かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から~:府中市立図書館~:マズアとライプツィヒ・ゲヴァントハウス管によるブルックナー交響曲全集8

東京の図書館から、9回シリーズで府中市立図書館のライブラリである、クルト・マズア指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の演奏によるブルックナー交響曲全集を取り上げています。第8回の今回は交響曲第9番と第8番第1楽章を取り上げます。

これも演奏時間の都合なのでしょう、本来なら第8番のほうが先に来るはずなのが、第9番が先に来ているという結果になっています。ただ、これなら別に第8番の後に第9番でも良かったのではないかなとは思います。

第9番は未完であることから、第4楽章は様々な版があることで知られます。しかしここでは第4楽章が未完であることから演奏されていません。どうやらこの演奏が収録された1970年代では普通のことだったようです。

ja.wikipedia.org

第1楽章しか収録されていない第8番に、完成からすぐ改訂が入ったことから、第9番はほんろうされ、ついに完成されず、ブルックナーは第4楽章はテ・デウムで代用してほしいとの遺言を残していますが、そうしている録音はほとんどないと言っていいでしょう。ですが第4楽章はテ・デウムを意識した構成になっているようです。ブルックナーの遺言はそういった構成が背景にあってなされたものだと言えるでしょう。

ですから、補筆しなくても、最悪完成されたテ・デウムを使うという手もあるのかもしれませんが、この録音ではそうせず、完成された第3楽章までが収録されています。マズアがここまで示してきた「音楽の三要素」を重視する解釈はみじんも揺るがず、ゆえに怒濤のように音が押し寄せる第2楽章スケルツォには生命力を感じます。

一方の第8番。第1楽章だけが収録されていますが、第7番から引き続く特徴ある和声を、適度なテンポでオケを使い鳴らし続けています。ブルックナーと言えばゆったりとしたテンポで朗々と重厚な響きを鳴らす・・・・・ある意味、朝比奈さんが確立した演奏スタイルが好まれる傾向にありますが、本来ブルックナーオルガニストだったことを考えると、私はこのマズアの解釈のほうを好みます。

朝比奈さんも深いスコアリーディングをしたうえでの解釈だと思いますので、否定はしません。しかし私の美意識とはちょっと異なるんです。むしろ合うのはこのマズアのほうなので評価しているにすぎません。どちらも優れた演奏であることに変わりはありません。朝比奈さんもブルックナーはそもそもオルガニストであるという視点から悠然とした演奏スタイルをとったわけなので、ゆえに否定はしないのです。

ただ、ときたまただ単に管弦楽作品であるという切り口で演奏される指揮者もいるので、それは相いれないなと思っている、ということです。マズアは一見すると管弦楽作品とみているように見えますが、しかし音楽の三要素を踏まえたうえで、朗々と鳴らしていることを考えると、やはりマズアもブルックナー交響曲には宗教曲がベースになっていることが見えてきます。ゆえに私としては好む演奏となっています。

最後の第8番第2楽章以降も楽しみなのですが、実は第8番は私にとっては、思い出し笑いをしまいかねない作品です。それがなぜなのかは、最後第9回でお話ししたいと思います。しかしそれはまた、宗教音楽から出発したブルックナーがたどり着いた、一つの境地だともいえるのです・・・・・・

 


聴いている音源
アントン・ブルックナー作曲
交響曲第9番ニ短調原典版
交響曲第8番ハ短調(ハース版/原典版
 第1楽章:アレグロモデラー
クルト・マズア指揮
ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団

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