かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

今月のお買いもの:飯森範親と日本センチュリー交響楽団によるハイドン・マラソン18

今月のお買いもの、令和5(2023)年9月に購入したものをご紹介します。e-onkyoネットストアで購入しました、飯森範親指揮日本センチュリー交響楽団の演奏によるハイドン・マラソンシリーズの第18集です。ハイレゾflac192kHz/24bitです。

あれ?第17集が抜けてません?というア・ナ・タ。おっしゃる通り、抜けております。というのも、実はe-onkyoネットストアでは第17集が取り扱われていないんですorz

何度も確認しましたが、取り扱いはないのです。そのため、まず第18集を先に購入した、というわけなのです。ですが第17集はCDで購入しましたので、今後取り上げる予定であります。初めてオクタヴィアレコードさんの通販使った・・・・・銀座山野楽器に行ったとしても、無い可能性もあるので・・・・・CD売り場、ほんとに縮小されています。CDを買う場合は通販も視野にいれることをお勧めします。

さて、この第18集。2021年4月22日に大阪のザ・シンフォニーホールで行われた演奏会が収録されたものです。第17集がないので断定できませんが、少なくとも第18集のあたりから、大阪いずみホールからザ・シンフォニーホールに会場を移したと言えそうです。今、日本センチュリー響さんのサイトを見ても、ハイドン・マラソンの演奏会はすべてザ・シンフォニーホールが会場です。そもそもは、日本センチュリー響さんもフランチャイズザ・シンフォニーホールなんですよね。ホール二つ借りるのは財政的に効率的とは言えませんし。おそらく、当初は聴衆の数を気にしていたんでしょうね。何人来るか分かりませんから。ハイドンは日本でもよく知られた作曲家ではありますが、ではベートーヴェンモーツァルトに比べて同等の人気を持っているのか?と言えば疑問符が付きます。なので最初は小さなキャパシティのホールで開始して、その後多くの聴衆が見込めるとなってから大きなキャパシティであるフランチャイズに移した、と考えていいでしょう。

そんな大きなホールで行うのに、ここで選ばれたのはエステルハージ家初期の作品群である第3番、第15番、そして第5番。ブックレットによりますと、当時のエステルハージ家楽団の人数は正規が12名、非正規(聖歌隊所属)が2名の計14名だったそうです。勿論、この数字は個人が所有するオーケストラなので極端に少なくはなっていますが。古典派のオーケストラはそれだけ小さいんです。モーツァルトベートーヴェンと時代が移るにしたがって大規模にはなりますが、とはいえベートーヴェンの時代で3倍程度って感じです。現代のオーケストラに比べて小さいですよね。その中でも、ハイドンエステルハージ家初期の時代は極端に人数が少ないわけで、かつそれがおそらく普通だったと思われます。それがハイドン交響曲が日本で人気がない原因だろうと思います。しかし、日本センチュリー響はそのビハインドを演奏でもって跳ね返した、と言えるでしょう。

実際に聴いていて、とても楽しいですし何よりも演奏がノレるんです!団員がいかに楽しんで演奏しているかが伝わってきます。そもそもがエステルハージ家のサロンで余興として演奏されるための作品ですから、楽しくなければ始まりません。そこを「精神性がない」という言葉を使う人もいるのですが、人間の「精神」、あるいは感情には喜怒哀楽があり、その内面を表現するのがクラシック音楽だと私は信じています。楽しくて何が悪いのだ!と思います。ではベートーヴェンの楽しい音楽はくだらないのですか?ということです。しかも、そのベートーヴェンが師匠とした巨匠の一人がハイドンです。くだらないと切って捨てるのはあまりにも本質を見ていないのでは?という気がします。

その意味では、ザ・シンフォニーホールでおこなわれた演奏会で、エステルハージ家初期の作品を選ぶというのは、指揮者飯森範親氏の、聴衆への挑戦状だったのでは?という気がします。おそらく初演時はもっと小さな会場だったはずです。その作品を、現代の大きなホールでまとめて聴いたときに、果たして違和感があるのか否か、という問いです。大阪フィルの大編成も演奏する会場で、果たしてどんな響きになるのか?という問いです。マイクの位置もあるとは思いますが、私が聞いている限りでは、違和感を感じません。それは、現代の奏者のUDEが上がったから、と言えるかもしれません。そもそも、作曲された時代では奏者の技量が演奏を支えていました。いまでもそうだとは言えますが、実は古典派まではトッププロが集まることで成り立っていた、と言えるわけです。現代のオーケストラ奏者が技量が低いとは言いませんが、現代で言えば名だたるソリストたちが集められていたのが当時のオーケストラだった、ということなんです。現代では有名ソリストよりオーケストラの団員は低く見る傾向がありますが、当時は逆だった、ということなんです。いや、実は現代でもヨーロッパでは変わっていません。ソリストがオーケストラ出身なんて、ザラにあります。その日本とヨーロッパとの差を、ヴュルテンブルク・フィルでも活動する飯森氏だからこそ感じていて、聴衆に挑戦状をたたきつけたのがこのアルバムと演奏会だったのでは?と私は思うのです。日本のその意識は、ほんとに正しいの?という。

つまり、日本センチュリー響の実力は、古典派当時のソリストたちに匹敵するんだ、という自信に裏打ちされている、ということです。2021年4月と言えば、まだ新型コロナウイルスが蔓延し、ようやく対策をするのであれば集まったりしてもいい、でも海外からオーケストラやソリストを呼べる状態ではないという時期です。でも、日本国内にはこれだけ優れた演奏家がいるんだ、しかも、オーケストラに!という想いが私には伝わってくるんですよね。こんな大きなホールであっても、違和感ないでしょ?とウィンクする飯森氏が目に浮かびます。実力でわからせるって感じです。その意味では、どことなく今年の夏の甲子園で優勝した慶應高校にも通じるものがあるようすら聞こえるのは私だけなんでしょうか・・・・・

 


聴いているハイレゾ
フランツ・ヨーゼフ・ハイドン作曲
交響曲第3番ト長調Hob.Ⅰ:3
交響曲第15番ニ長調Hob.Ⅰ:15
交響曲第5番イ長調Hob.Ⅰ:5
飯森範親指揮
日本センチュリー交響楽団
(EXTON ovcl00804 flac192kHz/24bit)

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。