かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:ブクステフーデ オルガン作品集

神奈川県立図書館所蔵CDのコーナー、今回はドイツバロック音楽の大家、ブクステフーデのオルガン作品集のアルバムをご紹介します。

ブクステフーデ。この作曲家の名前を知ったのはもうずいぶん前です。社会人になって、バッハの受難曲を聴きに行きはじめたあたりですでにその名前を聞いています。BCJ鈴木雅明氏がそもそもオルガニストだからです。そのレパートリーとしてプログラムに書かれていたのを見て知ったのですが、その音楽に触れるまでは、ずいぶんと長い時間がかかることとなりました。

そして、図書館でまとまったものが聴ければなあと思って借りたのが、この一枚でした。チェンバロはたしか聴いたことがあるはずなのですが、オルガン曲はまだだったので、借りてきたものでした。

ブクステフーデは、時代的にはバッハの直前に生きた人です。活躍した時代はあまりかぶっていないのですが、それでも大家だっただけあって、バッハはこのブクステフーデからも多大な影響を受けています。

ja.wikipedia.org

そんなブクステフーデですが、聴いてみると、バッハと様式的にはそれほど変わらないことに驚くかもしれません。そう、バッハはこういった大家たちが確立した様式をいわばまとめ上げた人、と言っていいのです。なのでバロック音楽のある意味入門編としてはやはりバッハですが、集大成でもあるので、奥も深い作曲家だと言えます。同じことはこのブクステフーデにも言えるかと思います。

ブクステフーデはオルガン曲であっても、大抵教会と関係ある作品を書いていますから、どうしても宗教的な側面もありますが、しかしバッハの器楽曲のような、洒脱な面も持っています。ですので聴いていてとても楽しいのが印象的です。

このアルバムは、そういったブクステフーデのオルガン曲を、一枚で俯瞰する内容となっており、一度聴いてみるともっと聴きたいと思わせるのに十分なのですが、いやはや、もうこれ以上棚が・・・・・CDが多くて、意外やまだまだハイレゾになっているのが少ないのが、ブクステフーデという作曲家の知名度なのかなあ、と思います。

そんなブクステフーデを弾くのは、このブログでもおなじみになりつつある、マリー=クレール・アラン。しかも、フランスの結構新しいオルガンで弾いているんです、これ。ではかなり気合入れてなのかと言えば、これまた軽めなんですね~。実はブクステフーデが生きた時代は、マウンダー極小期ですから、ペストなどで死者も多かった時代ですが、それでも思い切り力を入れなくても、十分哀愁すら感じられる(トッカータ ニ短調BuxWV155)曲もあったりで、まさにアランの才能にぴったりな作品群ではないのかと思います。

特に、アランも歌う演奏家なので、私としては好きなオルガニストの一人ですが、ただ神へと祈るというよりは、そこにいる人間の内面すらにじみ出るのです。ちょうど私が聴いている今という「時」は、新型コロナウイルスにより死者も大勢出ているというフェーズ。アランの演奏という「歌」により、ブクステフーデがオルガンで紡いだ「詩」が、私の魂に語り掛けているようで、ディートリヒ、お互い辛いよね、と慰めあっているかのような感覚になります。

その意味では、この時期に聴いてエントリを立てられるというのは、何か与えられているような気がしてなりません。

 


聴いている音源
ディートリッヒ・ブクステフーデ作曲
前奏曲、フーガとシャコンヌ ハ長調BuxWV137
コラール「甘き喜びのうちに」BuxWV197
コラール「暁の星のいかに美しく」BuxWV223
コラール「ああ主よ、我ら貧しき罪人を」BuxWV178
トッカータ ニ短調BuxWV155
前奏曲ト短調BuxWV149
コラール「来たれ聖霊、主なる神よ」BuxWV199
パッサカリア ニ短調BuxWV161
コラール「われらのもとにまします父なる神よ」BuxWV190
コラール「アダムの堕落によりすべては朽ちぬ」BuxWV183
前奏曲ニ長調BuxWV139
マリー=クレール・アラン(オルガン、1975年ヘルファー=エルマン製)

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。