かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

今月のお買いもの:アダム・フィッシャー指揮デンマーク室内管弦楽団によるベートーヴェン交響曲全集5

今月のお買いもの、令和4(2022)年1月に購入したものをご紹介しています。9回シリーズで取り上げている、e-onkyoネットストアにて購入しました、アダム・フィッシャー指揮デンマーク室内管弦楽団によるベートーヴェン交響曲全集、今回はその第5回目です。

第5回目は第5番「運命」。快速ながらも、フェルマータはしっかりと伸ばしていたりと、意外とオーソドックスな部分もあります。特に第1楽章は結構オーソドックスな感じ。

しかし、第2楽章と第3楽章は結構舞踊的な部分があり、この曲の「ストーリー」にこだわりすぎている人にとっては苦痛かもしれません。しかし、私などは「してやられた!」という感じです。作曲当時のベートーヴェンがなぜ「ハイリゲンシュタットの遺書」を書いたのか、という視点から解釈が始まっているように感じられたからです。

もちろん、私もこの曲の「ストーリー」にこだわっている一人です。しかし、そんな私を納得させたのが、「ハイリゲンシュタットの遺書」をなぜ書いたのか?という視点が感じられる部分だったのです。

いろんな視点、解釈があるとは思いますが、私としては、「ハイリゲンシュタットの遺書」はベートーヴェンが障害の苦しみや自己憐憫を手放すためのものだった、と考えています。その視点に立てば、むしろ舞踊的視点が入っても決しておかしくありません。恐れや不安を手放すことで、ベートーヴェンは「芸術を作り上げる」という作業を喜びと感じることができたであろうからです。

それがまさに現実とされているのが第4楽章。朗々と語るのではなく、むしろウキウキ!という感じで音を跳ねさせているのに、違和感がない。むしろ聴いていて喜びしか感じられない。この表現には参りました!としか言いようがありません。そうか、「ハイリゲンシュタットの遺書」から逆算すれば、こういう解釈もありか!と目からうろこが落ちたかのようです。

第5番はどんな演奏になるんだろうと思っていましたが、期待をたがわぬ素晴らしい表現を見せてくれているのは誠にうれしいことです。たいていどこかうーん、そういう解釈なのね、でもねえ・・・・・となることが全集では多いのですがこの全集ではここまで納得させられることだらけ。こういった演奏は誠に爽快!

次も期待しちゃいます。

 


聴いているハイレゾ
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲
交響曲第5番ハ短調作品67「運命」
アダム・フィッシャー指揮
デンマーク室内管弦楽団
(Naxos 96kHz/24bit)

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