かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

コンサート雑感:コア・アプラウス2020~2022コンサート 二人の大作曲家のレクイエムを辿って を聴いて

コンサート雑感、今回は7月10日に行われました、コア・アプラウス2020~2022コンサート 二人の大作曲家のレクイエムを辿って を取り上げます。

3年間、新型コロナウイルス感染症によりコンサートが行うことができなかった、コア・アプラウス。その分をまとめてという点もあって、二人の大作曲家、モーツァルトブラームスのレクイエムが演奏されました。

そこまでやれば、普通であれば2時間程度のコンサートでは収まりません。そこで、二つとも抜粋ということになりました。ですが・・・・・

私は今回、事情により前半のモーツァルトのレクイエムしか聴くことができませんでした。それでも、とても内容の濃いものとなりました。しかも、とても残念な殺人事件が起きた直後のモーツァルトのレクイエムで、どうしても60年代アメリカで起きた凶弾事件を想起せざるを得ませんでした(あの時も、大統領の国葬においてモーツァルトのレクイエムが演奏されました)。

今回、抜粋とはいえ、とても工夫されていたのが、第1次世界大戦に従軍した兵士の日記と絡め、生きることの大切さが表現されていたことです。コア・アプラウスは新しい時代に入ったなと思いました。朗読に曲の演奏を絡める・・・・・まるで演劇です。ですがそれがまたとてもいい演出だったと思います。

指揮は以前であればディーヴァであった稲見里恵氏。とても落ち着いていたように思います。ただ、合唱団が少し走っていたかな?と思います。それは多分指揮に原因があると思いますので、その点はまだ伸びしろがあると思いますが、初めてにしては上出来だったと言えるでしょう。

では、ソリストは誰?って思いますよね?それがです、合唱団員から出したんです。これはよくぞ稲見先生手放したなと思いました。むしろ初演時は合唱団からソリストは出したでしょうから、とてもいい編成だったと思います。ソロはちょっと緊張していた感じはありましたがよく歌えていたと思います。後半のドイツ・レクイエムではプロのソリストを使ったようですが、コア・アプラウスなら合唱団員から出してもよかった気がします。

ただ一つ残念だったのは、合唱団がマスクを着けていたこと。これは状況からするとしょうがないかなと思いましたが、その前に聴きに行きました、MAXフィルハーモニー管弦楽団「第九」では、合唱団はマスクを歌う前に取っていたのです。いろいろ議論はあったのだと思いますが、ホールの杉並公会堂の前3列の座席を使用不可にしての演奏だったこともあり、マスクなしでも良かったかなという気はします。まあ、合唱団とオーケストラとの関係性もありますから、そう容易ではなかったのだとは思いますが。

ですが、合唱団の仕上がりはとても素晴らしかったと言えるでしょう。この3年間の苦労、そして死んでいった人たちへの気持ちが演奏に乗っている気がしました。それだけに、家庭の事情で後半のドイツ・レクイエムが聴けなかったことは非常に残念です。その反面、来年は非常に楽しみでもあります。

来年はフォーレのレクイエム。第7波が来ているとも言われる昨今、来年はどんな演奏が聴けるのか、楽しみです。そして指揮は再び稲見女史がやられるのかも、楽しみにしておきたいと思います。

 


聴いて来たコンサート
コア・アプラウス2020~2022コンサート~二人の大作曲家のレクイエムを辿って~
ヴォルフガング・アマデウスモーツァルト作曲
レクイエム K.626より
 レクイエム
 キリエ
 怒りの日
 涙の日
 アニュス・デイ
 絶えざる光もて
ヨハネス・ブラームス作曲
ドイツ・レクイエム作品45より
 悲しんでいる人々は幸いである
 人は皆草のごとく
 主よ、我が終わりと、我が日の数の
 今から後、主にあって死ぬ死人は幸いである
清水良一(バリトン
山崎裕視(台本・朗読)
砂川稔(監修)
稲見里恵指揮
東京シンフォニック・アンサンブル
コア・アプラウ

令和4(2022)年7月10日、東京杉並、杉並公会堂大ホール

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。