かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から~府中市立図書館~:ブクステフーデ カンタータ集1

東京の図書館から、今回と次回の2回に渡り、府中市立図書館のライブラリである、ブクステフーデのカンタータ集を取り上げます。

ブクステフーデはドイツの作曲家です。バロック期に活躍し、バッハもその音楽を学んだ一人です。

ja.wikipedia.org

実際、バッハはブクステフーデを訪ねており、カンタータやオルガン曲はブクステフーデの影響を強く受けています。それだけ、当時ブクステフーデは偉大な作曲家だったわけです。

そのブクステフーデが作曲したカンタータを収録しているのが今回ご紹介するアルバムなのですが、カンタータと言っても当時はその呼び名はなかったようで、単に会衆が声を合わせて歌うものをさしたようです。1曲はいくつかの章から成っているのはバッハと一緒ですが、バッハほど手が込んでいないのは確かだと思います。

だから取ってブクステフーデのカンタータはさして重要ではないのかと言えばそうでもありません。題名を見ているとバッハに受け継がれているものもたくさんあります。例えば、この第1集で言えば、5曲目に収録されている「主に新しき歌を歌え」がそれです。バッハも同名のカンタータを書いています(第190番)。さらに言えば、この題材はメンデルスゾーンも引き継いで、オラトリオ「エリア」で採用されています。

それだけ、ブクステフーデはドイツにおいて、音楽の租とも言うべき地位にある作曲家だと言えます。ドイツ音楽と行った時交響曲がやり玉にあげられ、声楽曲は出てこないことが多いのですが、ベートーヴェンだけがドイツ音楽ではないのです。それは実際メンデルスゾーンベートーヴェンではなくバッハ、そしてその源流であるブクステフーデに題材をとったことが何よりの証拠なのです。

ブクステフーデのカンタータはおおむね声楽コンチェルト、コラール楽曲、アリアに分けられるようです。この第1集の楽曲はそれぞれ以下の通りの分類になります。なお、BuxWVというのはブクステフーデの作品の整理番号で、バッハで言うBWVと一緒です。

声楽コンチェルト BuxWV44 BuxWV12
コラール楽曲   BuxWV29
アリア      BuxWV72 BuxWV56

あれ?43が抜けてますね?ウィペディアによれば、この作品は偽作となっています。あまり私は違和感を感じませんでしたが、一つ指摘すれば、かなり明るく派手目な作品であることは確かです。それがブクステフーデらしからぬと言えばそうかもしれませんが・・・何とも言えません。ただ、ブクステフーデのカンタータには音で圧倒するような作品が、少なくとも第1集にはBuxWV43以外には見受けられないのは事実です。ただそんな理由で偽作という判断がされるわけはないはずなので、他の理由があって偽作の判定がなされたものと思います。

このアルバムの演奏はトン・コープマン指揮アムステルダム・バロック管弦楽団、ハノーファ少年合唱団なのですが、録音は1987年。今から30数年前です。ブクステフーデが再評価され始めたのは最近ですから、まだ研究が進んでいない段階で収録されたと考えていいでしょう。それも、このコンビは実はブクステフーデの作品をすべて収録しているのですが・・・とりあえず、ブクステフーデのものとされているものは全て収録しようという意図だったと思われます。収録された後に偽作判定されたとすれば、このように混在したのは当然だったと言えるでしょう。それにしても、BuxWV43だって、見事な作品です。おそらく、バッハの偽作と同じように、ブクステフーデの名をかたるほうが都合がよかった人の作曲でしょう。だからと言ってさげすんではなりません。むしろその名をかたらないと発表できないような閉鎖性があった可能性も否定できないのですから。

ブクステフーデ自身は開かれた人でしたし、当時の名だたる作曲家たちとの交流もありました。ですが一方で、名声を得るということはそれだけ閉鎖的な部分がでてくることもしばしばです。ブクステフーデに閉鎖性があったようなことは証拠がありませんが、取り巻きが忖度してという可能性は否定できないんですよね・・・それと、ブクステフーデが閉鎖的でなかったとしても、当時の音楽界が閉鎖的であれば、ブクステフーデの名をかたればそれだけ売れます。ブクステフーデががその名をかたることを許可した可能性も否定できませんし。そうでないと若い才能が埋もれる可能性もあるわけです。それだけ、ブクステフーデが生きた時代は若い才能が必ずしも正当に評価されないこともあります。もし仮にBuXWV43がバッハの作であったとしても不思議はないと思います。バッハ当時アルンシュタットが任地で、休暇を取ってブクステフーデに会いに行っていますが、ブクステフーデから吸収しアルンシュタットに帰り、ブクステフーデ風に書いたら評判が悪かったという記録も残っています。なら、他の土地でブクステフーデの名で残しておくという方法を、ブクステフーデとバッハが採用した可能性だって否定できません。仮にバッハの作だったら、ですが・・・もちろん、バッハによる偽作であるとされているわけではなく、あくまでも私の推測に過ぎません。

恐らく、コープマンも、偽作の疑いがあるとしても、その作品のレベルの高さを評価してこの第1集にいれたのでしょうし、演奏を聴いていても、のびのびと歌われており、かつ堂々としています。他の作品に対しても、ブクステフーデが持つ素朴さが朗々と歌われています。バッハに比べて素朴であるからこその魅力がブクステフーデにはあるように思います。バッハよりも古いからこその質素さと、それゆえの素朴さが、見事な芸術として結実していますし、その芸術を味わっている様子が聴いていて演奏から聴き取れます。こういった表現はさすがプロでしょう。ブクステフーデという作曲家の再評価にコープマンが貢献したのだとすれば、当然の結果だと言えましょう。

 


聴いている音源
ディートリッヒ・ブクステフーデ作曲
手をたたいて喜べ BuxWV29
私の心は喜びに溢れる BuxWV72
エスの甘き思い出 BuxWV56
私は甦りである BuxWV44
主に新しき歌を歌え BuxWV12
今日神の子は勝利なさった BuxWV43
バルバラ・シュリック(ソプラノ)
モニカ・フリンマー(ソプラノ)
マイケル・チャンス(アルト)
クリストフ・プレガルディエン(テノール
ペーター・コーイ(バス)
ハノーヴァー少年合唱団
トン・コープマン指揮
アムステルダム・バロック管弦楽団

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