かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から~府中市立図書館~:マズアとライプツィヒ・ゲヴァントハウス管によるブルックナー交響曲全集5

東京の図書館から、シリーズで取り上げております、府中市立図書館のライブラリである、クルト・マズア指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の演奏によるブルックナー交響曲全集、今回の第5回は交響曲第6番と第5番の第1楽章を収録したアルバムをご紹介します。

順番からすれば、交響曲第5番なのですが、どうやら収録時間の都合でこうならざるを得なかったようです。収録された時期は1970年代後半。ようやくCDが出てきたという時代ですので、仕方なかったのでしょう。今のようにハイレゾで配信ということであれば、番号順であろうかと思いますが・・・・・

その意味では、ブルックナー交響曲こそ、ハイレゾ配信に向いていると言えるかもしれません。

さて、第6番の演奏ですが、そもそも第6番はブルックナー終止などがあまり見られない作品だと言われますが、とはいえブルックナーらしい和声は存分に味わうことができます。そのためか、マズアはオーケストラを存分に鳴らし、壮大な世界を演出することに傾注しているように思われます。

一方の第5番は、ブルックナー交響曲の中でも第4番「ロマンティック」に続くかのような人気を誇る作品です。そのためか、ブルックナー終止の強調もされていますがあくまでもテンポの良さが目につきます。ブルックナーを決して神格化せず、後期ロマン派の優れた作曲家の一人として扱っているのが好印象です。

私自身はブルックナーが決して嫌いではないんですが、ベートーヴェン以上に神格化されているように感じていた時期が長く続いたため、ブルックナー交響曲を聴き始めたのはつい最近だと言ってもいいくらいです。少なくとも社会人になるまで、ブルックナー交響曲を聴いたことはありませんでしたし、CDを購入しようとしたこともありません。せいぜいマーラーです。

そのため、このマズアの解釈はとても好印象で、すっと音楽に入っていける余地が残されているがため、ブルックナーの作品が持つ世界にどっぷりとつかることができます。ありがたいことです。

私がブルックナーに興味を持ったのはむしろ合唱曲が入口でした。ですから元合唱屋の私としては、ブルックナーの作品の中に教会音楽の片りんを見つけることができたときにはじめて共感したのを覚えています。この演奏はまだ東ドイツが存在していた時代の録音ですので、宗教という側面で切るのは解釈としては命がけだと言えるでしょうから、そこまではしていないと思います。ですがそれでも自然と教会音楽から生まれたというルーツが浮かび上がる演奏になっているのは不思議です。

もしかすると、この全集はマズアやゲヴァントハウス管のメンバー達の、ひそかな政府への反乱だったのかもしれませんね。

 


聴いている音源
アントン・ブルックナー作曲
交響曲第6番イ長調原典版
交響曲第5番変ロ長調原典版
 第1楽章:導入部、アダージョアレグロ
クルト・マズア指揮
ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団

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