東京の図書館から、今回から5回シリーズで、小金井市立図書館のライブラリである、パーヴォ・ベルグルンドが振るシベリウスの交響曲全集と管弦楽作品集を取り上げます。
まず第1回は第1集。クレルヴォ交響曲が収録されています。作品番号順だと、第1番よりは前になるからです。ですがこの曲、必ずしも交響曲全集に入っているものではありません。それは内容的に交響曲とは必ずしも言えないから、です。
以前もこの曲は取り上げていますが、私もむしろ交響詩だと思っています。シベリウスはドイツ的なものが嫌いというわけじゃなくて、構造的にはソナタ形式などドイツ古典派から受け継がれてきたものを大切にしています。ですがこのクレルヴォ交響曲はソナタ形式はあまり存在せず、交響詩の内容に限りなく近いものです。
この演奏は、ウィキにある「ベルグルンドは1985年にデジタル方式で再録音を行っている」というものに当たります。それだけに、堂々とした演奏になっており、気品すら感じます。それは当然でしょと思うかもしれません。しかし感動的なのは、この作品の内容をして堂々としていること、なのです。
クレルヴォ交響曲は、フィンランドの物語「カレワラ」の中の物語のうち、クレルヴォの物語を採用して書かれたものです。しかしその物語とは、近親相姦を知ってしまい、狂ったことが復讐へと駆り立てられるという、ある意味かっこいいとはいいがたい内容です。しかしそれを祖国の物語として歌い上げてしまうフィンランドという国の文化にほれぼれすることからくる感動なのです。
我が国でこんなことがありえるでしょうか?むしろ自尊心が低いとか言ってしまって避けるものではないでしょうか。しかし、私はむしろこれだけの恥ずかしい話を、祖国の物語として語れることにとても高い自尊心を感じます。そしてそれを堂々と歌い上げるオケと合唱団。そしてタクトを振るベルグルンド。感動せざるを得ません。うらやましくすら思います。これを自尊心が低いから反日だとか言っている我が国の現状を考えるとき、うらやましく思うのです。
こういう物語は決して称賛するだけの内容ではありません。むしろ戒めの意味すら持っていることが普通です。だからこそ語り継がれてきたわけです。それを誇りに思う民族と、卑下する民族とで、はたして未来はどちらが明るいのだろうと、愛国者である私は思います。
そう考えるとき、ベルグルンドがこの曲を最初に持ってきたのは偶然ではないだろうと思います。通常であれば一番最後に付録的に持ってくるはずです。しかし最も前に持ってきたのです。つまりこの作品は、ベルグルンドがシベリウスの管弦楽作品のうち、最も重要な作品であると考えている証拠である、と考えていいのではないかと思います。
それがなぜなのかは、さらに第2集を取り上げるときに、述べたいと思います。オリンピックが行われている今だからこそ、聴いていたい曲です。
聴いている音源
ジャン・シベリウス作曲
「クレルボ」交響曲 作品7
「悲しき円舞曲」作品44(劇音楽「クレオマ」より)
エーヴァ=リサ・ナウネマン(メゾ・ソプラノ)
ヨルマ・ヒンニネン(バリトン)
ソヴィエト・ロシア国立アカデミー・エストニア男声合唱団
ヘルシンキ大学男声合唱団
パーヴォ・ベルグルンド指揮
ヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団
フィルハーモニア管弦楽団
地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。