かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:ベートーヴェン弦楽四重奏曲第7番&第8番

今日の神奈川県立図書館所蔵CDは、ベートーヴェンの弦四第7番と第8番、いわゆる「ラズモフスキー第1番&第2番」です。

もともと、このCDを棚に発見してしまったことから、私の図書館通いは始まりました。スメタナの演奏を買うときに「アルバン・ベルクを買いなさい」といわれていて、でもなくて、いつかは買いたいと思っていた、その矢先でした。

今でも、音源を聴くたびに初めてこの演奏を聴いたときの興奮がよみがえってきます。高い意識に裏打ちされたアンサンブルとアインザッツ。そのレヴェルの高さは、もう文句のつけようがありません。いや、私のようなものが文句をつけること自体が間違っているでしょう。

これは決してデジタル録音ではありません。でも、全く遜色がないのです。べつにデジタル録音で欲しいとも思いません。デジタル録音でこれに迫る演奏はないでしょう。しいて言えば、スメタナです。それくらいしかないのではないかという気がします。

いわゆる昔風に言えば「デジタル・リマスター」の音源ですが、私もこの演奏はすばらしいと思いますし、他にデジタル録音で欲しいなあとも思いません。それほど、この演奏は完成されています。

もしかすると、その「デジタル・リマスター」の音源であるということがこの演奏を名演あるいは名盤としているのかもしれません。それにしてもピアニシモからフォルティシモまでのダイナミクスさはスメタナも全く及びません。それがゆえに琴線をかなり揺らしますが、それには充分ご注意を。泣いてしまうかもしれません。実は、私は最近第8番で泣いてしまいまして・・・・・

それはさすがにスメタナの演奏ではなかったですね。全くアルバン・ベルクというカルテットは「怪物」です。それに、奥が深い・・・・・

聴けば聴くほど、いろんな「気づき」があって、飽きさせません。もともと、第7番は第3楽章と第4楽章がつながっているという、実はこの時期作曲された「運命」や「田園」と同じ構造を持ちます。それは、何と運命や田園が実験であり、実はそれがこの7番で花開いているといえるのです(作品番号は弦四のほうが先ですが)。それを教えてくれたのも実はこの演奏です。

勿論、この2曲に関しましては既にスメタナで持っていましたが、そのとき何と私は第7番の第3楽章と第4楽章がつながっているということに全く気がつかなかったのです。それに気づいたのは、実は図書館から借りてきてリッピングしたときです。

「あれ、ブチぎれている・・・・・」

WAVファイルならまだそれほどでもありませんが、これがmp3なら確実にわかります。必ず空白ができるようになっていますから。そのとき初めて、私は第3楽章と第4楽章がつながっていることに気がつきました。実は既にそのときスメタナで携帯音楽プレーヤーに入れていたのです・・・・・

あわてて、スメタナの音源の確認してみましたら、やはりぶち切れていたのです!

そこで、私はスメタナの音源を削除し、このアルバン・ベルクをWAVで再リッピングし、それをMP3に変換して、再度携帯音楽プレーヤーに入れなおしました。今は弦四のチクルスを入れてあります。

普通にCDを買って入れていたならば、もしかすると全然気がつかなかったかもしれません。でも、解説を読みながら聴いたはずなのですが、スメタナのときに・・・・・

で、スメタナの解説を読み直して見ますと、アタッカということが詳しく書かれていないのです・・・・・

そのときには、まだ弦楽四重奏曲というものを聴き始めたところでしたから、もしかすると3楽章のものもあるのかなという感じで通り過ぎていたのだと思います。このとき、リッピングして初めて、4楽章形式で第3楽章と第4楽章はつながっているということを知ったわけです。ここから、弦四に関しても楽章形式ということに注目するようになりました。

そう考えますと、そんな経験もいい思い出ですし、また逆にアルバン・ベルクの演奏を買わなくて良かったかもしれない、そんな気もしているのです。

まあ、音楽文化の発展を考えますとできれば買ったほうがいいのですけどね。


聴いている音源
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲
弦楽四重奏曲第7番ヘ長調作品59-1「ラズモフスキー第1番」
弦楽四重奏曲第8番ホ短調作品59-2「ラズモフスキー第2番」
アルバン・ベルク四重奏団
(元CD:EMI TOCE-5998)