かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から~小金井市立図書館~:ベルグルンドが振るシベリウス交響曲全集と管弦楽作品集2

東京の図書館から、小金井市立図書館のライブラリである、ベルグルンドが振るシベリウス交響曲全集と管弦楽作品集の、今回は第2集を取り上げます。

この第2集には交響曲第1番と第4番が収録されています。第1番は日本では地味な印象を持つ曲ではないかと思いますが、フィナーレの終わり方は独特です。決して明るくはなくむしろ悲劇的。

その終わり方をしっかりとドラマティックにオケを鳴らせているベルグルンド。さすがシベリウスオーソリティという感じがします。第4番は逆にそれほど派手ではない作品で、文字通り地味な作品ですが、かといって全く何もない作品ではない点をしっかり押さえているのも好感できる点です。

シベリウス交響曲は、私は第2番までと第3番以降では多少様相が異なると思っておりまして、その違いを見事に表現しているのはさすがプロだと思います。勿論それは現代日本ではアマオケですらやっていることではありますが、しかしシベリウスというと愛国的国家主義的にしかとらえない日本と違って、もっと内容を掘り下げた解釈と表現をしている点がさすがだと思うのです。

シベリウスはその人生の中で、国の独立で悩み、国の独立後はその自立の様子で悩みと、決して愛国というキーワードだけで語れるものではありません。もっと複雑なんですね。そこをしっかりと押さえたうえで、オケを存分に鳴らせているんです。しびれます、聴いていて。

シベリウス愛国者であったことは確かだと思うのですが、かといって交響曲をそのテイストだけで書いたわけではないと思います。むしろその愛国者たる自身の内面の表現としての作品だと思います。その点をベルグルンドが大切にしているのが素敵です。そしてその意気を感じて演奏するのがヘルシンキ・フィル。実はこの全集においてほとんどの演奏を担当しているのがヘルシンキ・フィルで、実に情熱的な演奏を聴かせてくれます。作曲者の内面、あるいは「気持ち」「魂」といったものを大切にしているように感じます。

自分たちの国の作曲家というリスペクトだけではなく、自分たちの国の作曲家だからこそ感じる「意気」というものを、存分に表現しているように感じ、現在の日本の状況を考えるにつれ、うらやましく思うのです。美しいだけが表現ではない・・・・・刃を突き付けられたような気がします。

 


聴いている音源
ジャン・シベリウス作曲
交響曲第1番ホ短調作品39
交響曲第4番イ短調作品63
パーヴォ・ベルグルンド指揮
ヘルシンキフィルハーモニー管弦楽団

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