東京の図書館から、今回は府中市立図書館のライブラリである、ノルベール・モレの管弦楽作品を収録したアルバムをご紹介します。
モレは20世紀スイスの作曲家で、前衛音楽と言われますが私のカテゴライズでは20世紀音楽の作曲家となります。
同じように考えている人はほかにもいらっしゃるようです。
そう、20世紀という時代はいろんな様式がまじりあった、豊潤な時代だったと言えます。様式的には前進しつつも、それ以前の様式も重視されるという、自由な時代だったと言えましょう。その代わり、2度の世界大戦と、その後の核の時代を迎えた時代でもありました。
音楽にもそのような時代が色濃く反映しています。そうした作曲家の一人がモレであると言えるでしょう。バッハに影響を受けたと言いますが、音楽的には当時の前衛音楽に強い影響を受けており、音楽もバッハ的な精神を持ちつつも表現としては不協和音で処理するという音楽になっています。
ある意味、バッハが現代に生きていたらどのような様式で表現するのか?という仮定を表現したともいえるのかもしれません。
収録されているのは、モレの代表作ともいわれるチェロ協奏曲と、沈黙への讃歌。チェロ協奏曲は有名なチェリスト、ロストロポーヴィチの念願を受けて1984~85年に作曲されました。3楽章制の古典的な構成を持ちますが和声は前衛。人の声ともいわれるチェロにまるで叫ばせるかのような作品です。
一方、「沈黙への讃歌」は1977年に作曲されたもの。上記のエントリの方は東洋的な沈黙とは異なるのが興味深いと書かれていますが、沈黙というよりは瞑想を私は想起します。沈思して思いを巡らせているその頭の中を表現したような音楽です。その意味ではキリスト教会のオルガニストであったモレがまるで仏教の曼荼羅や蓮華蔵世界を表現しているかのような感覚に私は陥ります。その意味では私はむしろ東洋的な印象を強く持ちました。オルガンも使われかなり教会的な部分もあるにもかかわらず、です。
演奏はチェロ協奏曲は作品を初演したメンバーにより演奏されています。その分、モレから直接受け取ったメッセージを自分なりに表現していると言えるでしょう。不協和音が織りなす複雑さ、そして内面性。一方「沈黙への讃歌」は、沈黙ということが何を意味するのかを考えさせる演奏で、旋律を聴くのに慣れていると腰抜かす演奏です。むしろこの手の作品やその演奏を楽しむためには、一度西洋音楽から離れてみるほうが適切なのかもしれません。
私自身は、学生時代はクラシック音楽をたしなみながら、毎夏には京都で合宿を行い、古美術を鑑賞してめぐることをしていましたし、週1回のミーティングでも、メンバーで研究したりしていましたので、その素養が生きているという感じです。おそらくその経験がなかったら、今聴けることはなかったろうなあって思います。実際そうであっても、20世紀音楽をまともに聴けるようになったのはつい10年ほど前です。その間に20年という月日が経っています・・・・・
もし学生時代にこの作品に触れ、聴けるような状態であったならば、おそらく発表会でのスライドで使いたいと思うような作品です。20世紀の後半になり、西洋と東洋が交わるような、そんな時代を背景としているようにも私には思えます。これから先、もしかするとモレの作品はさらに輝きを増すのかもしれません。現在は図書館だけで販売はしていないようですが、その意味でも府中市立図書館はしっかりと役割を果たしていると言えましょう。
聴いている音源
ノルベール・モレ作曲
チェロ協奏曲(1984~85)
沈黙への讃歌(1977)
チェロ協奏曲
ムスティラフ・ロストロポーヴィチ(チェロ)
パウル・ザッハー指揮
チューリッヒ・コレギウム・ムジクム
沈黙の讃歌
ハイナー・キューナー(オルガン)
パウル・ザッハー指揮
バーゼル交響楽団
地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。