聴き、そして高校生になって自分で連作交響詩として全体を聴いたときから、ずっと好きな曲です。その時の演奏はヴァーツラフ・スメターチェク指揮チェコ・フィルハーモニー管弦楽団

同じオケで、違う指揮者。しかも、タクトを振るはヴァーツラフ・ノイマンという巨匠。どんな演奏になるのか、ワクワクして借りたのがこれです。最後こそ、当初からの「有名曲は図書館で」を貫きたかったのもありました。

全体的にはどっしりとした印象がありますが、第2曲「モルダウ」は過度にロマンティックに浸らずに、スメターチェクのようにきびきびとチェコの歴史を踏まえた解釈とテンポになっているのも魅力的。その意味では、決してハイレゾではないにも関わらず、昨年購入したビエロフラーヴェク指揮チェコ・フィルの演奏よりはいいと感じます。しかもです、ハイレゾではなくても、ソニーのMusic Center for PCでDSEE HXを動作させれば、ハイレゾ相当に。ホールの残響の「艶」すら、しっかりと感じることができます。

このノイマンといい、スメターチェクといい、そしてビェロフラーヴェクといい、オケはチェコ・フィル。どれもチェコ・フィルの美しい弦が素晴らしいのですが、特に二人の「ヴァーツラフ」が振る演奏は、その演奏に生命が宿るという点で抜きんでています。これならとりあえずはハイレゾはなくてもよかったくらいです。

それでも、モルダウに限って言えば、やはり一番はスメターチェク指揮のものですが、その次に上げるとすれば確実にこのノイマン指揮をあげるでしょう。特に最後の2曲、ターボルとブラニークの情熱的な演奏は下手すればスメターチェク以上!その意味ではやはりこのアルバムは「わが祖国」という作品としてとらえる必要があると思います。ノイマンもその姿勢で振っているわけですから。

実は、今年はフェスタ・サマーミューザでも「わが祖国」が取り上げられるという快挙。しかも、7月31日という「節目」で、です。これは音楽祭のメッセージとして大きいのではないでしょうか。詳しくはレビューを載せる予定ですのでそちらに譲るとして、「わが祖国」を音楽祭の「節目」でプログラムとして使うというのは、「わが祖国」という作品の性質を考えたとき、今年のミューザの開催期間がほぼオリンピックと同じということを踏まえると、スポーツだけが優遇されるべきではないという隠されたメッセージを感じます。

ja.wikipedia.org

今回の東京オリンピックの開会式を見ても、この「わが祖国」に果たして匹敵するものだったかどうか、はなはだ疑問が残るものであったと私は思います。勿論多様性を入れたことは大切なことで、それはオリンピアの精神を反映するものとして大切なものなのですが、はたして現代日本とその社会というものを本当に反映した「交響詩」だったかは、私には疑問が残るものでした。

いっそ、ひとつのストーリーを一つの楽曲として演奏してしまう・・・・・そんな仕掛があってもよかったのでは?と思います。オリンピック讃歌を演奏したのは東京都交響楽団。実はそれは一つの明確なメッセージで、1964年と2020年、そして実際に行われた今年2021年をつなぐという意味が込められています。なぜならば、東京都交響楽団は1964年の東京オリンピックを記念して設立されたオーケストラであるからです。

www.tmso.or.jp

もし、チェコでオリンピックが開催されたとして、はたしてどんな開会式になるんだろうと気がします。いずれにしても、この「わが祖国」は念頭に置かれるであろうと思います。こういう曲が日本にはないんですね。それを嘆く右派の人々を私は知りません。左派にすべての責任を押し付け、右派は自分たちの果たすべき役割から逃げているようにしか見えません。その批判精神が、私には「わが祖国」を聴けば聴くほど、プログラムに入ったということを考えると、存在するであろうということを思わずにはいられません。

そんな演奏を、神奈川県立図書館で最後に借りた資料から感じられたのは、素晴らしい収穫であったと思います。これからも優れた資料を収集し、県民に開かれた図書館として存在し続けてほしいと思います。

 


聴いている音源
べドジヒ・スメタナ作曲
連作交響詩「わが祖国」全曲
ヴァーツラフ・ノイマン指揮
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団

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東京の図書館から~小金井市立図書館~:ベルグルンドが振るシベリウス交響曲全集と管弦楽作品集2

東京の図書館から、小金井市立図書館のライブラリである、ベルグルンドが振るシベリウス交響曲全集と管弦楽作品集の、今回は第2集を取り上げます。

この第2集には交響曲第1番と第4番が収録されています。第1番は日本では地味な印象を持つ曲ではないかと思いますが、フィナーレの終わり方は独特です。決して明るくはなくむしろ悲劇的。

その終わり方をしっかりとドラマティックにオケを鳴らせているベルグルンド。さすがシベリウスオーソリティという感じがします。第4番は逆にそれほど派手ではない作品で、文字通り地味な作品ですが、かといって全く何もない作品ではない点をしっかり押さえているのも好感できる点です。

シベリウス交響曲は、私は第2番までと第3番以降では多少様相が異なると思っておりまして、その違いを見事に表現しているのはさすがプロだと思います。勿論それは現代日本ではアマオケですらやっていることではありますが、しかしシベリウスというと愛国的国家主義的にしかとらえない日本と違って、もっと内容を掘り下げた解釈と表現をしている点がさすがだと思うのです。

シベリウスはその人生の中で、国の独立で悩み、国の独立後はその自立の様子で悩みと、決して愛国というキーワードだけで語れるものではありません。もっと複雑なんですね。そこをしっかりと押さえたうえで、オケを存分に鳴らせているんです。しびれます、聴いていて。

シベリウス愛国者であったことは確かだと思うのですが、かといって交響曲をそのテイストだけで書いたわけではないと思います。むしろその愛国者たる自身の内面の表現としての作品だと思います。その点をベルグルンドが大切にしているのが素敵です。そしてその意気を感じて演奏するのがヘルシンキ・フィル。実はこの全集においてほとんどの演奏を担当しているのがヘルシンキ・フィルで、実に情熱的な演奏を聴かせてくれます。作曲者の内面、あるいは「気持ち」「魂」といったものを大切にしているように感じます。

自分たちの国の作曲家というリスペクトだけではなく、自分たちの国の作曲家だからこそ感じる「意気」というものを、存分に表現しているように感じ、現在の日本の状況を考えるにつれ、うらやましく思うのです。美しいだけが表現ではない・・・・・刃を突き付けられたような気がします。

 


聴いている音源
ジャン・シベリウス作曲
交響曲第1番ホ短調作品39
交響曲第4番イ短調作品63
パーヴォ・ベルグルンド指揮
ヘルシンキフィルハーモニー管弦楽団

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東京の図書館から~小金井市立図書館~:ベルグルンドが振るシベリウス交響曲全集と管弦楽作品集1

東京の図書館から、今回から5回シリーズで、小金井市立図書館のライブラリである、パーヴォ・ベルグルンドが振るシベリウス交響曲全集と管弦楽作品集を取り上げます。

まず第1回は第1集。クレルヴォ交響曲が収録されています。作品番号順だと、第1番よりは前になるからです。ですがこの曲、必ずしも交響曲全集に入っているものではありません。それは内容的に交響曲とは必ずしも言えないから、です。

ja.wikipedia.org

以前もこの曲は取り上げていますが、私もむしろ交響詩だと思っています。シベリウスはドイツ的なものが嫌いというわけじゃなくて、構造的にはソナタ形式などドイツ古典派から受け継がれてきたものを大切にしています。ですがこのクレルヴォ交響曲ソナタ形式はあまり存在せず、交響詩の内容に限りなく近いものです。

この演奏は、ウィキにある「ベルグルンドは1985年にデジタル方式で再録音を行っている」というものに当たります。それだけに、堂々とした演奏になっており、気品すら感じます。それは当然でしょと思うかもしれません。しかし感動的なのは、この作品の内容をして堂々としていること、なのです。

クレルヴォ交響曲は、フィンランドの物語「カレワラ」の中の物語のうち、クレルヴォの物語を採用して書かれたものです。しかしその物語とは、近親相姦を知ってしまい、狂ったことが復讐へと駆り立てられるという、ある意味かっこいいとはいいがたい内容です。しかしそれを祖国の物語として歌い上げてしまうフィンランドという国の文化にほれぼれすることからくる感動なのです。

我が国でこんなことがありえるでしょうか?むしろ自尊心が低いとか言ってしまって避けるものではないでしょうか。しかし、私はむしろこれだけの恥ずかしい話を、祖国の物語として語れることにとても高い自尊心を感じます。そしてそれを堂々と歌い上げるオケと合唱団。そしてタクトを振るベルグルンド。感動せざるを得ません。うらやましくすら思います。これを自尊心が低いから反日だとか言っている我が国の現状を考えるとき、うらやましく思うのです。

こういう物語は決して称賛するだけの内容ではありません。むしろ戒めの意味すら持っていることが普通です。だからこそ語り継がれてきたわけです。それを誇りに思う民族と、卑下する民族とで、はたして未来はどちらが明るいのだろうと、愛国者である私は思います。

そう考えるとき、ベルグルンドがこの曲を最初に持ってきたのは偶然ではないだろうと思います。通常であれば一番最後に付録的に持ってくるはずです。しかし最も前に持ってきたのです。つまりこの作品は、ベルグルンドがシベリウス管弦楽作品のうち、最も重要な作品であると考えている証拠である、と考えていいのではないかと思います。

それがなぜなのかは、さらに第2集を取り上げるときに、述べたいと思います。オリンピックが行われている今だからこそ、聴いていたい曲です。

 


聴いている音源
ジャン・シベリウス作曲
「クレルボ」交響曲 作品7
「悲しき円舞曲」作品44(劇音楽「クレオマ」より)
エーヴァ=リサ・ナウネマン(メゾ・ソプラノ)
ヨルマ・ヒンニネン(バリトン
ソヴィエト・ロシア国立アカデミー・エストニア男声合唱
ヘルシンキ大学男声合唱
パーヴォ・ベルグルンド指揮
ヘルシンキフィルハーモニー管弦楽団
フィルハーモニア管弦楽団

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今月のお買いもの:ラトルとウィーン・フィルによるベートーヴェン交響曲全集1

今月のお買いもの、令和3(2021)年7月に購入したものをご紹介します。ディスクユニオン新宿クラシック館にて購入しました、ラトルがウィーン・フィルを振ったベートーヴェン交響曲全集を取り上げます。

とは言っても、全部ではありません。これは本来府中市立図書館で借りてきた全集を補完するものだから、です。とは言え、実は本当に全集を買ってきてしまいました。

「東京の図書館から~府中市立図書館」のコーナーで取り上げた中で、交響曲第3番「英雄」と交響曲第6番「田園」、そして交響曲第8番が盤面の傷がひどくリッピングできなかったため聴けなかったことをご紹介したと思います。今回の「お買いもの」はそれを埋めるのがそもそもの目的でした。そのためまずはディスクユニオンの立川店に、クレセント・フィルの定期演奏会の帰りで寄っています。しかし立川店程度の品ぞろえでは全集すら満足になかったため、これは吉祥寺もしくは新宿へ行かないと無理だろうと判断したのです。

そこで、東京カンマーフィルさんの定期演奏会の帰りに、ディスクユニオン新宿クラシック館で見つけたのが今回ご紹介するCDです。そもそもCDを買うのは昨年ダスビの定演以来ですから約1年ぶりということになります。とはいえ、本来CDはもうダスビの定演以外はよほどのことがない限り買わない、というのが方針だったのですが、あまりにも府中の全集がひどかったので、今回の購入につながっています。とはいえ、それでも3曲だけで済んでいるのも奇跡だと言えばそうなのですが。

本来はその3曲だけ、あるいはその3曲をカップリングしているものだけを購入予定でした。しかし、最も品揃えがいいはずの新宿クラシック館で、第7番と第8番の一枚しかないという試練が・・・・・まあ、新譜でもそうそうそろうことはないわけなので、中古市場であるディスクユニオンではもう腹をくくらないといけないフェーズ。ですので、思い切って全集を探してみたのです。それはもちろん、図書館で借りてきたもの、そしてすでに買ってある第九と重複することを意味しますが、これよりほかは仕方ないので・・・・・で、なんと!奇跡的に全集はあった、というわけです。内心、切れてないよ~切れてぇ~とはいきません。切れまくりです。だって、中古市場を丁寧に探せば全集が1100円ですよ?それほど手が出ない金額ですか?と。傷つけるくらいなら自分で買ってからしてくれ、と。

まあ、CDで買ってきていい点もあります。聴けない曲が聴けるだけではなく、幅が広がるということなのです。どういうことか?

例えば、エントリを以前上げたときはソニーのMusic Center for PCでWASAPI排他モードの上DSEE HXを動作させてハイレゾ192kHz/24bit相当にしながら聴く、ということをしています。今回はCDなので、Music Center for PCではなく同じソニーのHi-Res Audio Playerで聴いています。本当かどうかはわかりませんが、CDをDSDへとアップスケーリングしてくれるみたいなので・・・・・

いやいや、そもそもflacリッピングして、DSEE HXを動作させて聴いてしまうという方法もありますが、それはまた考えるとして。とにかく、これでようやく第3番「英雄」のはつらつとした演奏が最後まで楽しめることができます。

ykanchan.hatenablog.com

これは別途エントリを立てようと思っているのですが、次回聴く第6番は、第3楽章から第5楽章がつながっています。実はこのケースだけ、DSEE HXを動作させて聴きますと特にソニーXperiaで聴きますとギャップが生じます。PCでも生じてしまいますし、Hi-Res Audio Playerでもギャップが生じますので、おそらくDSDへアップサンプリングされていると判断しています。ソニーのアプリであればCDやWAVをアップスケーリングをせずに聴けばギャップは生じないはずだからです。それが生じるということは、アップスケーリングしてくれていることを意味します。

これは実は非常に楽ですが、一方でギャップをどうにかしないといけないわけで、その方法としては二つなのですが、いずれにしてもリッピングしてデータ化してしまうしか方法がありません。ですが第3番「英雄」は各楽章が独立しているので、アップスケーリングしてくれているのであれば、ストレスはそれほどありません。ロケーションであるウィーンのムジークフェラインの適度な残響が、とてもいい感じです。

さて、これで第3番「英雄」は問題ないですが、第6番「田園」は考えどころなのです。上記のようにギャップが生じる以上、そのギャップを解消する手を打たなければならないからです。ではその二つの方法とは何か。それは

1.リッピングするときにアップサンプリングしてリッピングする
2.リッピングするときに以前同様楽章をつなげてリッピングし、アップスケーリングする

1.は、CDを疑似ですが本当に大きさを192kHz/24bitにしてしまうやり方です。通常はアップサンプリングとは周波数だけをあげることを指すのですが、今どきはCDをリッピングするときに周波数とビット数を共に上げることを指すようです。そして2.はリッピングは44.1kHz/16bitでおこない、再生するときに192kHz/24bit相当にしてしまうというものです。さて、どちらでやる方がいいか?これはいろいろ考えるところです。図書館で借りてきてリッピングしてあるWAVファイルとの整合性を考えると、2.かなと現段階では思っています。

 


聴いているCD
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲
交響曲第3番変ホ長調作品55「英雄」
サー・サイモン・ラトル指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(EMI Classics 3 19401 2)

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。

神奈川県立図書館所蔵CD:バレンボイムが弾くベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集10

神奈川県立図書館所蔵CDのコーナー、シリーズでダニエル・バレンボイムが弾くベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集を取り上げてきましたが、今回第10集を取り上げます。

いよいよ最後の第10集。第31番と第32番が収録されています。どちらも静謐というか、静かな中にエネルギーが満ちているという演奏。これもまた、違った世界を見せてくれていて、うなります。

特に、第32番はジャズの曠野とも言われる作品ですが、ジャズっぽくもあり、しかしクラシック的でもあるという感じで弾いており、むしろわざとノリノリにしていない点が特徴です。はじめからノルのではなく、だんだんノッてくる感じです。ちょっと違ったリズムを作ってみたら、後世ジャズと言われるようなものになってしまった・・・・・というような「ノリ」です。

この辺りのバレンボイムの繊細さはもう見事としか言いようがありません。この全集を通してこの繊細さは貫かれていますが、この第10集に収録されている2曲でも徹底されており、それでいてダイナミックさや雄大さも感じられる、まさにベートーヴェンの作品を「借景」にしたバレンボイムの「世界」あるいは「宇宙」というものがはっきりと浮かび上がります。

確かに構造をよく知っていないと難しいとは思いますが、構造だけではこうならないと思います。まさに自分の持てる技術を表現としてどう使うかという意識が明白だからこそ、できる演奏であると確信しています。こうなると、ほかの作曲家の作品もどう演奏するのか、気になるところです。それはさほど遠くない時期に、取り上げることになろうかと思います!

 


聴いている音源
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲
ピアノ・ソナタ第31番変イ長調作品110
ピアノ・ソナタ第32番ハ短調作品111
ダニエル・バレンボイム(ピアノ)

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。