かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から~小金井市立図書館~:シフラが弾くリストのハンガリー狂詩曲2

東京の図書館から、2回シリーズで取り上げております、小金井市立図書館のライブラリである、ジョルジ・シフラのピアノの、リストのハンガリー狂詩曲全集、今回は第2回として第2集を取り上げます。

第2集に収録されているのは、第9番~第15番と、スペイン狂詩曲です。あれ?第15番まで・・・

どうやら第15番の「ラコッツィ行進曲」までしか収録されていないようです。他の録音では第16番と第19番もあるようですが、それは録音時期が違うので・・・

このアルバムが収録されたのは、1958年。一方で第19番なども収録されているのは1972年。なぜこの違いがあるのかはネット検索しただけではわかりません。収録時間の都合上とも考えられますが、私はあえて第15番までにしたと考えるところです。なぜなら、最後に収録されているのがスペイン狂詩曲だからです。

時間的には、スペイン狂詩曲は12分ほどの演奏時間です。であれば、さらにいくつかは収録できるはずなのです。それをあえてやらないということは、収録時間の他に原因があると考えるのが自然です。ここでもう一度ピティナの解説を上げておきましょう。

enc.piano.or.jp

ここで重要なのは、ハンガリー狂詩曲は19曲ある中で、作曲時期が二つに分かれる、という点です。第1番~第15番までは、リストが1839年と1846年にハンガリーを訪問し、その後「ハンガリーの民族旋律」S.243と「21のハンガリーの民族旋律と狂詩曲」S.242としてまとめられた曲が基礎になっています。第16番~第19番は。晩年の1882年から1885年に作曲されたものなのです。

つまり、この全集は、第1期とも言える1839年と1846年にリストがハンガリーを訪問した時期の作品にフォーカスを当てている、ということになります。この時期は、リストがピアニストとして活躍していた時代になります。一方の第16番~第18番が作曲された時代は最晩年ということもあり、作曲家として活躍し、さらに精神世界を深めていった時代です。ある意味、リストの音楽の性格が違うのです。

ja.wikipedia.org

その点を、シフラが考慮したという点は否めないと思います。聴いている私達からすればどちらも同じリストの作品なので問題ないのですが、ロマ出身でリストの芸術を深く愛しているシフラとすれば、二つは分けて考えたいという想いがあったのかもと想像するところです。

ja.wikipedia.org

シフラは演奏家ですから、演奏家時代のリストが触れて作曲した作品にシンパシーを感じるのは、ある意味自然なことだと言えます。自身もロマであるシフラとすれば、ロマらしい音楽が第15番までであり、ゆえに生き生きと演奏するという意識があったのだろうと思います。実際、この第2集においては、テンポの揺れはさらにはっきりしていますし、歌いあげてもいます。そのうえで強く厳しい音もあり、リストの音楽の内面性が存分に表現されています。そして、その内面性を表現する道具の一つが、超絶技巧であるという点が、前面に押し出されています。これがシフラの芸術なのかと思いますと、唸るほかありません。

ただ単に音楽に身を任せているだけなのに、音楽が内包する深みが感じ取れる演奏は、いつまでも聴いていたくなります。シフラに関してはいろんな評論がありますが、私自身は作品の内面を自然と浮かび上がらせる名ピアニストという印象をこの演奏からは受けるものです。

 

 

聴いている音源
フランツ・リスト作曲
ハンガリー狂詩曲
 第9番変ホ長調「ペストの謝肉祭」
 第10番ホ長調前奏曲
 第11番イ短調
 第12番嬰ハ短調
 第13番イ短調
 第14番ヘ短調
 第15番イ短調「ラコッツィ行進曲」
スペイン狂詩曲嬰ハ短調
ジョルジ・シフラ(ピアノ)

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