かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から~府中市立図書館~:フランク ピアノ曲集

東京の図書館から、今回はフランクのピアノ曲集を収録したアルバムをご紹介します。

結構幅広く作曲したフランクですが、日本での人気はいまいちだと思います。とはいえ、本当に美しくかつ気品に満ちた作品が多いのも事実です。

ピアノ曲もそういった側面があると思い、借りたのがこの一枚でした。後から検索してみれば、フランクは若いころに多くピアノ曲を書いており、ここに収録された作品達も若い作品番号ばかりです。

溌溂とした、というよりはみずみずしい作品が多いように思います。可憐な部分もあったりと、確かに若いころじゃないとなかなか表現しにくいフレーズが多かったりします。かといってもうそれなりの年齢になっている私がこっぱずかしいかと言えばそんなことはなく、十分共感できる作品が多いことも確かです。それはわたしの精神年齢のせいかもしれませんがー

さて、主に収録されているのは、前奏曲とフーガですが、さらに何か一つが組み合わされることが多く、それゆえ3楽章となっています。特に1曲目はフーガすらなく3楽章。明らかにバッハを意識しているとはいえ、すべて3楽章でそろえられていることを考えると、フランクが作曲した交響曲も三楽章制であることも踏まえれば、3という数字はフランクにとってキーワードだと言っていいと思います。だからこそ、私は以前のエントリで、ドビュッシーのほうがフランクの弟子たちよりも真にフランクの理解者だったのでは?と思うわけなのです。これ、明らかにフランスバロックを意識していないと出てこない数字だから、です。

それと、そもそもがフランクがオルガニストだったということもあるでしょう。オルガニストの職場は大抵教会で、フランクもそうでした。ゆえに、「三位一体」ということも念頭にあったのでしょう。その意味からも、3という数字はフランクにとって重要なワードであると判断できるわけなのです。そこにはドイツロマン主義からの距離置きと、自由という意識が明確に表れているだろうと思います。

その意味では、フランクは時代を先取りしすぎた作曲家なのかも、という気がします。フランクですら退廃音楽に指定したナチスは、実にフランクを正確に理解したからこそ敵視したと言っていいでしょう。そしてその影響は、意外にも「精神性重視」という点で我が国に強い影響を与えて続けているように思うと、いまフランクを取り上げることは、「わたしより偉大な力」により賜った機会なのだろうと思います。

最後のバラッドも、情熱的で詩的な作品。いつまでも聴いていたい作品です。まさに共感している自分がいます。

演奏するのは、ジュゼップ・コロム。これも私の知らないピアニストなのですが、実に情熱的!DSEE HXをかけて聴きますと、その場の空気ですら伝わってくるかのよう。フランクって、こんなに素敵だよ!と言われているような気すらしてきます。うん、確かにフランクは素敵な人だと思います。おそらく、私のライブラリの中で、今後重要な位置を占めていくのではないかという気がしています。そういう気にさせる事もまた、プロの素晴らしい仕事だなと思います。こいつは一本取られたな!という気がします。

 


聴いている音源
セザール・フランク作曲
前奏曲。アリアと終曲(1886)
前奏曲、コラールとフーガ(1884)
前奏曲、フーガと変奏曲 作品18(1860~2)
バラード 作品9(1844)
ジュゼップ・コロム(ピアノ)

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。