かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から~府中市立図書館~:ブクステフーデ 我らがイエスの四肢

東京の図書館から、今回は府中市立図書館のライブラリである、ブクステフーデの「我らがイエスの四肢」を収録したアルバムをご紹介します。

ブクステフーデはこのブログでは2度目の登場になるかと思います。ドイツ・バロックの頂点を極めた作曲家と言ってもいい人で、バッハに強い影響を与えた人です。

ja.wikipedia.org

いろんなジャンルを作曲した人ですが、声楽曲に関してはそのほとんどがキリスト教プロテスタント派の教会における典礼用に書かれたものです。バッハの時代ならそれは「カンタータ」と呼ばれますが、ブクステフーデの時代はまだ現代的な意味でのカンタータにはなっていなかったようです。

この音源ではカンタータの用語が使用されていますが、正確には曲集というほうがいいようです。ちなみに、BuxWV(ブクステフーデの作品番号)は75。

「~について」という7つの部分からなりますが、それぞれイエス磔刑の場面を描写していることから、むしろ「~に寄せる」という訳の方が適切であるようです。如何に歌詞が上がっているサイトを挙げておきます。そこの訳の方を参考にしました。

http://musicology.hc.keio.ac.jp/concert/2014/bux_membra_transl.pdf

エス磔刑は悲劇ですが、同時にキリスト教では人類の救いを意味します。なぜなら、イエス磔刑により人類の「原罪」を背負って死んだことになるからです。ですからそれは悲劇であると同時に喜びでもあるわけです。この複雑性を理解していないと、この作品がなぜ悲劇的に描かれていないのかが理解できず、安易な非難へとつながっていきかねないと思います。

音楽は淡々としている一方、明るさも持ち合わせているのでその点で面喰う作品でしょう。しかし上記の背景を知れば、なるほどと腑に落ちる部分があります。このような複雑な場面は、人間の歴史においていくつも見られたことで、それは洋の東西を問いません。例えば我が国でも鎌倉新仏教は基本的に弾圧されましたし、戦国の世でも戦いむなしく自決せねばならなかった武将もいます。或いは戦火の中死んだ人々・・・・・いくらでも例を挙げることができるでしょう。

この作品はブクステフーデの作品の中でも良く演奏されているもののようで、今回の音源のほかにも録音が複数あるようです。今回のはトン・コープマン指揮アムステルダム・バロック管弦楽団、ハノーヴァー少年合唱団。それに古楽演奏ではおなじみのソリストたちが集結。実にのびやかで生命が宿る演奏をしています。表情も豊かです。音楽は淡々と流れていて決してドラマティックではありませんが、しかしゴルゴダの丘で起きた出来事の描写が目に浮かぶようです。

ブクステフーデの作品を聴きますと、ある意味バッハがいかにドイツ・バロックにおいて異端だったかがわかります。それは視点を変えればバッハの先進性でもあるのです。つまりバッハが活躍した時代というのはバロックが終わりを迎える時代だった、と言えるのです。それはマウンダー極小期という、地球の寒冷化の時代が終わりをつげ、新しい時代が始まるのと軌を一にしています。

一方で、たとえばこの「我らがイエスの四肢」が作曲されたのは1680年。マウンダー極小期真っただ中です。その時代に、人間の死とイエスの死とをどう並列し、引き寄せていくのか・・・・・ブクステフーデの見事な腕が、これまた見事な演奏で浮かび上がります。この精神がバッハを触媒として、後期ロマン派のブルックナーまで受け継がれていくのです。その視点でブルックナーが聴かれないのは、私としては寂しさを感じています。今こそ、ブクステフーデを聴く時代のように思うのは私だけなのでしょうか。

 


聴いている音源
ディートリヒ・ブクステフーデ作曲
カンタータ「我らがイエスの四肢」
バルバラ・シュリック(ソプラノ)
モニカ・フリンマー(ソプラノ)
マイケル・チャンス(アルト)
クリストフ・プレガルディエン(テノール
ペーター・コーイ(バス)
ハノーヴァー少年合唱団
トン・コープマン指揮
アムステルダム・バロック管弦楽団

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。