かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

ベートーヴェン 弦楽四重奏曲第7番ヘ長調作品59-1「ラズモフスキー第1番」

さあて、再びベートーヴェンの弦四に戻ります。今日から3回はいよいよ、「ラズモフスキー」です。

作品59は三曲あり、その三つがロシア公使ラズモフスキー伯爵に献呈されたので、この作品59群には「ラズモフスキー」の名前がついており、番号順に第1番〜第3番として標題がついています。

作品番号からしますと、その前が18ですから、ずいぶんと飛んでいます。この間、ピアノソナタは名曲が次々と生み出され、交響曲は3曲、ピアノ協奏曲も「皇帝」以外の4曲(ピアノ協奏曲第4番は、この前の作品番号です)がすでに作曲され、名実共に大作曲家となりつつありました。そして、忘れてはならないのは、この途中に、「ハイリゲンシュタットの遺書」が書かれていることです。

「ハイリゲンシュタットの遺書」は、私はベートーヴェンの弦四を聴く場合、きわめて重要だと思っています。その理由は、「ハイリゲンシュタットの遺書」が書かれた時期に、弦楽四重奏曲が作曲されていない、と言うことです。いや、その表現は多少正確性を欠くように私には思えますが、少なくとも作品番号がついた作品はない、ということです。

皆さん、私がピアノソナタで散々ハイリゲンシュタットの遺書との関係を述べたのは覚えていますね。それは、その時期に作曲がなされ、作品も残されているからです。しかし、弦四は少なくともその時期に作品番号が残されているものがないのです。このラズモフスキー第1番が作曲されたのは1806年、ハイリゲンシュタットの遺書が書かれたのは1802年。弦四の作品18群が作曲されたのは、1798年から1800年まで。つまり、ハイリゲンシュタットの遺書が書かれた前後は、弦楽四重奏曲の少なくとも作品番号がついている作品がないのです。

これはベートーヴェンの弦四の最大の特徴だと私は思っています。なぜなら、交響曲ならハイリゲンシュタットの遺書が書かれた時期に第3番や第3番が成立し、さらにその苦悩をモティーフにした第5番「運命」が作曲されると言う影響を残していますし、ピアノソナタなら例えば第16番が作曲され、さらに第17番「テンペスト」ではその影響を見ることができます。

ところが、弦四の場合、それがまったく見られないのです。もしそれを求めるとするならば、かろうじてラズモフスキー第2番かもしれません。それはまた次回お話します。それほど、苦悩した後を弦四には見ることができないのです。

第1楽章の構成的にもすばらしい完成度の高く明るい音楽を聴きますと、その間何もなかったかのようです。しかし、私はこの曲が明るく始まることこそ、ベートーヴェンが苦悩した「証」であるように思うのです。そして、その前の作品18群とはまったく音楽の次元が変わっていることも、それをしのぶことができる証だと思います。

ベートーヴェンの弦四は「ベートーヴェンの他人との関係を表す」と言われていますが、恐らく、ハイリゲンシュタットの遺書を書いた時期は、弦四であらわすことができるような精神状態ではなかったのだろうと思います。もちろん、私は精神科医ではないですから、それ以上の分析はできません。しかし、音楽を聞き込んでゆくうちに、私はその時期、ベートーヴェン弦楽四重奏曲を書くことができない精神状態だったのだ、と思うようになりました。

その証拠に、第7番はとても楽しい曲です。まだ弦四は高貴さはありますがまだ内面的かつ崇高な世界へと到達しているわけではありません。サロンで恐らく演奏されたであろう曲に仕上がっています。人生に絶望している状態で、そういう曲が書けるのだろかと考えれば、それはいくらなんでもベートーヴェンほどの人物でも不可能でしょう。確かに彼は「楽聖」ですが、スーパーマンだったわけではありません。彼も普通の人間だったはずです。

そう考えますと、私はこの曲はベートーヴェンが苦しい時期を乗り越えて満を持して作曲した、自信作のように思うのです。

さて、今日はアルバン・ベルク四重奏団だけでなく、スメタナ四重奏団も聴いています。もともともっていたのはスメタナのほうでした。その後、図書館で名盤であるアルバン・ベルク盤を見つけ、そちらのほうで全曲集めてしまいました。今はスメタナで全曲を集めております。そのため、この後はたまに演奏比較をやりたいと思います。

もともともっていたスメタナは、落ち着いている中にもサロンの雰囲気が良く出ています。一方、アルバン・ベルクは、攻撃的です。第1楽章はリズミカルで、弦が積極的です。楽しさが前面に出されていて、この曲の新たな魅力を感じます。どちらがいいのかと言われますと、私は正直どちらともいえません。アルバン・ベルクのほうがいいとはよく言われますが、少なくともこのラズモフスキー第1番に関しましては、私としてはそれならむしスメタナのほうへ軍配を上げたいくらいです。やはり、もともとこの曲は室内楽曲なのです。そんな攻撃的に演奏されては、ちょっと驚いてしまいますね。勿論、アルバン・ベルクの演奏はすばらしいのです。それだけ攻撃的なのにアンサンブルは壊れていませんし、そういう点ではスメタナを凌駕するかと思います。

しかし、それでも、私はこの曲が室内楽曲であるということにこだわりたいのです。そうなりますと、やはり雰囲気的に落ち着いていて、アンサンブルもすばらしいスメタナを押したいのです。

皆さんがどちらを取るのも自由です。雰囲気のよさがいいスメタナか、演奏水準のすばらしさのアルバン・ベルクか。私はどちらもすばらしいと思います。