東京の図書館から、府中市立図書館のライブラリであるブルックナーの宗教曲集、第3回の今回はミサ曲第3番が収録されている第3集を取り上げます。
ところがです、この組なんですが、実は以前小金井市立図書館で借りていることが判明したんです・・・・・
いやあ、全く気が付きませんでした。そういうのってたいていリッピングの段階でわかるものなんです。CDDBのデータがリッピングソフト上でいきなり出るので。そんなことは同じものでないとありえないんです、仕組み的に。ところがこの全集、まっさらで出たので、同じものとは気が付かなかったんです。
しかし、今回ミサ曲第3番なので、以前取り上げた朝比奈隆指揮大阪フィルハーモニー交響楽団の演奏も紹介しようと検索しましたら、なんとこの演奏を取り上げた自分のエントリがヒットしたという・・・・・
なので、演奏は基本的に上記のエントリを参考にしてほしいと思いますが、この全集の特徴は以前取り上げたミサ曲だけのものとは違い、モテットも収録されているということなんです。そのため同じだとはわからなかった、ということだろうと思います。むしろ小金井よりはこの府中のほうがよりブルックナーの宗教曲を理解しやすいのでは?と思います。特にブルックナー終止がどのように生まれたのか、そのルーツは?ということを知るためには絶好の教材だと思います。
ミサ曲第3番では筋肉質な演奏を要求しているヨッフムですが、モテットとなると一転、ものすごく静謐な音楽になります。これは何もおかしなことではなく、作品の内面性を深堀していった結果に過ぎないと私は考えます。こういった演奏を聴かないでカラヤンを批判し誹謗するクラシックファンがいるのは誠に悲しいことだと思います。カラヤンもヨッフムもかなり深いスコアリーディングをしたうえでのタクトなんですよね・・・・・ただ、レコード会社から要求されることが異なったわけなので。特にカラヤンが最後に本拠としたベルリン・フィルは旧西ベルリン。西ベルリンという「都市」がどのようなものだったのかという歴史的事実から出発しないと、カラヤンの芸術の本質を見誤るような気がしてなりません。それは伊勢崎賢治氏がいう「セキュリタイゼイション」に簡単に乗ってしまうという、日本人の本質にも起因するのでは?と思います。
その意味でも、朝比奈隆のスコアリーディングも本当に素晴らしいのですよね。これはヨッフムを聴いてさらに思いを新たにしました。
やはり、ブルックナーはミサ曲だけでなく、モテットも聴いたほうがいいと思います。ブルックナーの管弦楽作品の根幹には、モテットに見られるような、キリスト者としての人間たる自分、というものが強く反映されていると考えられるからです。そう考えないとなぜブルックナー終止がモテットにあるのかが説明つきません。ロマン派という音楽運動はあくまでも左右の政治的対立ではなく、一個人として芸術を自分のものとしてどう表現するかという音楽運動であるからです。そのため、左寄りもいれば右寄りもいるわけで、だからこそ次なる時代は印象派だったり新古典主義音楽だったりするのですね。
ヨッフムのタクトには、そういったヨーロッパの歴史がしっかりと刻まれている、と言えるでしょう。私は交響曲からではなくモテットからブルックナーに入りましたが、それは幸せなことだと思っています。ブルックナーの芸術の本質とは何か?ブルックナーが作品で表現したいこととは何か?そして各指揮者や演奏家たちがその演奏にどんな想いを込めたのか?を理解するのにとても役立っていると感じるからです。その意味では、いろいろありましたが社会人1年目で合唱団に入ったことは本当に絶妙な判断であり、幸せなことだったのだと思います。ブルックナーのモテットを教えてくれた、団友には感謝の言葉しか出ません。
聴いている音源
アントン・ブルックナー作曲
ミサ曲第3番ヘ短調
モテット
昇階謠「この所を作りあげたのは神である」(4部合唱)
アンティフォナ「マリアよ、あなたはことごとく美しく」(テノール、4部合唱)
マリア・シュターダー(ソプラノ)
クラウディア・ヘルマン(アルト)
エルンスト・ヘフリガー(テノール)
リヒャルト・ホルム(テノール)
キム・ボルイ(バス)
アントン・ノヴァコフスキー(オルガン)
バイエルン放送合唱団(合唱指揮:クルト・プレステル、ヴォルフガング・シューベルト)
オイゲン・ヨッフム指揮
バイエルン放送交響楽団
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