東京の図書館からのコーナー、今回から4回にわたり府中市立図書館のライブラリである、ブルックナーの宗教曲を集めたアルバムをご紹介します。
たしかそもそものCDには「全集」と記載があったように思いますが、実際にはブルックナーの宗教曲すべてを収録出来ていないため、私はメモ帳でデータを残すときに「曲集」にしたと記憶しています。以下ウィキペディアですが挙げておきます。
そもそもですが、なぜこのアルバムを借りてきたかと言えば、もともとブルックナーの宗教曲が気に入っているということと、そもそも我が国ではブルックナーの交響曲があまりにも有名すぎており、ブルックナーの芸術の本質がそれにより忘れられていると思ったからでした。上記ウィキペディアのページを見ていただければわかるように、ブルックナーはむしろ合唱作品、そのなかでも特に宗教曲の作曲家としてのキャリアのほうが長くしかも作品も多いのです。
以前にも私は言及していますが、ブルックナーの交響曲はそもそもモテットその他の宗教曲がその源流となっており、その代表が「ブルックナー終止」です。ブルックナー終止とはそもそも、宗教曲で磨きをかけたものを交響曲へと転用したに過ぎないのです。ブルックナーにとっては交響曲も宗教曲も自らの芸術であり、交響曲においては確かにベートーヴェンの影響はありますがそれでも自らの宗教曲作曲家というスタンスを崩すことはしていないのです。
ブルックナーという人は、自らの信仰を自らの個性と捉え、そこから大幅な逸脱をせずにシンフォニストになった人です。その個性の集大成というべきものが「ブルックナー終止」なのです。こう書くと「やはり宗教は大切なのだ!」とか「だからクラシックを聴く人は保守的なのだ!」とか左右から攻撃されそうなのですが、まず言いたいのは、あくまでもこれはブルックナーの個性、なのです。私はそれを尊重しているだけです。私自身はブルックナーも好きですし武満のような前衛音楽、あるいは伊福部のチェレプニン派も好きなのです。どれも自らを大切にし自らの内面を自らの個性で表現した作曲家たちだからです。
そのブルックナーの宗教曲集は基本的にミサ曲全集ともいうべきものになっています。この第1集ではミサ曲第1番といわれるニ短調WAB26と、モテットでもよく歌われる「イサイの枝は目を出し」そしてアヴェ・マリアが収録されています。
ミサ曲ニ短調は第1番と呼ばれ、1864年に作曲されその後2回の改訂が行われ、現在では第3稿が使われることが多い作品です。番号がついている作品としては1番目ですが実際にはこれ以前の1842年にハ長調を、そしてグローリアとクレドの無い「クローンシュトルフ・ミサ曲」を1844年に書いています。さらにミサ・ソレムニスもあるため番号がついているものが第1番を含めて3つあるため6曲書いていると説明しているものもあります(朝比奈隆指揮大阪フィルのブックレット。以前私も「マイ・コレクション」でご紹介しています)。
この元CDでは第1番との説明書きがあるためそのまま第1番と呼びますが、現在では番号を付けず呼ぶことも多いようです。このニ短調はベートーヴェンの第九と同じ主調であり、壮麗荘厳な音楽が鳴り響きます。1864年という作曲年はちょうどブルックナーが交響曲を書き始めた時期と重なり、モテットのような小さな編成から大きな編成へと転換する時期にあたります。その分、交響曲を聴きなれている人でも親しみやすいのではないでしょうか。モテットを聴きなれている合唱経験者の人たちからすれば「おお!ずいぶんな変化だ!」と驚きを以て受け入れられることでしょう。
私としては、ミサ曲はブルックナーにより円熟を迎えたと思っています。勿論ミサ曲が多く作曲された時代は古典派よりも前の時代であり、モーツァルトが生まれるか生まれないかという時代が最盛期です。しかし編成が複雑で壮麗な作品が生まれてくるのは古典派以降です。ハイドンやモーツァルトが先鞭をつけ、ベートーヴェンが発展させ、そしてロマン派諸作曲家へと受け継がれて、ブルックナーに至ったのです。そしてそれはいまだに西洋では受け継がれ続けられている、というわけです。時代は宗教が前面には出なくなりましたのでミサ曲はメジャーな存在ではなくなりましたが・・・・・
調性音楽としてのミサ曲の最高峰が、ブルックナーのミサ曲であると言っても過言ではありません。演奏時間的に引き締まりつつ壮麗かつ壮大なまるで物語のように紡がれるのがブルックナーのミサ曲の特徴だと言っていいですが、この第1番からしてその傾向がはっきりとしています。特にブルックナーを苦手としていた私にとっては、ミサ曲をきっかけにブルックナーの交響曲が好きになったという経緯もあります。
指揮はオイゲン・ヨッフム。オーケストラはバイエルン放送交響楽団というゴールデンコンビとも言うべきなのですが、ソリストも合唱もまた秀逸かつ力強くしなやかで、力任せではない生命力あふれるのびのびとした演奏を聴かせてくれます。特にグローリアの爆発力、クレドやサンクトゥス・ベネディクトゥスでの静謐さなどは息をのみます。私は決してキリスト教の信者ではありませんが、演奏からにじみ出る「信じる心の純粋さ」には思わず感動してしまいます。
二つのモテット、特に「イサイの枝は目を出し」はヨッフムの指揮のせいかかなりゆったりと演奏されていますが、もう少しテンポが速めのほうが私は好きです。しかしだからと言って否定するような演奏ではなくむしろ演奏者たちの信仰がひしひしと伝わってくるのが印象的。ブルックナーの芸術はむしろこの宗教曲にこそあるんだ!と言わんばかりの、気持ちが詰まった演奏。私の魂を揺らし続けてやみません。
聴いている音源
アントン・ブルックナー作曲
ミサ曲第1番ニ短調
モテット
アレルヤ謠「イサイの枝は目を出し」(4部合唱)
アヴェ・マリア(7部合唱)
エディト・マティス(ソプラノ)
マルガ・シムル(アルト)
ヴィエスワフ・オフマン(テノール)
カール・リーダーブッシュ(バス)
バイエルン放送合唱団(合唱指揮:ヨーゼフ・シュミットフーバー、ヴォルフガング・シューベルト)
エルマー・シュローダー(オルガン)
オイゲン・ヨッフム指揮
バイエルン放送交響楽団
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