神奈川県立図書館所蔵CDのコーナー、マリー=クレール・アランが弾くバッハのオルガン作品全集を取り上げていますが、今回はその第10集を取り上げます。
第10集も「演奏家および礼拝音楽の作曲家としてのバッハ」という項目になっており、主に17のコラールが目を引きます。「ライプツィヒ・コラール集」ともいわれる作品たちで、15曲にアルトニコルによる口述筆記の2曲、さらにはもう一曲を含めることがあるので18曲からなることもあるのですが、このアルバムではそこから10曲を抜き出して演奏しています。
純然たる世俗曲であるプレリュードとフーガ ニ長調BWV532も生命力あふれる演奏になっていますし、17のコラールも、決して荘重という感じてはなく、もっと明るい感じが特徴です。それは弾いているアランの人生経験から来るんだろうなと思います。
このシリーズのあとにご紹介することになると思いますが、彼女の兄も優れたオルガニストであり、作曲家でした。バッハの作品を弾くちうことはすなわち、アランにとっては同じような才能を持っていた兄へのオマージュなのではないかと思います。
もっと言ってしまえば、バッハを弾けばフラッシュバックするというか・・・・・けれども、フラッシュバックに留まらず、そこからさらに昇華させて、生命の「歌」にしています。この点が、アランの素晴らしい点だと思います。
ちょうど終戦の日が終わり、夏も少し残暑厳しいって感じになってきているこの時期に、同じように第2次大戦で命を落とした兄を持つアランという才能が弾くバッハを聴くということは、非常に大切なことなのではないかと思います。しかも、17のコラールは、晩年のバッハが若きワイマール時代などに作曲したコラールを整理するためのものだったともいわれています。もし兄が生きていたら、こんなことをする年齢だったかも・・・・・などとアランが妄想してもなんら不思議はないと思います。
戦争で命を落とした人は、どちらの側であったとしても平等に悼みたいものです。そして、民族国籍の差なく、その苦しみはあがなわれるべきだと思います。現在の日本の状況を見ますと、とても自己中心的で、なんか笑ってしまうくらいです。なら、皆さんは苦しみを乗り越えるために、一体どんな努力をしたのだと、アランから問われているような気すらして、こっぱずかしい限りです。
聴いている音源
ヨハン・セバスティアン・バッハ作曲
プレリュードとフーガ ニ長調BWV532
トリオ ニ短調BWV583
17のコラール
コラール「おお、神の小羊、罪なくして」BWV656
ラール「いざ来ませ、異邦人の救い主」BWV659
コラール(トリオ)「いざ来ませ、異邦人の救い主」BWV660
コラール「いざ来ませ、異邦人の救い主」BWV661
コラール「来ませ、聖霊、主なる神」BWV651
コラール「来ませ、聖霊、主なる神」BWV652
コラール「いざや もろびと、神に感謝せよ」BWV657
コラール「われらの救い主たるイエス・キリストは」BWV665
コラール「われらの救い主たるイエス・キリストは」BWV666
コラール「来ませ、造り主なる聖霊の神よ」BWV667
マリー=クレール・アラン(オルガン)
地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。