かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から~府中市立図書館~:ティペット 管弦楽作品集

東京の図書館から、今回は府中市立図書館のライブラリである、サー・マイケル・ティペットが作曲した管弦楽作品を収録したアルバムをご紹介します。

サー・マイケル・ティペットは20世紀イギリスの作曲家です。音楽的には和声という面では保守的な人です。まあ、王立音楽院卒というキャリアを見ればその通りなのですが、しかしその「保守的」という言葉に惑わされないほうがいいと私は思います。

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このアルバムは、まさに「ティペットは『保守的』という言葉で批判すべき作曲家なのか?」という問いかけになっているように思います。まず第1曲目は、二重弦楽オーケストラのための協奏曲。1938~39年に作曲され、1940年に初演されています。二重オーケストラって何?って、そのものずばりです。オーケストラが2重になっているということです。ですが、聴く限りではオーケストラが二つあるようには聴こえません。ただ、響きはかなり重厚です。なのに、旋律はかなり軽めで音楽も比較的明るいものです。そう考えると、この作品のすごさにいつの間にか気が付きます。残念ながらネット上では下記英語版ウィキペディアしか解説がないのですが・・・

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不協和音も結構使われていますし、確かに「保守的」という言葉でひとくくりにするには複雑すぎる気がします。ティペットがこの作品に織り込んだのは伝統と革新の融合なのではないかと、個人的には感じるところです。協奏曲となっていますがカテゴライズとしては管弦楽曲になっています。その意味でも、合奏協奏曲がその念頭にあることは事実でしょうが、しかし、所々に近代の息吹も存分に感じられます。

2曲目は、「コレルリの主題による協奏的幻想曲」。これはまさにコレルリの協奏曲ヘ短調作品1のアダージョの旋律を主題とする幻想曲で、これも合奏協奏曲が念頭にある作品となっています。なのでこの曲のほうが保守的というのであれば適切であると思います。しかしすれを「幻想曲」」という主にロマン派以降の様式で表現しているのです。やはりその意味では、伝統と革新を融合させたいティペットの意志を感じます。

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さて、最後に収録されているのが「ダヴの歌」。ウィキではどこを探しても出ていないのですが、以下のページがそのヒントを与えてくれます。9の「独奏曲」の9-6に「ダヴの歌」とありますが、〔[Knot Garden]より〕とあります。これは実は、ティペットが作曲した歌劇「ノット風の花壇」(下記ページの1-5)の中で、登場人物のダヴが歌う曲なのです。

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ただ、私自身は「ノット風の花壇」という訳はあまり適切ではないと思っています。実はこのオペラ、オペラの中でシェイクスピアの「テンペスト」が「演じられる」のです。ノットのスペルはknot。これはサラリーマンならネクタイの結び方でウィザーノットをされる方がいらっしゃると思いますが、そのノットなんです。つまり、基本的な意味は「結び目」です。なので訳としては「結び目の花壇」というほうが適切だと思います。オペラの内容とシェイクスピアの戯曲をクロス、つまり結び目として、人間関係を表現するオペラである、ということだからです。

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しかも、驚くのは、この「ダヴの歌」でいきなりテノールであるダヴの独唱は、まるで犬が吠えるかの如くなんです。一体何が始まったんだ!と驚いてしまうのですが、ダヴが「テンペスト」で演じているのが「キャリバン」であることが、その理由なのです。

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このまるで半人半獣のようなキャラクターを演じているのがダヴで、その歌、なんです。ここまで調べると、ティペットが深い教養に裏打ちされた作曲家であることが分かりますし、まさにシェイクスピアという古典と現代社会をオペラというネクタイで「結んだ」作品であると言えます。特に歌の第1曲目の和声は決して古典的なものではなく、不協和音を多用しておりむしろまるでミュージカルです。

そういえば、そもそもの「ザ・ノット・ガーデン」の初演は1970年。ちょうどオペラの演出は転換期を迎えており、現代的な内容を織り込む演出が増え始めた時期なのです。古典の中に普遍的な要素を見出し、演出に生かす。それをそもそもオペラとして表現してしまおうという意欲作であるわけです。大河ドラマの視聴率が比較的いい我が国においては、もう少し評価されてもいい作曲家ではないかという気がします。例えば、昨年2023年の「どうする家康」、あるいは今年20224年の「光る君へ」。それぞれ、戦国期徳川家康三河家臣団を現代と比較できますし、また平安時代藤原道長紫式部の関係、当時の貴族の権力争いに現代を見たりと、実は私たち日本人は知らず知らず歴史に現代を見ようとしているのです。これはティペットが行った伝統と革新の融合に他なりませんし、まさに「ザ・ノット・ガーデン」のテクストに似たものであるわけです。

そして、実は指揮は作曲者自身!ということは、作曲者の意図が存分に表現されている演奏であると言えます。第1曲目と第3曲目では作品が持つ生命力が前面に押し出され、第2曲ではコレルリというバロック期の作曲家の旋律と雰囲気が存分に生かされている点を踏まえ、静かにかつ生命力ある演奏になっています。これはひとえに、ティペットが決して古臭い曲を書こうとしたのではなく、古典的なものを借景として、現代を表現しようとしたという作品の根本を素直に表現したと言えましょう。こういう作品を、日本の「保守」は全く作っていないですし、また評価もしてないんですよねえ。本当にあなた方は保守なのですか?という気が私はします。老舗は古いものを守っているだけでは残らないとはビジネスでよく言われますが、ティペットはそれをしっかりと胸に刻んでいた作曲家だったのではないかという気がします。そもそも父親は不動産ビジネスで成功した人。それは当然だったのかもしれません。さて、保守の作曲家の皆さんは、そんな作品を生み出すことが果たしてできるのでしょうか・・・まあ、期待しないほうがいいとは思っています。

 


聴いている音源
サー・マイケル・ティペット作曲
二重弦楽オーケストラのための協奏曲
コレルリの主題による協奏的幻想曲
ダヴの歌
サー・マイケル・ティペット指揮
スコットランド室内管弦楽団

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。