かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

今月のお買いもの:飯森範親指揮日本センチュリー響のハイドン交響曲全集4

今月のお買いもの、令和元年5月に買ったものをご紹介します。シリーズでご紹介している、ハイレゾ音源である飯森範親指揮日本センチュリー響のハイドン・ツィクルスの第4集です。

令和と元号が改まっても、やることは変わりません。改元初めの「今月のお買いもの」はハイドンの続きでした。

第4集は、多少古風な作品がずらり。第7番などはディベルティメント?と思わんばかりの作品で、第2楽章にはレチタティーヴォがあったりしますが、飯森・日本センチュリー響のコンビは生き生きとみずみずしく演奏してくれています。

第58番は4楽章制ですが、第1楽章はアレグロですが多少ゆったりめ。ですがその違和感が実にアクセントにもなっています。

その後の3楽章制の2つの交響曲は疾走感もある、生命力豊かな演奏は、爽快!実に楽しいものになっているのはいいなあと思います。

これはスマホでも聴いていますが、PCとの乖離があまりないのも特徴で、やはりアンプに寄るのかなと思っています。ハイドンだとそれほど編成が複雑ではないからです。ただ、第九ではそれほど乖離を感じませんので、やはり情報量の差なのかなあって思います。いずれにしてもスマホが積んでいるアンプなどたかが知れてしますしね。かといってポタアンをスマホにつけるっていうのもなあって、正直思いますけれど・・・・・

演奏をいかにどのプレーヤーでも乖離なく聴かせるようにするか。これはもう演奏家の役割ではなくエンジニアの役割です。エンジニアって日本ではあまり顧みられることがないんですが、メディアという点ではとても重要な役割を担っています。例えば、よく批判されるカラヤンですが、あの演奏は、多分にカラヤンとレコーディングエンジニアの視点が入りまくっています。カラヤンは批判してもレコーディングエンジニアを批判する論調にはとんとお目にかかりません。それって、「自分が何を聴いているのか」という視点が全くないという証拠だと思っています。

残念なことですが、私たちはメディアを通じて音楽を聴いている限り、その演奏はレコーディング・エンジニアのセンスに左右されています。聴いているオーディオの性能にも左右されます。それを考慮に入れない論評は、あまり意味がないと思います。その意味では、私は吉田さんも宇野さんも批判的です。けれども否定はしません。どちらも今日の日本のクラシック音楽シーンを形成するのに多大な功績があった人たちですから。あとは共感するかしないかだけ、です。

この演奏のエンジニアは、自然な再生に心を砕いているように思います。特にXperia XZ3にはウォークマン40年の歴史の中ではぐくまれた機能がいくつかありますが、それを使いますとさらにつやがある生き生きとした演奏になりますから不思議です。それも万能ではないのですが、少なくともこのハイドンに関してはさらに生命力を吹き込む結果になっています。

やはり、時代はハイレゾだなあって思います。こういった地方オケの演奏でも、これだけよかったのかと、気が付かされます。

 


聴いているハイレゾ
フランツ・ヨゼフ・ハイドン作曲
交響曲第7番ハ長調Hob.I.7「昼」
交響曲第58番ヘ長調Hob.I.58
交響曲第19番ニ長調Hob.I.19
交響曲第27番ト長調Hob.I.27
飯森範親指揮
日本センチュリー交響楽団

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。