かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:バレンボイムが弾くベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集9

神奈川県立図書館所蔵CDのコーナー、10回シリーズで取り上げています、ダニエル・バレンボイムが弾くベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集の今回は第9集を取り上げます。

第9集には、第29番「ハンマークラヴィーア」と第30番が収録されています。ついに来た、という感じがします。

おそらく、このハンマークラヴィーアがあるからこそのプログラムだったに違いありません。瀬川玄氏の演奏を聴きに行った時も、それほど曲数は多くなかったように記憶しています。

なぜここで瀬川氏が出てくるかと言えば、この演奏、初めてハンマークラヴィーアを生で聴いたその瀬川氏の演奏がよみがえってくるものだからです。勢いで弾いてしまうピアニストも多いのですが、バレンボイムはあくまでもじっくり味わって弾いているのです。

だからと言って歌っていないわけではなくむしろ歌いまくっていますし、それが全く鼻につかずむしろ共感の嵐です。ピアノという楽器を愛している姿がとても素敵です。

なぜこの曲は「ハンマークラヴィーア」と呼ばれるのかを考えるとき、ベートーヴェンの有名なエピソードを思い出さずにはいられませんが、ではなぜ、未来の人は弾けるだろうとして作曲したのか、です。それは可能性を信じて、楽器を愛していたからこそ、とは言えないでしょうか。

当時フォルテ・ピアノと呼ばれた楽器は、貧弱ながらも革新的な楽器でした。なぜなら当時クラヴィーアと言えば「弦をはじく」チェンバロのことを指すからです。だからこそ、ベートーヴェンはあえて「ハンマーを使ったクラヴィーア」による究極の表現なんだ、という意味を込めて「ハンマークラヴィーア」という名称を使ったに違ないと私は考えます。この点に関しては、珍しくピティナよりウィキのほうが詳しく解説しています。

ja.wikipedia.org

難聴で様々な試行錯誤を作曲でしてきたのちにたどり着いたのは、もうどうでもいい、心で聴こえていれば大丈夫だといういい意味での諦観です。和声的に使う最大音がだんだん下がっていたものがこのハンマークラヴィーアを作曲するあたりからまた上がっているという数量的調査もあります。ピアニストであり指揮者であるバレンボイムがそのあたりに敏感でないということはないでしょう。ならば現代の私はピアノという楽器を最大限味わって弾くんだ、という意思を感じるのです。

どの音まで出るかもそうですが、そもそもどれだけ表現できるかということであるわけです。バレンボイムはそのベートーヴェンの挑戦、あるいは意向、遺志を受けて、敢然とピアノに向かい、表現した演奏であると言えるでしょう。演奏に対して誠実というか。それは私が初めて聴いた瀬川氏の演奏と重なるのです。

この演奏が収録されたのは2005年。すでに16年が経過していますが、まだまだ演奏を続けているというのも素晴らしいこと。つくづく、今回の来日公演を聴きに行かなかったのは、仕方ないとはいえ、残念に思います。第30番もしっかり味わって弾いているのも好印象で、二つとも特別視せず、自分で味わって弾いている姿勢が、私の魂をずっと揺さぶり続けています。こういう演奏こそ、プロの仕事だと思います。

 


聴いている音源
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲
ピアノ・ソナタ第29番変ロ長調作品106「ハンマークラヴィーア」
ピアノ・ソナタ第30番ホ長調作品109

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。

東京の図書館から~府中市立図書館~:スウィトナーとシュターツカペレ・ベルリンによるベートーヴェン交響曲全集5

東京の図書館から、シリーズで府中市立図書館のライブラリである、オトマール・スウィトナー指揮シュターツカペレ・ベルリンによるベートーヴェン交響曲全集を取り上げていますが、今回はその最後である第5集を取り上げます。

第5集には第7番と第8番が収録されています。え、第九が最後じゃないの?という、ア・ナ・タ。勿論この全集の最後は第九で、それが第6集なのですが、それはすでにCDで持っておりますので割愛です。そして飛ばした第4集には第6番「田園」が収録されておりますので、これもCDを持っているので割愛です。

ここまで聴いてきますと、第九以外は判断を間違えたと言っていいような気がしています。つまり、今回借りてきてリッピングした作品こそ、私の美意識に沿ったものであった、と言えるのです。買った時は高校生~大学生という時代。その時は私もベートーヴェン交響曲ヒエラルヒーに毒されていましたので、標題曲以外はクソ、くらいに思っていました、はっきり言えば。

そんなクズだったからこそ、標題曲以外の作品の良さなんか、わからなかったんだと思います。大体、渋谷のオーチャードホールこけら落としシリーズだったベートーヴェン・ツィクルスだって第5番と第九しか聴きに行かなかったですしね。多分、第2番だとか第4番だったら、比較的余裕でチケット取れたはずなのに、アホです。

ここまで聴いてくると、スウィトナーがこの全集で言いたいことが、なんとなく浮かび上がってきます。第7番はどっしりとしつつもとても躍動感があってオケに歌わせていますし、第8番はむしろリズミカルで、メトロノームの存在を感じるような演奏になっています。これは実は、第九の解釈にそのままつながっています。

つまり、スウィトナーとしては、標題曲である第3番、第5番、第6番はベートーヴェン交響曲の中では確かに素晴らしいのだけれど異形の存在であって、それ以外の作品が王道であり、それはまっすぐ第九へとつながっているんだというものです。そう思わざるを得ないような解釈が見られるのです。

そこには気が付かなかったなあと思います。どうしても派手なところに目が行ってしまいます。しかし職人スウィトナーはそうではなく、もっと地味な作業も見つめましょうと提案しているんですね。いやあ、これには参りました。

それはベートーヴェンの「神格化」への反論、あるいは警鐘だと言ってもいいのだろうと思います。人間ベートーヴェンを見つめましょう、というような。そのためにあえて標題曲は個性的な解釈を示して見せた、とも言えそうです。そういえば、N響との演奏ではそれほど冒険していなかったような・・・・・

府中市とその周辺4市に住む皆さん、この資料は宝なので、大切に扱いましょう!第2番はすでにちょっとだけ音がとび気味・・・・・これ以上、盤面を傷つけてしまうとデータすら読めなくなります。これだけの内容を持つ演奏です。ぜひとも後世に伝えて行こうじゃありませんか!

 


聴いている音源
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲
交響曲第7番イ長調作品92
交響曲第8番ヘ長調作品93
オトマール・スウィトナー指揮
ベルリン・シュターツカペレ(ベルリン国立歌劇場管弦楽団

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。

東京の図書館から~府中市立図書館~:スウィトナーとシュターツカペレ・ベルリンによるベートーヴェン交響曲全集3

東京の図書館から、3回シリーズでオトマール・スウィトナー指揮シュターツカペレ・ベルリンによるベートーヴェン交響曲全集を取り上げていますが、今回はその第3集を取り上げます。

第3集には第4番と第5番「運命」が収録されているのですが、第5番はすでにCDで持っているため、借りてきたときにリッピングもしていませんし今回取り上げません。なお、飛ばしている第2集には第3番「英雄」が集録されており、これもまたすでにCDで持っているため割愛しています。

さて、第4番はどっしり系の演奏で、スタンダードな演奏に終始していますが、これまた情熱的でいいんです。第4番は最初にヴァント指揮バンベルク響で買っていますが、これでもよかったなあと思います。つくづくもう全集そろえてしまえばよかったのにって今となっては思います。まあ、図書館にあるおかげでぞろったのですが。

どっちかと言えば、第4番に関してはクライバーばりの速いテンポの演奏が好みで、最初からクライバーのような演奏を!と思って買ってきていますが、クライバーのような演奏に出会ったのは同じ府中市立図書館で借りてきたラトル指揮ウィーン・フィルだけです。後はこのスウィトナー指揮シュターツカペレ・ベルリンと同じような演奏ばかりです。とはいえ、それぞれ個性はあって飽きませんが・・・・・

その中でも、情熱的な部分もあるこの演奏は素晴らしいと思います。特にソニーのMusic Center for PCでDSEE HXを動作させ、WASAPI排他モードで聴きますと、今まで音が小さい部分で不安定に聴こえたアンサンブルに実は力強さが宿っていたりと、このオケと指揮者も録音に入りきらないコンビだとつくづく感じます。この演奏では決して奇をてらわず正攻法なのに、熱いものを感じるのも好印象です。

その意味では、DENONはさっさと24bitの再生に舵を切ってしまえばよかったのにと思います。この録音のレーベルはCDと同じなのでDENONですが、第九もそうなんですが低音部で音が聞こえづらかったり不安定だったりするんです、再生装置によっては、それならば、いっそ録音時は24bitの192kHzくらいでしているでしょうからそれを素直に再生できる装置を他に先駆けて出してしまうという選択肢もあったはずなんです。実際、ハイレゾは欧米で先行して日本に入ってきています。欧米で先駆けてやることによってもうけを出すという選択肢、あったはずなんですけどね・・・・・

その時にこの録音などを使ってプロモーションができていれば、相当な宣伝になったはずです。何しろロケーションは東ドイツキリスト教会という、クラシック・ファンなら知る人ぞ知る場所。そこでの録音をしっかりと再生できるということになれば、それは技術的優位に立ちますし、いずれ利益を生むものになっていたでしょう。

しかし、折角いい素材があるにも関わらず放っておいたのは、メーカーでした。そしてソニーに先行され、ソニー以外の国内メーカーは全滅・・・・・それで優秀な中華アンプがあるからと言って攻撃しても何ら利益を生みません。それ以上のものを作り、世に出し、評価されるしかありません。素晴らしい演奏だからこそ、レーベルそしてオーディオメーカーだったDENONって、どうしようもないなあと思います。せっかくいいものをもっていながら・・・・・

 


聴いている音源
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲
交響曲第4番変ロ長調作品60
オトマール・スウィトナー指揮
ベルリン・シュータツカペレ(ベルリン国立歌劇場管弦楽団

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。

コンサート雑感:東京カンマーフィルハーモニー 第22回定期演奏会を聴いて

コンサート雑感、今回は令和3(2021)年7月17日に聴きに行きました、東京カンマーフィルハーモニーの第22回定期演奏会を取り上げます。

このオケの名はずっと前から知っていたのですが、なかなか機会がないオケでした。以前からプロアマ関係なしに室内オケには興味があり、コンサートには足を運びたいと思っているのですが、なかなか機会がないのでした。

そんな折、たまたま7月土曜日が午後空いているという情況が続いており、それならばと足を今回運んだ次第でした。

特に新型コロナウイルス感染拡大という時代を迎えて、室内オケの存在は注目を浴びていいと思っています。まあ、私は以前から財政的な側面から、室内オケ乱立の時代が来ると預言してはいましたが・・・・・

ドイツ・カンマーフィルがあるせいで、プロオケなのかと間違ってしまいそうですが、アマチュアオケです。しかし、実際にアンサンブルを聴けばセミプロなのか?と間違ってしまうことでしょう。

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このオケはプログラムを見てみると、「トラ」がほとんどいないんです。これもまたすごいことだと思います。せいぜいトレーナーの先生が入っているくらい。まあそれがエキストラだと言えばそうなるかもしれませんが、少なくともトレーナーの先生方は音を作り上げているわけなので、むしろ団員というほうが近いのではないかという気がしていますので、それほど驚きません。実際私が合唱団員だった時も、指導されている先生が入るということもしょっちゅうでしたし。

当日の曲目は、以下の通り。

モーツァルト 交響曲第31番「パリ」
ベートーヴェン 交響曲第2番

交響曲二つでおなか一杯って感じですが、これでもコンサートの所要時間は1時間25分。モーツァルト交響曲が20分ないので、ベートーヴェンはある程度長くてもそれくらいで終わってしまいます。というか、コンサートがこれくらいで終わるくらいのヴォリュームじゃないと、おそらく団員がしっかり練習できるということは現在のコロナ禍では難しいと言えるでしょう。

第31番「パリ」はモーツァルトがパリに滞在していた時に書いた作品ですが、ことさら明るい作品でもあります。その明るさを存分に楽しむ演奏は見事!自然と喜びが湧き上がってくる演奏は本当に素晴らしいと思います。しかもアマチュアらしいやせた音がないのも見事です。テンポが多少どっしりとした感じなのに、躍動感がみなぎっているのも聴いていて楽しいものでした。練習時間としては第2版を使ったほうが楽だったはずですが、あくまでも初版を使うことを貫いたのはよかったと思います。

ja.wikipedia.org

それは、当時のモーツァルトを自分たちに投影したのかもしれません。聴いていてどこか、演奏できる喜びを感じるんです。母を亡くして本来なら悲しいはずのモーツァルトですが、仕事と割りきって、作品を発表できる喜びがあったであろうと想像されますが、そんなモーツァルトの姿が、コロナ禍で十分に練習もできず、発表もできないという自分たちの姿とダブっていたように思うのは私だけなのでしょうか・・・・・

それはベートーヴェン交響曲第2番でさらに増幅されていたように思います。標題がついている作品の中では第1番に続いて演奏機会が少ない作品だと思いますが、当時のベートーヴェンはすでに難聴に苦しみ始めていた時期です。現代医学では、どうやらそれはベートーヴェンの「酒飲み」としての副作用であったというのが定説となりつつあります。それを現代風に言えば、依存症。アルコール依存だったかまではわかりませんが、依存気味であったことは文献から明らかだと思います。さらに当時次々に教えていたご令嬢たちと恋に落ちていくさまや、その後の甥カールを追い詰めて自殺未遂させる点などから、共依存が強かった人であることは間違いなく、むしろAC(アダルト・チルドレン)という診断を下すほうが適切であろうと思います。

そんなベートーヴェン共依存的な部分を、共依存という言葉を使わないにせよ、プログラムに記載している東京カンマーフィルの方々は、少なくともベートーヴェンがACであったというような意識がどこかにあったのではないか、という気がするんです。そうでなくても、恋に次々に落ちていくさまに共感する女性団員も多かったのではないのかなあという気が、演奏からはうかがえたのです。少なくとも、人気絶頂になっていくはずなのに、どこか歯車が狂い始めているその様子が、コロナ禍の自分たちに重なったのではないか?という気がしています。その分の強い意志を持った演奏がそこにはありました。アインザッツモーツァルトの時以上の強さだったりがそれなのですが、とても意思を持つ演奏だったと思います。

実は、当日同じ第2番を演奏するコンサートが同じ沿線でおこなわれていました。この演奏会は都営新宿線船堀駅前のタワーホール船堀。一方は同じ都営新宿線住吉駅にあるティアラこうとう。しかしこの演奏会を選んだ理由はうえで述べた通り、室内オケの演奏が聴きたかったからにほかなりません。それはコロナ禍で室内オケという、多少はソーシャル・ディスタンスが取れる団体であること。そして室内オケという少ない人数であるからこそ現れる、個の力がみなぎる演奏が聴けるという点です。演奏を聴いて、こっちを選んでよかった!と終始思っていました。電車の遅延で実はモーツァルトの第1楽章は再現部だけだったのですが・・・・・それでも大満足です。確かにティアラこうとうは素晴らしいホールなので、いい演奏が聴けた可能性は高いんですが、それは私自身の美意識とどれだけ相容れるかは未知数です。

しかし、室内オケであればだいぶ近づいてくる部分があるのは、プロオケで聴いていてすでに明らかだったのです。なら、アマチュアでも同じであろうと予測したのでした。そしてその予測は見事に当たった、というわけです。とはいえ、やみくもに当てたわけではない、ということです。しっかりとした理由があっての読みです。

このオケも、応援し続けていきたい団体の一つになりました。

 


聴いて来たコンサート
東京カンマーフィルハーモニー 第22回定期演奏会
ヴォルフガング・アマデウスモーツァルト作曲
交響曲第31番ニ長調K.297「パリ」
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲
交響曲第2番ニ長調作品36(アンコールはこの第4楽章終結部)
松井慶太指揮
東京カンマーフィルハーモニー

令和3(2021)年7月17日、東京江戸川、タワーホール船堀大ホール

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。

神奈川県立図書館所蔵CD:バレンボイムが弾くベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集8

神奈川県立図書館所蔵CDのコーナー、ダニエル・バレンボイムが弾くベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集をシリーズで取り上げていますが、今回はその第8集を取り上げます。

この第8集も4曲になっているのは興味深いです。第25番から第28番まで。つまり、第29番「ハンマークラヴィーア」の前まで、ということになります。つまりは・・・・・それは第9集までのお楽しみとして。

第8集に収録されている4曲はベートーヴェン中期の魅力ある作品が並んでいますが、標題がついている「告別」は特に有名です。ですが、バレンボイムはどれも愛おしく弾いているのが印象的。差をつけていないんです。

どの曲であろうとも、自らの「歌う」というスタンスを崩そうとはせず、構造をしっかりと捉えたうえで歌い上げています。職人的でありつつ、芸術であるのはまさに魅力的と言えましょう。天才と呼ぶにふさわしいピアニストだと思います。

最近は指揮者としての活動のほうが目立つバレンボイムですが、彼の原点はピアノ。なのに、フレージングだとか、本当にこの人ピアニスト?って思うような表現が随所にあって、元合唱団員の私としてもほれぼれします。もう尊敬の一言しか出てきません。

以前も言及していますが、この演奏をしてバレンボイムのタクトなんだなと納得せざるを得ません。自分が指揮者でオケを振るようにピアノを弾いているわけで、このピアニズムには脱帽です。次に来日した時には、チケット代が高くても一回はリサイタルへと足を運びたいと思っています。

 


聴いている音源
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲
ピアノ・ソナタ第25番ト長調作品79
ピアノ・ソナタ第26番変ホ長調作品81a「告別」
ピアノ・ソナタ第27番ホ短調作品90
ピアノ・ソナタ第28番イ長調作品101
ダニエル・バレンボイム(ピアノ)

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。

神奈川県立図書館所蔵CD:バレンボイムが弾くベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集7

神奈川県立図書館所蔵CDのコーナー、ダニエル・バレンボイムが弾くベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集、今回はその第7集を取り上げます。

第7集には第21番「ワルトシュタイン」から第24番までが収録されています。ここでは珍しく4曲収録。いや第6集もそうだったでしょという方もいらっしゃると思いますが、あれは第19番と20番を一つとしている感じがありました。ここでは全く4曲を取り上げているという感じです。

この先の収録の関係でしょうけれども。第24番なんて10分ほどですしねー。とはいえ、ここに収録された4曲とも、バレンボイムは情熱的に弾いています。時に嵐のように、時に饒舌に歌い上げ、見事なピアニズムで聴き手を魅了します。

いずれにしても、フレージングは大切にしているのが魅力的で、だからこそ速いパッセージでも強迫的には聴こえない点が素晴らしい!

構造というよりも構成がしっかり頭に入っているからこそのピアニズムのように私には感じられます。暗譜なのかどうかまでは動画ではないのでわかりませんけれど、いずれにしても構造のポイントはしっかりとつかんでいるからこその演奏であるように思えます。そうじゃないとフレージングを大切にして弾くのは難しいと思います。

確かに全体像をつかんでいるピアニストはあまたいますし、特にこのようにアルバムを出せるだけの実績のあるピアニストだったら全体像をつかんでいないピアニストなどいないと私は思いますが、ではそれが的確あるいは正確であるかと言えば、そうでもないと思います。バレンボイムはその点が的確だと思っており、だからこそ、リズムに任せるだけではない、歌うピアニズムが実現できているのだと思慮されるところです。

その的確な全体像の把握による歌うピアニズムは、ベートーヴェンのピアノ・ソナタが持つ「ロマンティシズム」を自然と浮かび上がらせます。こうなると、来日公演くらいは行っておいてもよかったかなあという気はしていますが、まあしょうがないです。仕事などいろいろあって、それは難しかったですから。

その代わり、この演奏もそうですがPCにおいてMusic Csnter for PCをWASAPI排他モードでDSEE HXを動作させて聴けば、ピアノを叩く音や、ホールの空気感もくっきりと浮かび上がります。CDでもここまでのデータが入っているということになります。もちろんハイレゾそのものではないですが、少なくとも192kHz/24bitにアップスケーリングしてみればそれなりのデータが入っていることに気が付かされます。元の録音がとてもいいことを示しており、CDでもまだまだいける部分があることを示しています。

最低でも24ビットが普通に再生できている環境がその後構築できていれば、すっとハイレゾへと移っていくのでしょうが・・・・・この辺りは、日本のオーディオメーカーの戦略間違いだったように思うのです。

 


聴いている音源
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲
ピアノ・ソナタ第21番ハ長調作品53「ワルトシュタイン」
ピアノ・ソナタ第22番ヘ長調作品54
ピアノ・ソナタ第23番ヘ短調作品57「熱情」
ピアノ・ソナタ第23番ヘ短調作品57「熱情」
ダニエル・バレンボイム(ピアノ)

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。

東京の図書館から~府中市立図書館~:スウィトナーとシュターツカペレ・ベルリンによるベートーヴェン交響曲全集1

東京の図書館から、今回から3回シリーズで、府中市立図書館のライブラリである、スウィトナー指揮シュターツカペレ・ベルリンによるベートーヴェン交響曲全集を取り上げます。

え、そんなに演奏時間短いの?って思うかもしれません。いや、そんなことはありません。この全集はすでに私が持っている同じ組み合わせによる第3番「英雄」、第5番「運命」、第6番「田園」、そして第9番「合唱付き」とおなじものだからです。

つまり、その4つは全集からの分売、というわけです。その4つを買った当時からすでにスウィトナーシュターツカペレ・ベルリンのコンビでベートーヴェン交響曲全集は存在していましたし、最初に買ったのは第九でしたが、その時にはこのコンビで全部揃えたいと思っていたこともあります。

もう全集はかなり借りてきてリッピングしてあるのでもういいかな~って思っていた矢先、府中市立図書館にこの全集があることを知り、ならば借りてしまおうかと思って残りの5曲分だけを借りてきた、というわけです。なので3枚分しかとり上げないわけです。実際にはもう2枚か3枚は存在しています。

今回はその中から第1集、第1番と第2番、そしてカップリングとして「プロメテウスの創造物」序曲が収録されているものを取り上げます。全集では、2曲ずつくらいで収録されており、この第1集もそうなっています。

全体的に感じるのは、第1番もそして第2番も、スウィトナーらしい速めのいいテンポで、情熱的に演奏していることです。それでいてステディ。芸術として本当に完成されたものがそこに存在します。結果的には第1番と第2番に関してはスウィトナー指揮シュターツカペレ・ベルリンで十分だったと言えるのですが、それは第九を買った高校2年生から今までの長い時間があって言えることで、結果論でしかありません。当時の私はベートーヴェンのその4つの交響曲以外はあまり興味を示さなかったのですし。

今回もスウィトナーだとムラがあるからなーという疑念が取れない中、図書館で借りてきてリッピングするということであるからこそ実現したことでもあります。図書館からお金かからないわけですし。残念な結果になったとしても放っておけますし、いざとなったらワンクリックで消すこともできます。だからこそ冒険ができたわけですしね。高校2年生当時の私としては、お小遣いから買っていたわけなので当然使える額などたかが知れています。そんな中では選択をせざるを得なかったのは当然です。

しかし今、PCが普及して図書館もライブラリが充実してきたおかげで、高校2年生当時の私ではできなかった冒険ができます。そしてその結果この全集を俯瞰することができます。それだけ心、あるいは魂は豊かになります。成長もできます。本当にありがたいことです。

しかもです、PCで聴くということは、ハイレゾ相当で簡単に聴ける、ということを意味します。この演奏も当然ですがソニーのMusic Center for PCにてWASAPI排他にしてDSEE HXを作動させてハイレゾ相当(192kHz/24bit相当)にして、同じソニーのSRS-HG10のスピーカーで聴いています。そうしますと、それまでのデッキでは再生しきれなかった繊細な部分も再生されており、生き生きとした演奏がそこに存在することを改めて気が付かされます。

リズムとアンサンブルの統合は普通だと思われがちですが意外とおざなりな演奏もある中で、この演奏はそのどちらも大切にしています。その結果、作品に生命が宿り、魂がいれられたかのようです。3曲ともリズム感が絶品で、そのうえでアンサンブルの妙も楽しむことができます。この全集こそ、いい再生装置が必要だったんだなと思います。

 


聴いている音源
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲
交響曲第1番ハ長調作品21
交響曲第2番ニ長調作品36
バレエ「プロメテウスの創造物」序曲 作品43
オトマール・スウィトナー指揮
ベルリン・シュターツカペレ
(オケの表記はCDに準拠しました)

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。