東京の図書館から、今回は小金井市立図書館のライブラリである、バロックのシャコンヌ集のアルバムをご紹介します。
正確には、3拍子の作品集というほうが正確かもしれません。というのは、このアルバムにはシャコンヌだけではなく、パッサカリアも収録されているからです(マリーニとマイヤー)。
シャコンヌもパッサカリアも同じ三拍子の舞曲なのですが、バス音形、つまり和声進行が若干違うんです。
以前、モーツァルトの作曲手法に触れたことがあったと思いますが、モーツァルトのころまでは、基本的にバス、つまり一番下の音を規定したうえで和声を乗せていくという作曲手法を取ります。それはバロックでも同じはずなので、当然ですが厳密に言えばシャコンヌとパッサカリアとでは違う曲、ということになるのですが、どうやらバロックが終わるころまでには3拍子のスペイン由来の舞曲のことをシャコンヌあるいはパッサカリアと呼ぶようになっていたようです。
それゆえに、このアルバムでもその二つが「シャコンヌ集」として収録されています。ただいずれにしても、基本的な形はフランスを元としています。唯一それにあらがっているのが収録されている中ではコレッリ。むしろシャコンヌがそもそもペルーという南米から来たリズムということを押さえているかのような、明るくて弾む曲になっています。
通常、シャコンヌと言えばここで収録されているほとんどの曲のように、フランス風の、抑制された舞曲なのですが、しかしコレッリはもっと弾んだ曲にしています。コレッリを始祖としてイタリア・バロックは弾むリズムになって、それがスタンダードになっていたら、一体クラシック音楽はどう変わって行ったのでしょう?
多分、西洋音楽の歴史、特にフランス革命以降の、古典派以降の作曲家たちは、ベートーヴェンを始祖として、そういった「フランス貴族風の」音楽に対してネガティヴというか、どこか違和感を持っていたからこそ、新しい音楽運動を始めて行ったのではないかという気がしています。まずベートーヴェンが作曲家の自立というものを見せ、そしてロマン派の作曲家たちが新しい音楽運動を展開して、芸術を市民のものにしていく・・・・・そんな歴史の動きが、このシャコンヌを聴いていて想起されるのです。
ベートーヴェンは見事な変奏曲を作りましたし、ブラームスはパッサカリアを交響曲に取り入れ、見事な精神性の音楽を築き上げました。ただ単に美しいとか、壮麗とかではく、もっと気軽に楽しんだり、意味を込めて行ったりして、市民レベルでも鑑賞できる芸術にしていったその足跡からシャコンヌをふり返るとき、あまりにも定型化しすぎているきらいもあります。勿論どれも素晴らしい作品ではあるんですが・・・・・
演奏するのは、ムジカ・アンティクワ・ケルン。古楽のこの団体にかかればどんな作品でも気品を持ちますが、団員たちが楽しそうに弾いているのがわかる分、音楽とはそもそも楽しむものだよね、と思います。ただ、シャコンヌが作曲された時代は、市民がシャコンヌを楽しむということは難しかったわけです。貧民層であればなおさらです。勿論音楽を楽しめなかったわけではありませんが、身分によって楽しめる音楽が限られていた、といえます。現代のように誰でもポップスもクラシックも楽しめるという時代ではありません。
だれでもあらゆるジャンルの音楽が楽しめる時代にするために、ベートーヴェンを皮切りに努力してきた人たちがいた・・・・・・そのことだけは、私たちは常に心に留め置くべきなのではないか、と思います。
聴いている音源
ジャン=バティスト・リュリ作曲
シャコンヌ ト長調(オペラ「フェートン」より)
ビアジョ・マリーニ作曲
パッサカリア ト短調作品22
アルカンジェロ・コレッリ作曲
シャコンヌ ト長調(ソナタ作品2第12番より)
ヘンリー・パーセル作曲
シャコンヌ ト短調Z730
シャコンヌ ト短調Z807(トリオ・ソナタ第6番より)
ジョン・ブロウ作曲
シャコンヌ ト長調
ルブレイヒト・イグナツ・マイヤー作曲
パッサカリア=グラーヴェ 変ロ長調
ヨハン・クリストフ・ペッツェル作曲
ソナタ=シャコンヌ 変ロ長調
ゲオルク・ムッファト作曲
シャコンヌ ト長調(「調和の捧げもの」組曲 第5番から)
ラインハルト・ゲーベル指揮
ムジカ・アンティクワ・ケルン
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