かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:マリー=クレール・アランのバッハ・オルガン作品全集9

神奈川県立図書館所蔵CDのコーナー、マリー=クレール・アランが弾くバッハのオルガン作品全集の第9集。「演奏家および礼拝音楽の作曲家としてのバッハ」の第2として位置付けられています。

バッハが、宗教音楽において最も力を入れたジャンルが、オルガン作品だといえるでしょう。ですからこのようなテーマが出てきてもなんら不思議はないですし、むしろ自然です。バッハはそもそもオルガニストで、鍵盤奏者だったんですから。

だからこそ、後世において、すべてのピアニストはバッハを敬愛し尊敬したわけですし。その源流はバッハのオルガン作品にあるといっても過言ではありません。ただ、そのバッハですら、先人たちの集大成でしかない、ということです。

後世のピアニストたちは、バッハを通してそれ以前の作曲家たちを見ているわけです。それが主に19世紀の間続きました。それに異を唱え新しい風を吹かせたのはドビュッシーであり、それはフランス・バロックという、バッハよりもさらに大きな流れ、古い時代に範をとったのでした。

けれども、バロックに範をとるという意味では、ドビュッシーもバッハを見ていた作曲家たちと同じです。バッハの作品はそれだけ、後世に影響力を与えたのでした。

ゆえに、後期ロマン派の作品は、一見すると宗教と無縁ですが宗教的な作品も多いのです。荒唐無稽のようにきこえるかもしれませんが、神なき時代に神を表現したといわれるマーラーなども、そういった流れの延長線上にある作曲家の一人です。ブルックナーはまさに宗教曲も書いた人でしたし。

そういった影響を多く含んだ作品をバッハは書いており、その代表的ともいえるのがこの第9集に収録されている作品たちだといえるでしょう。のちに合唱曲の一部にもなるような作品もずらりと並んでいるのも特徴です。

アランの演奏は、それらの作品を丁寧さと大胆さで彩っているものです。自分の魂を表現するためには、それが最重要であると認識しているということになります。実際、アランの演奏は実に実直で、共感できるものです。

私自身はピアノもオルガンも弾けませんが、アランが「歌う」オルガンに共鳴し、共感します。思わず歌ってしまいそう・・・・・コラールが原曲だと、どうしてもです。コラールだからこそ、歌っているんでしょうね。そういったアランの教養と技術のバランスの良さも、聴いていて心地よいものです。

いくつかバッハのオルガン作品は借りてきていますが、ここまではアランが総合的に見ても一押しかな、って思います。

 


聴いている音源
ヨハン・セバスティアン・バッハ作曲
①オルガン曲(ファンタジート長調BWV572
オルガン小曲集
②コラール「いざ来ませ、異邦人の救い主」BWV599
③コラール「神よ、汝の慈しみにおいて」BWV600
④コラール「主キリスト、神の独り子」BWV601
⑤コラール「全能の神に讃美あれ」BWV602
⑥コラール「みどり児ベツレヘムに生まれたまいぬ」BWV603
⑦コラール「讃美を受けたまえ、汝イエス・キリストよ」BWV604
⑧コラール「かくも喜びに満てるこの日」BWV605
⑨コラール「高き天より、われは来たれり」BWV606
⑩コラール「天より御使いの軍勢来たれり」BWV607
⑪コラール「甘き喜びに包まれ」BWV608
⑫コラール「神を讃えまつれ、汝らキリストの徒(ともがら)よ、こぞりて」BWV609
⑬コラール「イエスよ、わが喜び」BWV610
⑭コラール「キリストを われら さやけく頌め讃うべし」BWV611
⑮コラール「われらキリストの徒(ともがら)」BWV612
⑯コラール「われとともに神の慈しみを讃えよ」BWV613
⑰コラール「古き年は過ぎ去りぬ」BWV614
⑱コラール「汝にこそ喜びあり」BWV615
⑲コラール「平安と歓喜もて われはいく」BWV616
⑳コラール「主なる神よ、いざ天の扉を開きたまえ」BWV617
㉑ファンタジー ハ短調BWV562
㉒コラール「われら皆一なる神を信ず」BWV740
㉓ファンタジー「われ汝に別れを告げん」BWV735
㉔コラール「われ汝に別れを告げん」BWV736
㉕フーガ ハ短調BWV574(ジョヴァンニ・レグレンツィの主題による)
マリー=クレール・アラン(オルガン)

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。